3.11から8年。
2011年3月11日から、8年経ちました。
私が秋田にまだいたころです。
高校2年生の春休み前。
模擬試験が終わり、ベネッセの人のセンター試験についての話を聞くために、体育館にいました。
14時46分。地震が発生。
学校で1番新しい体育館なのに、壊れそうな音。
天井にはめ込まれている電気が落ちてきそうでした。
『地震が収まったから、クラスに戻るぞ。』
クラスに戻る途中の渡り廊下は、
コンクリート校舎のはずなのに、土煙に覆われて、所々に破片が落ちていた。
『家族に連絡が取れた人から帰りましょう』
先生が廊下で拡声器を使い話していた。
親に連絡はするものの、繋がらない。
親に連絡がついたのは15時30分。
地震が起きて、クラスに戻ってからも余震は続きました。
家族に連絡がついたので、帰宅する。
帰宅する途中にある、工業高校。
体育館が全壊。グランドは液状化し、海のようだった。
電気が復旧したのは、1週間後。
水もそのくらい。
鳴り止まない緊急地震速報。
私が大きい音などに、敏感に反応するようになったのは、この頃からだと思う。
2011年4月。石巻市へ震災ボランティアへ。
何もかもめちゃくちゃだった。
津波は、希望も夢もすべて消し去っていた。
火災で燃えた学校
倒れたタンク
泥の書き出しに行った産婦人科の一階。
石巻市立湊小学校。避難所になっていました。
湊小学校のグランドにあるフェンスの上には
津波で流された車がのっていました。
私が伝えられるのは当時の現状です。
今でも忘れられません。
避難所で炊き出しをしたり、子どもたちに英語を教えたり、遊んだり。
子どもの目にも希望は見えないくらい、悲惨な環境でした。
復興はまだまだ『進行中』です。
どうか、忘れないでください。
そして、津波を侮らないでください。
私は8年経っても地震が来るとどんな大きさでも恐怖が襲います。
緊急地震速報は耳を塞ぎたくなります。
私の中にもトラウマとして、残っています。
たぶん、癒されないのかもしれません。
人間は自然には勝てません。
でも、準備することはできます。
この日を機会に避難経路や避難場所などを
ご家族でご確認してください。
人は自然には勝てません。逆らうこともできません。
でも、準備をしたり、人と支え合うことで
乗り越えることはできると思います。
どうか忘れないでください。
#PRAYFORTOHOKU
#20110311
#東日本大震災