仕事に囚われすぎて、制限をかけすぎていたんだと気づいた瞬間。
こんばんは。今日は一段と冷えて、手も足もこおりそうですね。
さて、11/22~24の三日間、「まちづくりリノベーションスクール@ちば」に
参加してきました。
リノベーションスクールとは?
街に眠っている遊休不動産をどのようにリノベーションすると、どうすれば建物の立っているエリアの価値が上がり、地域を生まれ変わらせるのか、どのような未来になるのかをユニットというチームで考え、都市再生手法を学び、体験する場である。
実際に、遊休不動産のオーナーに事業提案もする。
学びの場であり、実践の場である。
株式会社リノベリングという会社が行っています。
3日間は、3つのユニットにわかれ、1ユニット1物件を与えられ、対象物件で「なぜここで、なぜあなたなのか、なぜ今なのか」を考えながら提案する事業を考えていきます。
なぜ、日本語教師が参加したの?
ずっと外国人がいる生活が日本でも当たり前になったらいいなーと考えていました。まちづくりをしている人はたくさんいて、「日本人」に住みやすい街づくりも
大切だけれども、「外国人」にも住みやすいって、これからの社会にとって切り離せないことだと思ってます。
「外国人が住みやすい街づくりしたい!」と言ってても
実際に街づくりって何をするの? どれだけ大変なの?とハテナがいっぱい
なんか、「本を読んでできる」感じではなかったし、実際に街づくりに携わっている人がユニットマスター(班長)がいて、たくさんお話が聴けるので参加しました。
スクール参加中に思ったこと
参加申し込みをするときから、「私なんかが申し込んでいいのだろうか。」と
ずっと考えていました。
まちづくりにはすごく興味があるし、できたらやりたい。
でも、建物が建てられるわけでもないし…
「日本語教師ができることとは」
参加中も「CADができる」「建築学科に在籍」「illustration使えます」「Photoshopいじれます」などなど・・・。
まとめるのが上手な人や会社経営していて経理できるなど・・・。
私、何ができるんだろう・・・・。と悩む1日目から
日本語を教えることしかできないと思っていたから。
このユニットメンバーに対して何ができるのだろう。
この物件で私は何ができるんだろう。
何もできないと思って、何ができるんだろうとずっと考えていて
一歩後ろから見ていました。
「日本語教師」と思いすぎていた
1日目のショートプレゼンを誰がやるのか。(1日1回プレゼンをします。)
「(人の前で話すのはできるな〜)私やります。」
日本語教師の仕事をしていると、その日の授業を組み立てているので
全体的に何をしなければいけなくて、何が要点なのかがすぐわかる。
プレゼンの内容も作りながら、人の話を聞きながらだったので、
大体のことは理解している。
しかも、30人ぐらいの前であれば、あまり緊張しない。
なんせ、4年間ずっと人の前で話してきたから。
私、できることあるじゃん!!!
やっと気がつきました。
主観的に「日本語教師」のことを考えすぎていて
客観的に、教師として何をやってきたのかが、見えなくなっていました。
2日目はちょっといろいろあって、落ち込んでいたのと、全体像が見えなかったので、メンバーにやっていただきました。
教師は「教える」仕事。
教える他に大切なこと、ポイントなどを「伝える」仕事でした。
「日本語教師として何ができるんだろう」とずっと考えていたけれども
「私は何ができるのだろう」と1回も考えていなかった。
私、個人。あー、見てなかったし、考えてなかった。
1人で勝手に「日本語教師」としてその場にいました。
スクールマスター(スクール全体の班長)が最初のお話で
「建築家だろうとなんだろうと仕事は関係ない。」と言っていた。
本当に関係なかった。
私は、細かい何かを突き詰めることは苦手。お金も苦手。
でも、アイデアをすぐに出せる。妄想ができる。妄想が得意。
人の前で話すことは得意。1歩後ろに下がって全体を把握できる。
これを見つけた瞬間、生き返りました。
これに気がついたのは、2日目の徹夜真っ最中、午前2時。
やりたいことをやればいい
最初にリノベーションスクールに参加したいと思った時に彼に相談したんです。
「日本語教師だけど、リノベーションスクールに参加できるかな?」
彼はこう言ったんです。「やりたいって思ったら、やったら?」
すっきりした!
本当にその通り。
最終プレゼンは公開プレゼンでオーナーさんやみなさんの前で話します。
しかも、Youtube配信。
事業提案を実践へと移すためにもプレゼンは成功させたい。
「私がこのメンバーの思いを伝えたい。やりたい。」
やりたいって思ったら、前に進む進む。
そういうことなんですね。
気づけてよかった
まちづくりリノベーションスクールに参加したはずなのに、
なんで、やりたいことがやれないんだろうと悩んでたことが
明確になりました。
しかも、得意なことも見えたし、苦手なこともわかったし
なんたって、町の新しい兆しも見つけられて、楽しかった!
「もうダメかも。」と諦めるのは、人も町もしないほうがいい。
0.01%でも新しい兆しはある。可能性も。
日本語教師だって、やりたいことをやればいいんだ。
日本語教師の前に1人の人間として、やいたいことをやればいい。
日本語教師もやりたいことの一つだし。
制限なんてなんもない。
やりたいことをやらないと続かない。
ほっとして
モヤモヤしていた何かと、締め付けていた何かが取っ払われて
自由だなーと感じた。