[短編小説]17
金曜の夜が特別に忙しいってことはないけど、やっぱりお客さんは週末に遊びに行くんだって話してくれる人も多いし、みんなお休みが始まるけど美容師は休めないから、なんかちょっと気分が沈む感じはする。
お店を閉めてエレベーターから降りると、エントランスの郵便受けがあるとこにアキちゃんが立っていた。暗いし背中を向けてるから顔は見えてないけど、あの後ろ姿は絶対アキちゃんだ。ハーフアップをバレッタで留めた黒髪。ブルーのストライプのシャツと、かっちりした黒いパンツ。白と黒のチェック柄のコンバース。いざとなったら人を殴れるくらい重いよっていつも言ってるベージュのトートバッグ。
「どうしたの?」
近寄って声を掛けたらアキちゃんは驚いて振り返って、手に持ってるものがぶつかりそうになる。
「ごめん、これ食べ終わったらLINEするつもりだった」
持ってたのはアイスだった。セブンティーンアイスの、チョコとバニラの混ざったみたいなやつ。半分くらい食べてて、溶け始めてる。
「生チョコティラミスだよ」
顔の前にアイスがやってきたから、ちょっとかじる。冷たくておいしい。
最近やっと夜が涼しくなってきた。昼間はまだぜんぜん暑くて、お客さんのお見送りするのにお店の外に出るだけで汗がワッと出る。アイスを食べるなら、今くらいがいちばんいい季節かもしれない。
アイスを食べ始めたアキちゃんの顔はいつもどおりでかわいい。けっこう酔ってはいそうだけど。大丈夫かな。会社の人と飲み会だから遅くなるって昨日の通話で言ってた。
「今日、場所とか確認してなかったんだけど隣の駅でさ。おひらきになった時間がちょうどタイミングよかったから、どうかなーと思って来てみたら、閉店準備してる雰囲気だったからさ」
「アキちゃん待ってるの知ってたら締め作業もっと速くやったのに」
ほんとは締め作業はそんなにショートカットできないんだけど。
「明日さ、早い?」
「ううん、お昼から。ヒロトさんもう戻ってるし」
アキちゃんは重たそうなトートバッグからコンビニの袋を取り出して、アイスの棒を捨てる。郵便受けを覗いたらポケットティッシュがひとつ入ってるのが見えた。明日でいいか。
「じゃあ、サイゼ行ってもいい?」
コンバースの片方をちょっと浮かせてフラフラさせながら言う。かわいい。
「いいよ」
わたしたちの聖地は西口のサイゼだ。青豆に半熟卵が乗ったやつ。辛味チキン。ニンジンの細切りのサラダ。ムール貝も。わたしもアキちゃんもサイゼに来たときだけワインを飲む。わたしたちの休みは絶対合わないから夜に会うしかなくて、最初の頃はオシャレなお店とかにも行ってたけど二人ともそういう感じじゃないねって気付いて、最近はトリキとかサイゼとか。そういうのが結局楽しいってことをわたしたちは知ってる。
「あっ、ここの自販機で買ったの?」サイゼの隣のビルの前にセブンティーンアイスの自販機があった。
「毎日ここ通ってるのにぜんぜん知らなかったよ」
「わたしは初めてミヅキのお店行ったときから気付いてたよ。買ったことなかったけど」
「好きなの?」
「うーん、普通?」
「わたしスイミング行ってたときよく食べたなあ」
サイゼにはいつもいろんな人がいる。隣のテーブルは、資格の教科書みたいなのを広げながらスマホで麻雀の動画を観てる男の子。アキちゃんはもうお腹いっぱいだって言うから、わたしだけ青豆のサラダとハンバーグプレートを頼む。目玉焼きが乗ってると嬉しさが何割増しかになる感じがするから不思議だ。ワインは白のデカンタの小さいほう。二人で間違い探しをやって、7個くらい見つかったところで満足してやめる。9個目からはもう意地じゃんって思う。
「さっきの飲み会でさ」
だいたい食べ終わるのを待ってたくらいのタイミングでアキちゃんが話し始める。
「映画の話になって。業者さんがね、映像制作とかやってる人なんだけど、前職でこれ関わってたんだって」映画のタイトルを言うかわりに、検索画面が開いてるスマホをこっちに向けてくれた。誰が聞いてるかわからないから仕事関係の固有名詞とかは声に出さないようにしてるんだよってアキちゃんはよく言ってる。わたしもお店の外ではお客さんの話は絶対しない。
「その人はお弁当とかの手配する係だったって言ってたけど。でもエンドロールに名前載ってるんだって」
「すごいね。かっこいい」
その映画は男性どうしの恋愛がテーマで、主演俳優の人はたしかこれで国際的な賞も獲った。なんていうか、けっこうちゃんとしたやつ。ベッドシーンが見たことないリアルな感じでびっくりしたけど、すごいよかったな。
「最近こういうの流行ってますよね、だってさ」
グラスに残ってた白ワインを飲み干すと、空のデカンタをじっと見ながらアキちゃんは続ける。
「わたしだって増えたなあとは思ってるよ。だし、言っちゃ悪いけど古い感じのとかキャッチーすぎて変なのはあるし、でもこれはそういうのじゃないし。ていうか、流行ってますよねって。流行りとかじゃないし」
そうだね。コーンの残ったのをフォークで集める作業を中断して、わたしは深くうなづく。わたしもお客さんに似たようなこと言われたことあったな、と思い出す。
「そういう設定にすると集客が見込みやすいんですかね、とか言うわけ。うちの上司が。女の人だよ? 百万歩ゆずって50過ぎたおっさんが言うならまだいいけど、いやよくないけど、そんなさ。その人やっぱ体育会系っていうかバリキャリ系の人ではあるわけ。あー、こっちにも敵いるじゃん、いや知ってたけど、とかさ」
こういうふうに怒れるのがアキちゃんの素敵なところだって思ってるけど、アキちゃんがいつもぜんぶ正しいわけじゃないってことも思ってる。言わないけど。
「だいたい、制作やってた人の前でそんな批判みたいな発言するの社会人としてどうよって感じだし」
わたしは怒るっていうのがあまりよくわかってなくて、でも指摘されたことの意味はよくわかるから「そうだね」って言う。そうだねって思ってる。連帯とかもわたしは得意じゃなくて、でもそういう話を聞くのは好きなんだってことをアキちゃんはわかってくれてるから、これでいいんだと思ってるけど、ほんとにいいのかなとも思う。わからない。
「その上司のことけっこう信頼してたんだけどさ。なんかもう、一気にきつくなった。別にもともと会社の人に話すつもりなんて微塵もなかったけどさ。ほんと無理。ぜんぜん世界進まないじゃん」そう言って、さっき飲み干したワイングラスをちょっと持ち上げてまた置く。追加の注文はしない。
わたしたちはこんなにいるんだから、あの人たちが今までに出会ったことないわけないんだよ。
ヒロトさんがパレードのムービーを見せてくれたとき言ってたこと。わたしたちがすぐそばにいるってことを知らない人がたくさんいる。いっしょに働いてたりするのに。
映画には、主人公が友だちのゲイの人たちと居酒屋で恋バナしてるシーンがでてきて、それがすごく素敵だった。恋人がいることと恋バナできる人がいることはぜんぜん違くて、わたしたちはこんなにいるけど、わたしにはそういう話ができる人はいない。ヒロトさんは上司だし、ぶっちゃけそんな喋りやすい人じゃないし。
ここにいますって言ったら、なにかは変わるんだろうか。
「ね、ティラミス食べていい?」
アキちゃんがちょっと落ち着いてきたから、わたしはメニューを取ってテーブルに置く。さっきのアイスのせいで、席に着いたときからティラミスが食べたくなってた。
「こっちのセットにする?」
「わたしはいいよ、アイス食べたし」
「サイゼのティラミスは本場仕様なんだって。リュウジが言ってた」
「じゃあ、ちょっとだけちょうだい」
わたしたちは二人でひとつのティラミスを食べる。ココアパウダーがたっぷり掛かってて、スポンジはお酒みたいなのがジュワッとしてて、不思議な食感がする。
「おいしかった」
「ね」
「高校の頃にさ」
そこまで言ってからアキちゃんは目を閉じて、ゆっくり息を吸って、吐いて、それからバチバチと音がしそうなくらい大きなまばたきを何度かした。隣の男の子が教科書をしまって帰っていって、店員さんがきて食器を片付けていった。
「高校のとき、めっちゃセブンティーンアイス食べてた時期あったんだよね。部活の帰りにイオンいって、ゲーセンの前のソファみたいなとこ座って。全種類コンプリートしようとか言ってたけど、途中でふつうに好きなの食べたほうがよくない?ってなった」
「部活、何やってたの?」とわたしは聞く。アキちゃんは昔のことをほとんど喋らない。
「軽音だよ。高校から軽音。ラッドのコピーとかしてた。tricotとかやりたかったけど田舎の高校生にはハードル高かったね」
「千葉が田舎なんていったら、ほんとの田舎が怒るよ」
「うーん、まあでも田舎だよ。イオンしかないし」
アキちゃんはお皿からスプーンを持ち上げて、それでまたお皿に置いた。スプーンの持つところを指先で触りながらゆっくり話し始める。
「よく喋ってた子がいたんだよね。なんか、音楽の趣味とか近くて。その子の影響で聴いたものいっぱいあった。部活やって、イオン寄って、ゲーセン冷やかして、ビレバンとかいって」
「うん」
スプーンを持って、また置いて。
「ごめん、ちょっと、言わなくていいこと言うね」
「うん」いいよ。
「その、その人が、初めて好きだなって思った人だった。その前にも、ぼんやりした感じのはあったんだと思うけど、はっきり恋愛感情みたいなのを自覚したのはその人。いっしょにセブンティーンアイス食べてさ、なんていうか、こう、この人といつもいっしょにいたいなあ、とか。うん。それで、まあ、振られたんだよね。そう。そういうのを、いろいろ思い出した」
アキちゃんはお皿に残ってるココアパウダーをスプーンで集めるみたいなことを始めた。カタッ、カタッ、って音がする。
「ぜんぜん、周りに言いふらされたりとかは、なくて。噂にされちゃってとかさ、やっぱ聞くから、でもそういうのはなくて。でも、すごい困らせちゃった感じとか、なんか無意識な感じに苦しいこと言われたのとか、覚えてて。それはやっぱつらくて。うん」
そうなんだ、ってわたしは言う。スプーンの音がカタッって鳴る。
「そういうのを思い出した。さっき下で話したときも、アイス買ったときも思い出さなかった。これ久しぶりに食べるなあとしか思わなかった。このへん来るたびに、自販機があるなって片隅で思ってただけで、思い出さなかったな。なんか急にそういうのって、ときどきない?」
わかる、とわたしは答える。
「そういうの急に思い出したとき、すごく突発的に死にたくなる。なんであんなこと言ったんだろうとか、あんなことしちゃったんだろうとか、そういう思考を飛び越えた速さで、一気に死にたくなる。それですぐに、そんなことで死ぬな馬鹿って、身体を拘束するみたいな金縛りみたいな感じにしてくる自分がいる。一瞬で。前はね、前は、もっと時間が掛かったんだけど、いまは大丈夫になった。そう、急に思い出したの」
うん、そうなんだね、とわたしは言う。
大丈夫だよ。
「アキちゃん。わたしアキちゃんのこと大好きだからね」
急だなあって言ってアキちゃんは笑う。
「ありがとう」
スプーンをお皿に置いて、わたしたちは店を出る。泊まってく?って聞くと、最高の笑顔で「いい?」って言うからわたしは嬉しくて、ぎゅって手を繋いで歩く。ずっとこうしていたいなと思う。
家に着くと、先にアキちゃんが「ただいま」って言って、わたしが「おかえり」って言う。そのあとわたしが「ただいま」って言って、アキちゃんが「おかえり」って言う。それから交代でシャワーに入って交代で髪を乾かしあって、アキちゃんの髪を触ってるときと、アキちゃんに髪を触ってもらってるときがいちばん嬉しい。いつものストレッチを二人でして、お店でやってる頭とか肩とかのマッサージをしてあげて、わたしもしてもらってお布団に入る。
もし、17歳のときにアキちゃんと出会えてたら、どうだったかなって思う。
それ、ミヅキが17歳のときってこと? わたし14だね。バスケやってたよ。
うーん、なんか変だけどね、二人ともどっちも17歳のとき。
なにそれ、SF?
そうかも。高校行けなくなってた頃のわたしと、軽音やってたアキちゃんが会うの。そのときわたしはまだ美容師になりたいとかも思ってなくて、何がしたいとかもなくて、好きな人もいなかったし、恋愛のこともよくわかってなかった。でも、
「きっと好きになったと思う。どんなふうに会っても」
ラブソングみたいなこと言うじゃんってアキちゃんは笑って、ほんとだねってわたしも笑う。こういうふうに子どもみたいに笑えるのはわたしたちが二人でいるからなんだなって思って、ずっとこうしていたいなって思って、手を繋ぎ直して、目をつぶってキスをする。
「おやすみ」
「おやすみ」
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