見出し画像

ムード歌謡のカセットテープを流してムーディに踊る小学5年生

今現在、小学5年生が主人公の漫画を描いている最中ですので、四六時中その頃の自分の記憶にダイブしているのですが、E君というクラスメイトが当時おりまして。E君の存在が私には衝撃的だったのであります。というのも、他のクラスは不良とかケンカの強いやつが幅を利かせてそいつらがクラスの中心になっていたのですが、私のクラスはおもしろいやつが偉い、という明確な価値基準があって、その中心にいたのが間違いなくE君だったのです。彼はずんぐりむっくりした体型の、か細い声の少年で、性格もおだやかでしたが、抜群に笑いのセンスがあった。会話の切り返しがいちいちおもしろいのはもちろんのこと、自らの二重アゴを武器にして笑いを取っていたことに私は驚きました。それまで私は、自分の欠点は隠したり他人に気づかれないようにするものだと思っていたのに、E君はそれをあけっぴろげにして笑いのアイテムにしている。小5にして自虐的に人を笑わすという技を持っていたのです。世界をひっくり返されたような感覚でした。それから私はE君のとりこです。私以外のクラスメイトもE君の笑いのセンスに心酔しており(男子のみ)、E君と放課後に遊ぶのは予約制になっていたほどでした。運良く予約が取れてE君の家(地元で有名な会社の社宅)に遊びに行くと、家の中の遊び道具がやはり他の同級生とは違うんですね。他の同級生の家ではテレビゲームとかミニ四駆をいじって遊ぶぐらいしかなかったのですが、E君はお父さんの所有するムード歌謡のカセットテープを流して踊ったりするんですよ。腹がちぎれるくらい笑いました。もう素養が違うんです。E君のフィルターを通した世界はすべておもしろい。ちょうどその時期にE君のお父さんが勤めていた会社が倒産するんですが、それすらもおもしろい。新聞の一面に「○○倒産」と書かれた記事をE君が学校に持ってきて、みんなで爆笑しました。E君は倒産が決まった時の社長のコントを始めたりして、一番ふざけていました。
私はE君から「欠点も不幸な出来事も人を笑わすアイテムになり得る」ということを学びました。そしてそれは大人になった今でも、かなり深い部分で私を助けてくれる頼もしい価値基準となってくれています。私は死ぬまでこれを貫いて、人生を喜劇にして終わらそうと考えています。

その後、中学に上がるんですけど、あろうことかそのE君が没落してしまうのです。私とE君は中1でも同じクラス(10クラスあったのでけっこうな倍率)になって嬉しかったのですが、同様に小5・小6のクラスからYという男も同じクラスになりました。Yは大柄のデブで、完全に目が線になっている漫画のような見た目の男でして、私はYのことが好きではなかった、というより認めてなかったという方が正しい。Yも私と同様にE君のフォロワーだったにも関わらず、笑いをまったく理解していなかったんですね。とんねるずがテレビでやっていたことをそのままやって安易に笑いを取る、みたいな。ノリは良いから女子には受けますよ。YもE君をマネして自らの体型を自虐的にいじってましたが、Yの自虐には哀愁がないんです。ただ自分の欠点に触れているだけで、外野がそれに乗っていじろうもんなら本気で怒り出す始末。自らをデブと言いながら、自らのデブを絶対に認めない怪物。それがYです。私たちE君フォロワーの中でYは10番手ぐらいの評価だったと思います。
そのYがですね、中1のクラスで覚醒するんです。YもE君の笑いのガワは知っているものですから、それを使って他の小学校から来た新規のクラスメイトから「こいつおもしろいな!」と思われてしまうわけです。他の小学校から来た連中には「おもしろいやつが偉い」という感覚がなかったので、Yの存在がまぶしく映るのです。授業中も「先生、う○こ行ってきまーす」とか言って安易に笑いを取る。雑過ぎる。そこに自分なりの何かを加えてオリジナリティを生み出すことをなぜしないのか。おまえはE君から何を学んだのか。私は苛立ちを抱えながら学校生活を送っていましたが、心の中では「いつかE君の時代が来るだろう」と思っていました。そのうち他のクラスメイトもYが偽物でE君が本物であることを理解する。YはE君のガワだけ盗んだノリが良いだけのパクリ野郎。そんなやつの覇権が今後も続くわけがない。そう信じていました。
しかしそんな時代は訪れませんでした。すでにYがクラスの中心人物になってしまった状態では、E君が冗談を言っても「Yのパクリじゃん」という空気が流れるようになったのです。E君フォロワーの私たちはE君によって笑いのレベルが底上げされていましたから、Yと E君のレベルの違いをはっきり理解していましたが、他の連中はそれが見抜けない。そしてそのような現状からE君はスランプに陥ってしまいました。Yのような雑なことをやり出したり、クラスのレベルに合わせた話をしてすべったり。ちょっと見ていられなかったです。その後、私とE君は違うクラスになってしまいましたが、卒業まで元気な姿を見ることはなかったように記憶しています。
YによってE君は居場所を失ってしまいました。それも格下のYに。理不尽な話ですが、こういうことは大人の社会にもけっこう起きていることだと思います。昨今、トレパクやらパクツイやらが問題になっていますが、一番最悪なのは、パクった人がパクられた人より人気者になったりして、居場所を奪ったり無茶苦茶にしたりするところです。受け手にとってはそのアイデアの出処がどこにあるのかなんか知ったことではないですからね。それをいちいち調べるほど暇じゃないし。声がデカくて面の皮の厚い下品なやつが得をする。そしてそいつがそこに居座るせいで、ちゃんと才能のある人が浮上できなかったりする。
Yとは19才くらいの時にミニ同窓会みたいなところで一度会いましたが、おもんない男に仕上がっておりました。人の頭を叩いてゲラゲラ笑っているのを見て、こんなやつにE君は居場所を奪われたのかと思うとやり切れなかったです。私が今、人の作品をパクったりしないのは、この時のYの醜悪さを肌感覚で体験できたからかもしれません。そういった意味ではYにも感謝すべきかもしれないです。

以上が私の小学5年生の時の印象深かったエピソードです。当時のことを思い返そうとすると、これが真っ先に浮かんで脳を占領してしまい、漫画のヒントになりそうなアイデアになかなか辿り着けないという状態だったので、一旦ここにて整理して放出させていただいた次第です。また何かありましたら思い出を書き散らしに参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?