「普通」なんて存在しない
年末が来る少し前、私は、前の職場の先輩に誘われて、たこ焼きパーティーなる物に招いて頂いた。
誘って頂いたN先輩と私を含め、5人と旦那様2人(N先輩と5人の中にいたS先輩は新婚さん)の計7人で開催された。
隣同士で話したり、新婚2組の仲良さそうな姿を見ながら、ほほえましくなったものの、私には縁のない世界だとぼんやり思ったりもした。
確かに昔は、あこがれていたし、それが「普通」だと信じて疑わなかった。
幼い頃、従姉妹の結婚式に参列した際、新婦である従姉妹のドレス姿を見て、美しいとか綺麗とか、語彙力がなさ過ぎて、ありきたりな感想しか持てなかった。
しかし、以前の記事にもあるように、幼い頃から男子にいじめられたり、一緒にいれば、茶化され、根も葉もない噂も立ったりしたので、私には「普通」の結婚どころか恋愛なんか遠くて気持ち悪い世界だと感じた。
詳しくは分からないが、現代では、同性同士でも婚姻相当の関係になる同性パートナーシップ証明制度が各地で導入される等、マイノリティに関する整備が少しずつだが進んでいると感じている。
「彼氏」なんて無縁の世界だ。
少し前までは、そう言って笑っていられたが、内心「その男性が好みに合わなかった、ではなく、もっと別の所に理由があるのではないか?」と漠然とした疑問を持つようになった。
そして、Lだと気付いて、彼女のことが好きだと思った時、彼女を愛し、Lとして生きていこうという大きな決意とともに、恋愛に対して、楽に考えるようになった、はずなのに。
何故私は「普通」じゃないんだろう、何処で間違えたんだろう。
笑い合う2組の様子を見て、そんなことを考えてしまう自分が嫌になった。
5人の先輩方の中にいた同い年(入社時期が私より1年早い)のT先輩には、彼氏がいる。
在職中に彼氏と何処かに出掛けたという話も少しだが、度々聴いていた。
さらに言えば、前職の職場には、圧倒的に女性が多く、ほとんどの人が異性同士の恋愛経験者で、中には既婚者もいた。
休憩時間には、誰かしらが旦那さんや彼氏さんの話をしていたのを覚えているし、「結婚」の現実を改めて知ったりもした。
新婚2組から感じ取った仲睦まじさや幸福感は、「普通」の恋愛が出来ない私にとって、彼ら・彼女らと全く同じ条件でしあわせを得ることが出来ないという点では、まるで高嶺の花に見えた。
「憂鬱」でもなければ、「あこがれ」、「嫉妬」、「絶望」でもない。
現実だと分かっているし、もう「「普通」の恋愛」はしないと決めているし、この先、いくら推しであっても恋愛感情は抱かないだろうと感じている。
それでも(語彙力がないからだろうけど)、この感情を人様に説明するのに名前が欲しかった。
そもそも「普通」とは?
世の中の恋愛は、異性愛が当たり前なんて誰が決めた?
誰かの言葉や暗黙の了解、雰囲気、空気に自然と押し付けられただけではないのか?
人類が男女だけに大別されなくなって、同性愛が知られるようになってきた現代からすれば、異性愛も同性愛もその他の性的指向であっても「1つの恋愛のカタチ」に過ぎない。
それに、平凡だろうと波瀾万丈だろうと愛に飢えているとしても世界中の何十億もの人間が誰1人として他人とまるっきり同じ人生を生きてきた訳じゃない。
性別や恋愛、人生、しあわせ等に「普通」なんて存在しない、「1つのカタチ」だと考えているし、人はそれを「個性」と呼ぶのだろう。
しかし、今の彼女と別れたいなんて一切思わない、思ったことがない。
私と彼女が見る世界が別々のものになってしまうなんて。
しあわせ絶頂期の今、そんな世界なんか見たくないと感じる。
絶頂期だからこそ、不安にもなる。
彼女が寛容だからなのか、1度もしたことはないが、喧嘩してもう帰ってこなかったら?
2人がはじめて会う日までに別れてしまったら?
そんなことはないと言い切れる訳でもないし、未来に何が起こるか分からないからこそ色んなケースを考えてしまっては、怖くなってしまう。
私が不器用なせいで、散々人様にご迷惑を掛けてきた訳だが、家族もその例外ではない。
「彼女と付き合ってる、いつかは一緒に住むつもり」と言ったら、動揺するのは想定内なのだが、受け入れてくれるかは定かではない。
それでも2人ともここを超えないと私達は一緒になれないし、いつまでも夢ばかり見てないで、現実にしなければいけない。
この関係が終わったら、私の人生も終わると誇張や冗談抜きで思ってる以上、単なる「若気の至り」で終わらせたくない。
かくいう私は、職探しの傍ら、何年先になるかも実現するかも分からないのに、一緒に暮らすにあたり、某所の物件を検索したり、色々と閲覧していて、同性の共同生活について調べたりしている。
そうなると、運転で行ける距離を重視する他、職探しも今まではろくに見てもいなかった給料にも着目して探すようになった。
今まで何となく流れで生きてきた感じだが、彼女の隣にいる人間として、年上として、ちゃんとしなきゃいけない。
心から愛せる恋人が異性じゃなく同性だったとしても、私はしあわせだ。
好きになる性も自認する性も「自分がよく分かっている」し、人生の分岐点もしあわせの価値も「自分にとって価値のある方を選び取る」。
不器用でも、迷ったり悩んで立ち止まったとしても、「自分」も「自分を取り巻く方々との縁」も大切にしていけるような人間になっていけたらと感じる今日この頃である。
おまけ
たこ焼きが焼けるまでの間、switchをお借りして、「マリオパーティー」やら「マリオカート」等をやっていたのだが、「Ultimate Chicken Horse」というゲームが1番面白かった(し、特にヒツジがキャラ的にツボだった)ので、密かに購入を考えていたりする。
1人でもプレイ出来ると書いてあったが、いわゆるパーティーゲームで、1人でやると虚しくなるらしいし、常に金欠状態なので迷っている所だ。