「普通」の恋愛嫌悪症

この記事は、話題が脱線したりと文章がとっちらかっているので、普段の倍以上に読みにくいことをご了承下さい。

先月、この記事を書いたが、その中で書いた「この感情に名前を付けるなら」と何度かふっと考えることがあった。

リンク先の記事を書いた時、思い出せなくて書かなかったのだが、解散した時にT先輩が「今度は彼氏と一緒に来ますね!!」と嬉々とした文章がグループLINEに送られてきたことを思い出したら、心が少しだけちくりとした。

考え出したきっかけは、僕のフォロワー様が結婚報告を行ったことだ。
勿論、凄い嬉しかったし、これから先の2組のしあわせを願った。
さらに、この前、祖父の一周忌で身内が集まった際、従姉妹――幼い頃から良くしてもらっていた――から10月に挙式するとの報告があった。

でも、心の奥底では、何だかモヤモヤしていた。
名付け出来ない負の感情が。言葉で表現し得ない暗い感情が。
実際、従姉妹の挙式の話を聴いた時、素直に嬉しいのに「おめでとう」のひとことも言えず、携帯のカレンダーで挙式日を確認するフリして、欠席したいと拒否反応を起こしていた。
フォロワー様達、というか結婚を決めた新郎新婦に対して、ではないことだけは言える。

とりあえず、ありきたりな表現から、この気持ちを分析してみる。
「辛い」「さみしい」「イライラする」「悔しい」…どれもこれも違っていた。
言語化しにくいほど、心の奥で引っ掛かっていて、複雑だった。

そうだ、僕は「苦しい」のだ。
誰が催促した訳でもない(父親にはそれっぽいこと言われているが)。
「一般的」な恋愛が出来ないというのは、人の目が気になる僕にとって「苦しい」のだ。
そのホントの「苦しみ」はきっと、言葉を選んで説明しても、他人から理解を得るにはなかなか難しいだろう。

いわゆる厨二病的な意味ではないが、恋愛に対する他人との感覚の齟齬・相違があることは自覚している。
僕が変わり者だというのもあるが、ひとりひとり違って当然だし、何なら変わり者という人物は存在しないのではとも思う。
だが、自分を特別視している訳でもない。

そして、恋愛が出来ないというのは、自身は勿論、他人をも「苦しめる」気がする。
その代表格が家族、特に「普通の結婚」を願う両親だ。
でも、2人で愛し合っていて、これからの生活を豊かによりよくするための選択なら、別に異性じゃなくても良くないか?
世間が、法律が、異性との結婚にこだわるのは何故?

そもそも「女のしあわせ」は、結婚――「1人の人間」として好きになった異性との交際――なのか?
それなら「男のしあわせ」は?
結婚したくても出来ない人とか異性や結婚に興味ない人間は、しあわせにはなれないとでも言うのか?
周囲から見たら、ちっちゃい物であろうと、本人が思う「しあわせ」の定義に適っていれば、それで良いのでは?
その「しあわせ」の定義に他人が異を唱えるのはタブーではないだろうか。
思考が歪んだひねくれ人間――結婚の話題ではないが、母親の言い分に刃向かうこともしばしばだ――なので、こんなように法律で定められた結婚には疑問や反発が生じている。

現代は理解が進んでいるが、結婚はおろか、同性の恋人を持つことを絶対的に許されてる環境じゃないから、「苦しい」のだ。
極端に言えば、憎しみや復讐心といった感情の源になるのだろう。
この世の何割かは理不尽で出来ている、って誰かが言ってました(言ってません)(某ドラマのネタです、分かった人はエア固い握手で←)。

これは、友達にも当てはまることだと思うのだが、一緒にいて楽しくて、「しあわせ」だから、一緒にいるのではないだろうか。
「ずっと一緒にいたい」という欲と願いが強くなり、「2人」の力でその先にある「しあわせ」を掴もうとするのではないだろうか。
その「2人」が異性か同性かなんて無関係だと僕は思う。

その「しあわせ」を異性同士では感じなかったというだけなのだ、僕は。
ただそれだけのことなのに、僕自身が望んだ訳でもない「異常」――敢えてそういう言い方をさせてもらう――に、何故これほどまでの「苦し」められなければいけないのだろう。
嫌なことはしたくない性(さが)なので、これから先も男性と付き合うことも結婚することも一生考えないし、むしろ考えたくないのだ。
一緒にいるという未来も描けず、男性に対する恐怖心も拭えないでいる人間に「普通」の結婚を強制しないでほしい。
元々好きじゃないのに、突起物のように「現実」を目の前に突き付けられる度に自分を嫌いになってしまう。
八つ当たりみたいに聞こえるだろうが、ある意味、気軽に「同性で付き合ってる」と言えない世の中のせいでもある。

ここ最近、恋愛的に異性を好きになれるという点で「普通の」人間に生まれてたら、と思うことがあるが、今の僕が「同性愛者としての」僕なので、やっぱり考え付かず、ぱたりと何の答えも出ないままやめてしまった。
これまで「異常」だ「呪縛」だとさんざん言ったが、最近、「同性愛者としての」自分を好きになりつつあることに気付いている僕がそこにいる。