FF13考察② / 神はどこに消えたのか?
もし、全ての表現に意味があるとしたら。
『FINAL FANTASY XIII』を擁するシリーズ「ライトニングサーガ」は、とある神話プロジェクトに組み込まれている。プロジェクトからは、サーガ群を含め計五作品がリリースされたが、しかし肝心の神話は不自然なほどに広がりを見せなかった。
◾️FF13の違和感
皆さんは「FF13」というタイトルが、終盤にかけて不審な点を多く残していたことに気がついただろうか。今回取り扱うテーマの本筋とは異なるものの、考察を進めていくためにも、前提として幾つかの疑問点とファブラ神話という枠組みが抱える問題点について言及しておく必要がある。
以下箇条書きと、また内容は公式資料集の知識を含んでいることを付け加える。
4/5
ファブラ神話が公開された当初に発表された五柱の神のうち、五作品をかけて登場しない神(ムイン)がいる。ファブラ神話が産んだもの
公開されている記事やインタビューによると、2003年の段階で「13」「ヴェルサス13」の構想があったようだ。2004年に神話が策定され始めたようだが、その後に生み出された作品は「零式(アギト)」とサーガ群の続編のみ。
本来であれば、初期に神話を共有していたはずの「15(ヴェルサス)」を含む横の繋がりにその要素が色濃く表れるはずだが、実際にはサーガ群、縦の繋がりが神話要素を補完していた。
またサーガ群は、バッドエンド(13-2)→グッドエンド(LR)の流れを有するため、実質的にはまとまった作品としてカウント出来てしまう。評価を受ける際もシリーズ全体を通して総括されがちであるため、単一の作品として「13」と対等に扱うことは困難だ。
加えて「13-2」は、シリーズで唯一「秩序・混沌」の対立を主軸に描いない作品でもある。前面に押し出されていた対立は「時間の有する世界・時間の無い世界」であった。神のグレードダウン
作中で描かれる世界の半分(下界)と同じ名を冠する神「パルス」と対となる神「リンゼ」は、続編に登場するラスボスが扱う武装へと降格され、その存在感が圧倒的に希薄になっている。
また『FFXIII ULTIMANIA Ω』の考察では、アニマの撃破直後に現れる、名前の無いファルシをパルス神と想定しているが、このファルシの設定画は何故か同書では閲覧できない。
(対となるリンゼの容姿に至ってはそもそも言及されてすらいないため、整合性補完のために幾つかの資料を意図的に掲載していない可能性が高い。)アークの役割
ルシの力を覚醒させる役割を持つというアーク。ルシが覚醒し召喚獣を使えるようになるのは、決まってキャラクターが強い葛藤を抱く場面であるため、アークには「ルシを葛藤させる」役割があると考えるのが妥当だ。
しかし、ダンジョンの様相はまるで地下鉄道の駅に見え、上述した要素との結びつきがない。アニマの役割
下界のファルシであるアニマは、資料によるとヲルバ郷にあったとされるが、これはおかしい。その場合600年間、下界で従事すべき役目を放棄していることになってしまうからだ。この説明では、役目を果たせなくなり対抗策を講じていたバルトアンデルスと矛盾する。
コクーンにいることで役目が果たされていた、つまり元よりコクーンに存在するべき物として創造された、とした方が自然である。設定の踏み倒し
公式の考察によるとシド・レインズは、倒された後にバルトアンデルスのファルシ独自の力で別の場所へと転送され、本物の傀儡になったとされている。
しかしバルトアンデルスは他者を騙す力に長けてはいても、他者を支配する能力は持っていないはずだ。後述するルシとファルシの「相互監視体制」の考察からも、バルトアンデルスが使命以上の影響をレインズに与えることができてしまうと、世界の均衡は崩れる。
何より神の手から逃れようとした男の結末としては、彼の最後は余りに残酷だと言えるため「レインズは自分を信じ消滅した。後に登場したものはバルトアンデルスが生み出した幻影である」と考える方が好ましい。バルトアンデルスのモデルとされる北欧神話の神ロキには、他者の姿を変化させる能力も存在するため、一応の筋は通るはずだ。11章の違和感
作中11章は、コクーンを離れて下界を探索する内容となっているが、なぜか行き先にコクーンが浮かんでいる。まるでコクーンに帰ろうとでもしているかのようで、展開と画面が矛盾している。
また、シ骸に「使命を果たせない後悔から石碑(冥碑)になる」という設定が生まれるが、同じ境遇のシ骸がコクーンには存在していない。
11章は、マップ構成と共にゲーム性が大きく変更された章でもある。本来「13」は、終始一本道のゲームになる予定だったことが判明している。制作が進む過程で開発ハードの変更、ファブラ神話との合流、PS3低調によるxbox展開とその最適化によるデータの削減(三割程度削られたとの記載あり)等の諸問題を抱えた結果、シナリオ兼Dの鳥山はストーリー体験にリソースを割く判断を下したと語っている。逃避行が中心の物語とリニアな体験は親和性が高く、予定通りであれば寄り道は無いはずだった。
しかし実際には、11章にて唐突に舞台がオープンフィールド化され、また上述したシナリオ上の矛盾も発生している。シナリオを兼任していた鳥山の判断が、開発後期に至って棄却されたと考えるべきだろう。下界のファルシの違和感
コクーンのファルシには「人間の養殖」という統一された目的があることが分かり且つ矛盾しないのに対し、下界のファルシの目的は統一性がない。
ファブラ神話視点では、下界のファルシの目的を「大地を拡げて神に繋がる門を探す」こととしているが、該当しないファルシ(タイタン)がいる。ダハーカに至ってはパルス神のアクセサリーという設定であり、下界での活動にどのように貢献するのか見当がつかない。エトロ文字
エトロは続編の要素だ。作中には三つの文字(コクーン・パルス・エトロ)が存在し、エトロ文字は召喚獣の魔法陣に描かれている。しかし、もともと魔法陣にはコクーン文字が使われる予定だったようで、ここでも仕様変更が見られる。シナリオライターの愚痴
作中ではシナリオライターの愚痴とも取れる台詞が存在する。「うちらがここにいた頃は、無かったよなあこんなもん」。台詞はファングによるもので、作中で唯一続編に繋がる要素が言語化される直前のものでもある。まるで「続編を作る予定なんて、無かったよなあ」と言わんばかりだ。
不思議なことに、これらの不可解な点は終盤10章以降に集中している。
ここで、本作のシナリオ兼Dを勤めた鳥山求氏のインタビューについて言及する。
4Gamerの記事によると、新ハードのスペックに応じた制作環境の変化により、シナリオを途中変更した場合の制作への影響が大きくなったと述べられている。当然の帰結として「シナリオの途中変更が難しくなった」とも語っており、開発初期の段階で土台を固めておく必要があったとのこと。
もし神話が開発初期から組み込まれていたのならば、上記の違和感が存在すること、殊更終盤に集中していることは有り得ないということだ。
これまでに挙げた例は、何かを証明する証拠としては不十分かもしれない。しかし「本来FF13に続編は存在せず、一作で完結する予定だった」という可能性を導き出すには、十分なように思える。
あくまで可能性に過ぎないが、その場合作中では神である「リンゼ」と「パルス」の目的がほとんど言及されていないことになる。とすると、ある時から行方を眩ました神は何を目的として、どこに消えたのか。また、ある時とは作中の時系列においていつ頃に当たるのか、考察の必要があるだろう。
◾️神の目的
二柱の神「リンゼ」と「パルス」の実態について、作中で語られることは余りに少ない。そのため突飛な憶測に頼ることを許してほしい。
・リンゼの目的
まずは、コクーンのファルシを生み出したリンゼの目的から考察していこう。上述した通り、リンゼの目的は「人間の養殖」であり、育んできた人間が死後に生み出すクリスタルの欠片を欲していたことが、バルトアンデルスの発言から判明している。
ここで問題になるのは、作中で「光」とも表現されるクリスタルの欠片の正体の如何であり、私はこれを魔力であると考察している。
理由として、魔力を行使する存在の顛末が似通っていることが挙げられる。
魔力を扱うファルシの一体であるアニマは、その機能を停止した際にビルジ湖をクリスタルに染め上げていた。同じように、魔法を使えるようになったルシに与えられた2つの結末は、どちらもクリスタルに纏わる形(クリスタル化・シ骸化)をとっている。
またキャラクターが新たな魔法を獲得するためのスキルツリーの名称が「クリスタリウム」であることからも、魔力とクリスタルの間に何らかの結びつきがあることが分かる。
またファルシや魔物は当たり前のように魔法を行使するのに対して、同じ世界を生きる人間だけが例外という設定にも違和感がある。
例えば人間がルシにされた際に、命令元であるファルシに魔力を与えられていたとして、生まれながらに魔力を扱える魔物には本来その素質で劣っていると考えるのが自然だ。けれども、人間は「召喚獣」という魔物と比べても遥かに高度な手段で魔力を運用している。
もし、人間にも生まれながらに魔力が備わっているのだとしたらどうか。全ての人間が魔力を溜め込んでいる状態は、魔力を欲する神の思惑と一致する上に、人間に魔力を扱う潜在的な才能があることにも説明がつくだろう。
以上の根拠から、本考察ではリンゼの目的が魔力を得ることであるとする。また、なぜ魔力が必要だったのかについては、最もシンプルな考えとして「足りていなかったから」とするのが妥当だろう。
・パルスの目的
次にパルスの目的についてだが、これを推し量るのは困難極まる。というのも問題点の項目で示した通り、パルスのファルシの様子からは、神から与えられた全体の命令を推測することが出来ないからだ。そのためファルシの仕事の成果とも言える「下界の大地」を元に考察していく必要がある。
原始的で青々とした大地と、そこに暮らす野生的な魔物という限られた要素から、私は二つの考察を思い浮かべた。
一つ目は「食料資源の確保」だ。多くの植物が自生し、魔物も多種多様ならば、神の目的が食料資源の確保であっても不思議ではない。またこの説ならば、魔力をエネルギー資源とした場合の対比にもなる。
ただ、この考察には問題点も存在する。コクーンで食料の生産を担っていたカーバンクルのダンジョンを思い出してほしい。生産されている食料のテクスチャは「苔らしきもの」と「レタスらしきもの」の2つのみだった。オートクリップには「植物性の素材とタンパク源」と記載されている。
次にライトニングの誕生日での食卓を観察すると分かるが、そこには数多くの料理が並んでいて、資料集に目を向けると肉料理らしきものも確認できる。食糧生産を一手に担う食糧庫からでは確認できない素材を使った料理が、広く行き届いている様子が窺える。また、パルムポルムにある商店の看板には牛や豚などが描かれながら、それらの動物は作中で登場しない。
以上のことから、ファルシには食料加工の能力が備わっている可能性が高いと分かる。あらゆる栄養を含んだ完全食を、肉や生クリームなどに見立て加工することで人間的な食卓を演出しているのではないか、と考察できるわけだ。
もし加工技術が存在しているのなら、当然神の世界にも完全食があると考察出来るため、食糧難に陥っているとは考え辛い。また、ライトニングたちの世界では描かれない動物や、思いつくはずのない料理の知識が存在していることから、神の世界の住人が、私たちの世界と似通った価値観を持っていることも考察できる。
食料資源が目的ではなく、また食用となる動物が存在しないならば、残った要素は植物のみだ。
ここから二つ目の考察として、植物が生み出す「酸素」が目的である可能性が浮上する。
上記の説で、神の世界が私たちの世界と似ていると考察をしたわけだが、神の文明レベルが地球文明より遥かに進んでいることは想像に難くない。私たちの暮らす地球ですら、森林伐採を始めとした環境問題が喫緊の課題とされていることを鑑みるに、先の段階にある神の世界では自然が失われ、酸素を必要とする状況に陥っていてもおかしくはないはずだ。空気中の二酸化炭素濃度が濃くなると温暖化が進むことから、酸素濃度を調節して気候を整えようとした可能性もある。
また植物を養殖するために大地と水を整えると考えれば、少なくとも2つのファルシ(アトモスとビスマルク)の行動にも整合性がとれる。
リンゼの目的が「人間の養殖」であることの対比として、「植物の養殖」は釣り合うだろう。
・神の過ち
神は魔力と酸素を欲していた。
植物が存在する限り酸素は生まれ続け、人間が世代を繰り返す限り魔力が生まれ続ける。生み出した資源はワープ魔法を用いて神の世界に供給できるわけで、ノーベル賞ものの半永久的なシステムが完成していると言える。
しかし、後にこのシステムには欠陥が存在していたことが分かる。
神が完璧な存在でないことは、植民地のような世界を築く必要があったことからも明白であり、そして黙示戦争が起きる。
◾️世界の仕組み
資源を生み出す完全なサイクルの創造。もしもこの説が正しいのであれば、そのサイクルを壊しかねなかった「黙示戦争」と呼ばれる人間とファルシの同士討ちは、神の予定には無かったはずだ。
では何故、この黙示戦争は起きてしまったのか。
・黙示戦争の要因
端的に言えば、その要因はそれぞれのファルシの勢力間で、不測の対立が生じたことにあると考えている。「人間の養殖」と「植物の養殖」という目的を相互に阻害し合う、つまりパルスのファルシは人間を殺し、リンゼのファルシは自然を破壊したことで戦争状態へと発展したという考察だ。
この時どちらが先に手を出したのか、つまり原因を作ったのかと言えば、これはパルスのファルシである可能性が高い。
作中において、下界は「試練を乗り越えた者しか生きることが許されない地」と表現されていた。下界の環境は本来、人間が生きて行くには過酷なもので、それはリンゼのファルシと対比される下界のファルシが目的を達成するうえで人間を気にかけるように造られていないことからも推測できる。
(人間を守り育て上げる必要のあるファルシと違い、アトモスに始まる下界勢は人間を当たり前のように無視していた。)
ヴァニラの「上手く付き合う必要がある」という台詞からも反省に繋がる過去の存在が示唆されていて、巨体を有するファルシが黙々と仕事に勤しむ傍らで、蟻を踏み潰すかのように人間を殺害していても不思議ではない。
この時「人間の養殖」を妨げる不測の死に対して、リンゼのファルシは当然、事態を解決しようと動くはずだ。人間を安全な場所に匿おうとした結果、下界の頭上にコクーンが築かれ、その過程で大地がこそぎ取られると今度は自然が破壊され……といったように対立の要因は満たされる。
(コクーンがファルシによって創建された事実はオートクリップに記載されている。)
前回の記事では、ファルシは与えられた単純な命令を愚直なまでに遂行しようとする、さながらロボットのような存在であると表現した。彼らの判断では不測の対立は避けられず、人間は黙示戦争において尖兵としての役割を負ってしまう。
なぜ神が、ファルシをこれほどまで融通の効かない存在としてデザインしたのかについても想像がつく。ロボット三原則だ。
SF作家であるアイザック・アシモフは、その著書において、ロボットが従うべき3つの原則を提示している。以下の通りだ。
私たちの世界でもロボット産業は進歩し続けているわけだが、ロボットが人間と見紛う領域まで達した段階から、私たちはそれを恐怖し始める。現代でも雇用を奪うことが問題になっていることからも、私たちは常に被造物からの反逆を恐れている。
もし神の世界の住人が、ライトニングたちと似た姿をしていたなら、潜在的に人間を越えた魔力を蓄えられるファルシに恐怖するのも自然の成り行きであり、ファルシの裁量を制限する要因にもなるだろう(第一条)。
これが、バルトアンデルスが本音を言えなかったことや、死を望みながらもライトニングらと対峙する必要があったことに繋がってくるわけだ(第三条)。
・ラグナロクの役割
黙示戦争には続きがあり、その終局として両勢力が最終兵器であるラグナロク(ヴァルファーレ)を使うまでに至ったことが、ノーチラスのパレードから確認できる。
世界の仕組みを知る上では、このラグナロクの位置付けを明確にする必要も生まれる。というのも、ファルシに良いように使われる兵器としての側面しか持たないのであれば、ラグナロクは世界の維持に貢献していないことになるわけで、これは神の望むところではないはずだからだ。
ではラグナロクが人間に組み込まれた理由とは、一体なんなのだろうか。これについては、バルトアンデルスの発言から推測していく。
ここで重要なのは「ラグナロクはファルシを倒す能力をもつ」という点である。バルトアンデルスは、コクーンを破壊するという手順において、ラグナロクを欠かせないもののように扱っていた。
ただ、これについてはゲームをクリアした人ほど疑問を持つはずだ。実際にヴァニラによって発動されたラグナロクがファルシを消滅させたような描写は存在せず、映像からでは、ラグナロクは墜落するコクーンを支えるために発動されたように見えてしまうからだ。そして、それこそが物語上の役割であるかのように受け取れてしまう。
しかし「コクーンを支える」と「ファルシを倒す」が同時に達成されていても問題ないはずだ。ラグナロクがコクーンを支えながらファルシを消滅させていたことの真偽を確かめるためにも、その発動前後でのキャラクターに起きた二つの変化に注目をする必要がある。その一つが「ルシの烙印の消失」であり、そしてもう一つが「クリスタルからの解放」だ。
ライトニングたちに使命を与えたファルシ=アニマは、下界対策の精鋭部隊PSICOMによって破壊された。ビルジ湖に墜落したアニマはその機能を停止していたわけだが、それでもライトニングたちの体からルシの烙印が消えることはなく、セラがクリスタルから解放されることもなかった。
命令主体が壊滅状態に陥ってなお、使命から解放されないということはつまり、この時点ではファルシは完全には破壊されてはいなかったと考察できる。実際、ステージにはアニマが依然として姿を残し続けていたし、ラスボスであるオーファンも撃破後に消滅した様子はない。
ライトニングたちもPSICOM同様、ファルシを機能停止にまで追い込むことはできたが、しかし人間の力ではファルシを完全に消滅させられなかったとすれば、ラグナロクにも存在意義が生まれ、またラスボスが執着していた理由をも補完できる。
(11章、なぜだかファルシ=ダハーカは撃破後に消滅している。)
ヴァニラによって行使された極大のラグナロク、その余波によってコクーン中のファルシが消滅していたと仮定してみよう。この説ならば、一行がアニマの使命から解放されたこと(烙印の消失)や、セラがクリスタルから解放されたことにも説明がつく。クジャタから使命を与えられていたドッジまでもが、クリスタルから解放されていたのだから、少なくとも二体のファルシに同時に同様の変化が起きていたことは間違いない。
また、もしこの最終兵器が元よりファルシを消滅させるために用意されていたのであれば、システムとしての「相互監視体制」が成立する。
アニマの異跡や12章では、PSICOMや騎兵隊の面々がルシになる過程を省略してシ骸化していた。このように、ファルシには「人間を即座にシ骸化する能力」があることが分かり、またオートクリップにも同様の記載がある。人間に問題が生じれば即座にシ骸化してこれを粛清し、ファルシに問題が生じれば人間がラグナロクを使い排除する。
神は持続可能な資源を求めていたわけで、「13」の世界で問題が起きた際にはオートマティックに問題を解決してくれた方が都合が良い。相互監視体制によって、プログラム上でバグが自動的に削除されれば、神は下々の世界の出来事に煩わされずに済むというわけだ。
(ルシを粛清できてしまうと裁量がファルシに傾くため、当然神はこれを避ける。ファルシに反逆したレインズが粛清されなかったのも、このためだろう。)
以上のことから、ラグナロクとは世界の均衡を図るためのファルシに対抗する力であると考察する。またこれに対して、なぜ上記の役割から外れた運用がされてしまったのかについても考えていこう。
・黙示戦争がもたらした人間の変化
本来であれば命令主体のファルシに対して発動されるべきラグナロクは、しかしその矛先が有耶無耶になって、対抗勢力へと向けられてしまった。
バルトアンデルスの言葉の通り、この世界では秩序に則る限り人間同士が争い合うべきでは無く、本来であれば争う必要すら無かった。ただ実際には、人間は二分されて戦争に駆り出され、争いにより生じた憎しみは600年を経ても世界に禍根を残している。
黙示戦争という未曾有の事態は、世界の秩序を塗り替えるには十分なパワーを持っていて、尖兵たる人間に二つの変化を生じさせていたはずだ。
・帰属意識
一つ目が「帰属意識」だ。同族ながらも自身の生命を脅かす相手に恐怖し、敵と見做すことは当然の帰結だ。結果として人々は「コクーンは悪魔の巣だ」「下界には蛮族が蔓延る」といった具合にお互いを敵視し始めたのだろう。下界(パルス)の住民が、自分達が暮らす土地を「グラン(偉大なる)パルス」と誇張して呼ぶことにも、彼我の差を広げようという意図が垣間見える。
そもそもファルシ同士の敵対が想定されていなかった以上、ラグナロクの矛先が、どちらの神の傘下であるかなどは予め指定されていなくとも不自然ではない。理不尽な命令主体を排除する本来の目的から、目下の危機を生み出した敵を排除する方向へとすり替わったために、ラグナロクは都合の良い道具として扱われてしまったのだろう。
・召喚獣
ただ、たとえ帰属意識が生じたとしても、同じ人間同士で殺し合うことに躊躇いがなくなるほど人は無感情ではいられなかったのだろう。人間はファルシのようなロボットではないのだから、相手を人並みに扱ってしまえば攻撃の手も鈍る。だからこそ、人々はお互いを人間以外のものに喩えて憎もうとした。
そして人間は同族殺しに葛藤を覚えたことで、召喚獣の力を手に入れたのだと考察できる。上記の考察からも、神にとってみれば、ラグナロクさえ健在ならば人間とファルシの均衡は図れるわけで、世界を維持する仕組みにおいて召喚獣というものの必要性はまったく無い。つまり自然発生したタイミングが必ずどこかにあるのだ。
召喚獣が、感情を持つ人間から生まれた特殊な能力であるなら、それは人間の可能性を体現していると言っても過言ではないはずだ。本作のテーマが「決意」であることを鑑みても、自助努力を肯定する偶像の存在は舞台装置としてこれ以上ないだろう。
また本考察では、それまでの人間が恐怖や葛藤という代表的な感情を持ち併せていなかったことになってしまうわけだが、そうしたものが完全に管理された世界において不要であっただろうことは想像に難く無い。そもそも争いがプログラムされていない時点で、私たちの知る"人間"からすると不自然極まりないのだから、世界が運用され始めた当初の人間は、精神的に未熟な存在としてデザインされていたことが想像できる。
◾️神による手直し
これまでの考察からも、ファルシまたは人間が黙示戦争という未曾有の事態を収束させたと考えることは難しいだろう。また、レインズの告白では「今一度、神を迎える」とも語られていて、バルトアンデルスは神と邂逅済みであることが理解できる。
以上のことから、ここでは「神が再び世界に介入して、黙示戦争という事態を収束させた」という姿勢で考察を進めていく。資源の供給が無くなりかねない事態を前にして、神がこれに気づくのは理に適っているからだ。
・人間の扱い
人間には魔力を生み出すこと、そしてファルシに異常が起きた際の抑止力という二つの役割がある。当然優先されるのは前者で、黙示戦争を経た神が戦争による魔力資源の枯渇を恐れたことは、バルトアンデルスの語る神の秩序からも推測出来る(考察①)。
さらに下界の住人が確認できなかったことを踏まえると、下界勢力の人間がコクーンへ総移住させられた可能性が浮かび上がってくる。ヴァイルピークスでのフネについての会話が、この可能性を後押しする。
サッズとホープの証言によると、フネは飛行能力が搭載された飛空艇であり、黙示戦争中はコクーンの外殻を傷つける程度の影響しか与えられなかったようだ。飛空艇が遺棄されたようにコクーン内に存在している理由も、戦後に大地を改めて奪った際に付いてきたからだ、と語られている。
これについて重要なのはタイミングだ。飛空艇を利用する人間が下界で活動している間に大地をこそぎとってしまうと、再び黙示戦争が起きて下界の住人は尖兵へと、ルシへと成り下がってしまうことが考えられる。もし人間がコクーンへ寄せ集められていたとすれば、下界のファルシは傀儡を作れずに、戦争は起こりようもなくなる。利用者のいない飛空艇は、遺棄されたままコクーンへと吸収されたとして筋を通せる。
神の介入があったとすれば、戦争の要因は何らかのかたちで排除されていたはずで、コクーン総移住は要因排除に成功している。また少なくとも、移住であるならば「軍勢」には当たらないだろう。
・新たなファルシ
・ファルシ=アニマ
ヴァニラとファングが安置されていた、後にキャラクターをルシに変えるファルシ=アニマも、黙示戦争以降に創造されたであろうことが考察できる。理由は記事冒頭で述べた通りだ。
なぜアニマが、わざわざ下界のファルシとして造られたのかについても考察が可能だ。人間は黙示戦争を通して帰属意識が生まれていると考えられるため、最終兵器の矛先が再びブレてもおかしくない。コクーンに敵対する存在としての自覚を与えれば、コクーンのファルシが問題を起こした際によりスムーズに最終兵器が発動できる、と神は考えたのだろう。実際、その試みは作中で成功しており、またコクーンのルシであるレインズはやはりバルトアンデルスに最終兵器を発動できていない。
アニマは、コクーンのファルシに対する楔として創造されたのだろう。
・ファルシ=タイタン
下界で登場した、巨躯を持つファルシ=タイタンも新造されたことが考えられる。彼の役目は「魔物の排除」であると推測しており、詳細については次回の記事で取り扱うつもりだ。
・人間に代わるもの
コクーンには人間が存在するため、バルトアンデルス含むファルシが間違いを起こした際に対抗する術があるわけだが、下界の住人がコクーンへと総移住していたのならば、下界のファルシが間違いを起こしたとしても抑止力であるラグナロクは発動できないことになる。
ここで下界で描写されながらも、ほとんど物語に干渉することのなかった存在にスポットライトが当たる。
それがテージンタワーと、そこに鎮座していた石像たちだ。キャラクターたちがテージンタワーに到着した時、石像はまさにファルシと争い合っている最中だった。資料によると、テージンタワーには「ファルシを捕まえる」という設定が当初に存在していたようで、折れたタワーの先端の鉤爪がその役割を持っていたと記載されている。
石像が採用された理由も幾らか思い浮かぶが、ここで重要なのは企画の当初から人間以外のファルシに対抗する存在の登場が予定されていたという事実だ。人間が本質的にファルシに対抗する役割を持つことが、下界では間接的に描かれていたわけだ。
◾️神はどこへ消えたのか
ここまでを踏まえれば答えは明白だろう。神は黙示戦争を制止して、戦争が起こる要因を排除し資源供給サイクルを改善した後、自身の世界へと帰っていったのだ。今度こそ完璧な仕組みを作り上げたと満足した神は、半永久的な資源を獲得し繁栄を取り戻したのだろう。
だが、話がこれで大団円とならないのは周知の事実だ。
神は確かに完璧な世界を生み出した。しかし最後に一つだけ、本編が始まる要因となる大きな爆弾を残していくことになる。黙示戦争終結から500年に満たない月日が流れた頃、本編開始の100年前に起爆する時限爆弾を。
◾️追記
・アークの本来の役割
作中では「未知なる外敵に備えた武器庫」と「ルシを覚醒させる」役割を持つとされるアークだが、これについて思いついたことを補足しておく。
まず前者の「未知なる外敵」についてだが、「13」本編でこれに当たる存在は登場していない。もちろん語られてもいない。公式資料集である『FFXIII ULTIMANIA Ω』の考察では、この外敵を「神の世界」と想定しているが理由についてまでは語られなかった。
(記載される「断章」の内容については、ファブラ神話の補足の意味合いが強いため信憑性が薄い。)
一方で後者の「ルシを覚醒」については、本編でこそ演出されていないものの、キャラクターたちを導く道標としての機能を有していると考えられる。
これについて、まず本編10章前後の流れをおさらいしよう。
バルトアンデルスの用意した飛空艇に、疑いながらも乗らざるを得なかったライトニングたちは、9と3/4番線よろしく建造物に突っ込んで別の地点へとワープする。
どうしてか、コクーンにある下界の施設「アーク」に辿り着いた彼らは、待ち構えていたシド・レインズの助言により使命を見失わずに済む。
よく分からないまま、特にコクーンでやれることもなかったため、下界に可能性を探りにいこうと発起する。
とどのつまり下界では何も得られなかったため、バルトアンデルスが用意してくれた飛空艇に乗りコクーンに帰る。
あまりに粗雑で説得力の欠けた展開に思える。主観ではあるが、それまでのドラマパートが丁寧に描かれていたこともあって、余計に不自然さが際立っていた。これについて、私は不自然さの原因を「素材が適切に処理されなかった」からだと疑っている。
記事の冒頭でも取り上げたが、私は終盤の物語がファブラ神話の介入を含む諸問題により、支離滅裂になったのではないかと邪推している。SQUARE ENIXが会社組織である以上、制作途中で何かしらの横槍が入ることも珍しくはないはずだ。予定を外れたオープンフィールドの作成、取ってつけたような続編の匂わせ、シナリオ上の矛盾とディレクションの不履行。
鳥山求が(自主的かを問わず)解任されていたとするだけで、上述した全ての不自然さに筋が通ってしまうのは、なんとも歯痒い。途上に残った素材は開発部によって継ぎ接ぎされたのだろうし、「アーク」についても神話に沿った設定が付与されてしまった。
では、本来であればどのような展開が期待できたのだろうか。探っていこう。
まず、アークは「ルシを覚醒させるもの」という点については確定している。そしてヴァニラとファングは、下界の住人としてアークに関連する知識を持っていた。であるならば、バルトアンデルスを打ち破るためのヒントがアークにあると考え、目的地とする事も不自然ではないように思える。アークは、キャラクターを導く道標の機能を有しているわけだ。
そして、アークは本来であれば下界に存在するべき施設だ。レインズの撃破後、なんの気なしに向かった下界であるが、アークを目的とすればそれぞれの違和感が同時に解消される。
なによりライトニング一行にしてみれば、レインズとの死闘の末に、バルトアンデルスの真意を知った直後のことなのだ。それまでの受動的な逃亡劇を止めて、未来を見据えて能動的に行動した方が展開としても自然だろう。
「アークという希望を抱いて下界に降り、故郷やテージンタワーを訪れながら、ルシの力を覚醒させて最終決戦に臨む」とすれば辻褄も合い、なにより盛り上がる。
またアークの本来の役割についてだが、ファルシは人間を利用して戦争をしていたわけで、根本的に人間をサポートする能力の高いコクーン側が優勢になることは容易に想像できる。
そして最終兵器が対消滅してる描写からも、終戦直前のパワーバランスは均衡であったはずで「下界側が劣勢から均衡まで持ち直すためにアークは造られた」とすれば、存在理由に整合性が生まれるだろう。
以下、改変した展開をまとめてみよう。
墜落する旗艦パラメキアからルシ一行を生かすために、バルトアンデルスがワープ魔法を使用。
辿り着いたコクーンのマップにて待ち受けるレインズと戦闘。
バルトアンデルスの思惑を知り状況を打開するために、ヴァニラの話で挙がったアークへと向かう。
道中でテージンタワーや、ヲルバ郷を訪れる(場合によっては、黙示戦争の情報を得ることも出来たはずだ)。
アークに辿り着き、キャラクターは葛藤しながらも、これを乗り越えて覚醒する。
手に入れた力が、ラグナロクを発動せずにオーファンを倒す結末へと繋がる。
下界を旅する道すがら、ヴァニラとホープは立て続けに召喚獣の力を覚醒させていたが、ヲルバ郷やアークは演出の観点からも、よりロケーションとして適しているだろう。