3年3ヶ月勤めた派遣会社を退職した話
事のはじまりは、7月下旬。
8ヶ月在籍した派遣先を去り、次の派遣先であるゴミ処理の仕分(ライン作業)の仕事をはじめた。
その派遣先の仕事内容は、単調な仕事を好む私にとって、性に合っていたように思えたが、挙げれば止まらないほど、環境はブラックだった。
作業場がめちゃくちゃ暑い
酷暑と言われる昨今、空調服やスポットクーラー等の対策はしてくれていたのだが、それでも脱水か熱中症になるんじゃないかレベルで暑かった。
水筒も持って行ってたが、0.36Lとあまりにも容量が少ないので、マジで買い替えを検討した(悩んでるうちに夏終わったので、来年の誕プレにでもしようと思った)。
自販機なし
これだけ暑いのに、自販機の1つもないとかどんな企業なん!!?と疑った。
というか、普通にあるのが当たり前だと思っていた。
スマホの電波が届かない
山の中だからである。店なんか1つもない。
Twitter開いてもTLは表示されても、画像がずっと出ない状態。
スマホを再起動しても結果は変わらなかった。
ただ、何故かTVは壁掛けで設置されていた。
女子トイレ 和式2つに洋式1つ
運が悪ければ、和式を使うことになる。
時代は令和だというのに不便すぎる。
きちんと手入れされているだけまだ良い方である。
作業場内 耳栓必須&手袋2重
耳にはめるタイプのイヤフォンが苦手な私にとって、結構しんどかった。
意思疎通も声を張るかジェスチャーかのレベルで轟々|《ごうごう》とけたたましく音がする。
手袋が2重なのは、ガラス片や注射針による怪我するのを防ぐためだという。
ただ、装着にえらい時間が掛かり、完全にはめられないまま、作業再開の時間を迎えてしまうことが多々あった。
しかもその手袋が何種類もあって、どの作業でどの手袋を使うのかを覚えるのに時間が掛かった。
駐車場から職場まで約5分、さらに駐車場も狭く虫が多い
言葉だけ書くと、そんなん普通やんと思うだろうが、問題はそこまでの道である。
駐車場に行くなら、坂を登って、左に曲がり、またさらに坂を登る。
しんどいと思うのは、運動不足+酷暑というだけではない。
ちなみに駐車場に行けば、ちゃんと電波が届く。
毎週のように土曜出勤があった
休めばええやん、と思うかもしれない。
月に何日、と指定休を取って良い日数が定められている以上、そういう訳にもいかなかった。
しかもその日数を守らなければいけない。
何なら、人がいない日には休みを取ってはいけないし、(これは記憶が朧気なのだが)年末年始も休みがないと来た。
いつか身体を壊すのではないかと思うほど、過酷だった。
残業がないのは救いだったが、「環境」というのは、実に重要で、甘く見てはいけないと認識した出来事だった。
そんな話を母親にした所、「今すぐやめてくれ」と言われた。
「今すぐ」ではなかったものの、私もそうするつもりだった。
この時、Hakubi主催の夏フェスでSHE'Sも出演する「京都藝劇」|《きょうとげいげき》に参加するため、京都に行く予定が入っていた。
その「京都藝劇」までとりあえず頑張ってみて、それでもしんどかったらやめよう、と決めていた。
その考えは、どうやら甘かったようだ。
母親は、ほんの少しだったが、私が生まれる前に求人の仕事をしていたそうだが、私の話を聞いて「3本の指に入るほど酷い環境」と驚いていた。
19時台ということもあり、今ならまだ間に合う(何ならダメ元でこの時間に電話したら出てくれた)とスマホを手に取り、派遣担当者に「申し訳ありませんが、」と電話を入れた。
それでも、「土曜が休みだったら良いの?」と食い下がる。私は断った。
それで話は終わると思った。
その派遣会社は、人材派遣事業とともに警備事業も行っている。
今度は、「今、派遣出来る企業ないから、警備やらないか?」と勧誘を受けた。
母親に話したら、「危ないから」「あんたみたいな身体も気もちっちゃい人間には向かないから」と猛反対された。
私は酷く迷った。今年1番迷っただろう。
担当者も良い人だし、「残ってほしい」と言ってくれている。
「派遣から警備行った人はたくさんいるし、また派遣に戻ることも出来る」と助言をもらった。
3日経たず(過去最短)で仕事をやめた私は、25時に寝て7時半までに起き、スマホで求人を見つつ、気分転換に小説書いたり、楽しみにしていた「京都藝劇」に行ったりと何となく日常を過ごしていた。
後日、提示されたのは、ホテルのベッドメイキングの仕事。
但し、仕事が午前中だけなので、保険を抜けなければならない。
さらに私には、数年前のことがあって、懸念していた。
あの時に「向かないんだ」と悟ったくせに、「今だったら」「そのホテルじゃないから」と希望持っちゃってる自分がいた。
「話聞くだけでも」と誘われて行った警備部の偉い人から聞いたことを母親に伝えても、依然として気が変わらないままだった。
それでもこの派遣会社に残りたかった。
が、もう叶わないんだと諦めがつき、自分の無力さを痛感しながら、8月下旬、私は3年3ヶ月いた派遣会社を去ることにした。
多少の後悔や未練はあるし、派遣先を転々としたが、あの派遣会社に入って良かったと思ってることは今でも変わらない。
現在は、新しい派遣会社に移り、木材加工の仕事に奮闘している。
誤って材料の端で手のひらや指を切ってしまったり、材料を押さえる所に左小指を挟んでしまったり(1週間で治った、人間の再生力って凄い)、色んな失敗を重ねながらも初日よりは作業スピードが上がっている(と思っている)。
また、スマホの電波も入るし、設備もそれほど悪くない。
人もそれなりに良い。「ちょっとしんどいすねぇ」なんてぽろっとこぼした時、「無理しないでいいから」と言ってくれた。
近くのセブンには大変お世話になってる(元々コンビニはセブン派なので、近くにあるのを知った時は歓喜した)。
土曜出勤も月2、3回くらい(出てる人あんまいないように思える)。
残業はあるにはあるけど、そんな長くないし、強制じゃない。
今週は土曜出勤あるけど、また明日からも頑張らなきゃ。
推しのために(え?)(動機不純にも程がある)
さて、ちょっと余談。
ゴミ処理場に派遣された時、同時期に入社したYさんという女性がいた。
年齢は聞いてないが(まず聞くな)、私より上だということは分かっている。
これは担当者から伝え聞いた話だが、私が担当者に「やめます」と電話した次の日ぐらいに、私物のスリッパとマッキーを置いてきたことを思い出して「取りに行きたい」と電話した時のことだったと思う。
「Yさんが無断欠勤した」と嘆いていた。
彼女が入社前の見学の帰りに、「土曜は休ませてほしい」と言っていたことを思い出した私は、大層驚き、担当者に尋ねた。
その日の朝、「Yさんが来ない」とてんやわんやしており、担当者が彼女に電話した所、「続けられる自信がないので、やめます」と返ってきたという。
「皆やめちゃうんだよね」とため息をついていたが、あんな環境じゃやめたくもなるよな…と今になって思った。
もう1つ。
基本、昼休みは車の中で過ごしている私。
ゴミ処理場に派遣された初日の昼休みも車に行こうと思い、(一応、)上長に確認したら、「行っても良いけど、車多いから気を付けてね」と何だか不思議そうにしていた。
2日目辺りの午後の休み時間に先輩から、「昼休み、煙草吸いに行ってるの?」的なことを聞かれた。
「いや、違いますけど…(そもそも煙草吸わんし)」と戸惑いながら返した私。
そんなに1人でいることが変なんだろうかと思ったが、確かに昼休みに車で過ごしてるのはどうやら私だけだったようだ。
昼休みは、労働時間の中で長時間1人で静かにのびのび出来る最高の時間だと思っている。
人は好きだが、職業上、長くいられる訳じゃないので、人間関係はなるべくライトでいたい。
そんな私にとって、携帯の電波もつながらない所でずっと誰かと昼休みを過ごすなんて、「皆と一緒」みたいな圧を掛けられているようで、奇妙な嫌悪感を感じた。
そういう面に関しては、(平成生まれだけど)昭和の嫌な所だけが残っているような感じがした派遣先だった。