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村木さんと「黒ひげ危機一髪」をした
この記録は村木さん(仮名)という一人の男性に捧げられる。
村木さんは年齢不詳顔で、はじめてお会いした時は僕と同じ20代だと思っていたのだが、本当は50歳だった。仕事の話をしなかったので、なんとなく大学院生なのかな、と僕は勝手に推測していた。今思えば、つるつるした、しかし堀の深い顔立ちは、加齢による皺が骨格に吸い込まれて見えなくなったものなのではないか、という印象があった。
僕の頭のなかの村木さんは大学院の研究室に閉じこもりで、髪はぼさぼさ、食事は作り置きのスープのみ、顔からは研究への執念が炭酸の泡みたいにほとばしってる、というもので、とにかく古風な研究者然としていた。正直、話す内容は衒学的で僕にはよくわからなかったというのも関係している。いつも喫茶店の隅の席でエマニュエルトッドとかハイエクとかを読んでいたものだ。
本当のところ村木さんが何をしている人なのか、僕はわからない。僕たちは行きつけの喫茶店でたまに会うだけの仲だったし、会っても一方通行的な会話ーーー村木さんの読んでいる本についてーーーだけだった。不思議な人だなぁ、という宙に浮いたような感慨があるだけだ。
しかし、一つだけ村木さんには確かな顔がある。村木さんは決闘者だった。
ある日、喫茶店に顔を出すと、村木さんは顔を上げて「決闘しましょう」と言った。僕はよくわからないまま、相槌を打った。このまま場に流されていれば何かが始まるのだから、それでいいかという風に思っていた。
「では、海賊を出してください」
村木さんが言うと、喫茶店のスタッフが奧から箱を出してきた。古い紙の箱で、表紙には「黒ひげ危機一髪」と書かれている。黒ひげの海賊が樽に閉じ込められていて、プレイヤーは順番に外からナイフを一本ずつ刺していくゲームだ。ナイフに反応した海賊が樽から飛び出した時点で、そのナイフを刺したプレイヤーの負けである。
「では、どうぞ刺してください」
僕は恐る恐るナイフを刺した。無事だ。突然はじまった勝負に緊張して、口の中は乾いている。次は村木さんの番だ。村木さんがナイフを刺す。
「あっ!」
村木さんのナイフによって海賊は吹っ飛んだ。
「あなたの勝ちですね」と村木さんは言った。
「ありがとうございます」
「もう一勝負しましょう」
こうも簡単に決着がついてもよくないのはその通りだ。少し面白いことになった。しかし怖いものは怖い。僕は決意してナイフを刺す。無事だ。続けて村木さんがナイフを刺す。
「あっ!」
村木さんのナイフはまたも海賊を吹っ飛ばした。2勝とも僕の勝ちになって、村木さんは少し悔しそうな顔をした。床に転がった黒ひげの海賊を拾う。再戦の意志があるかどうかは、うつむいた顔からはわからない。
「もう一勝負しましょう」
「はい」
僕はナイフを刺す。村木さんが刺す。僕が、村木さんが……と何回も繰り返す。そして村木さんがナイフを刺す。
「あっ!」
3回連続で勝利した僕は、このまま勝ち逃げするべきか考えた。正直、平日の昼間から喫茶店で黒ひげ危機一髪をやっている男2人というのもなかなかの絵面で、店のことを考えても途中で切り上げたほうがいいのではないかと思ったからだ。幸い、僕たち以外に客をいないようだったが。
「もう一勝負しましょう」と村木さん。
「では、次で最後に」と僕。
そして僕たちは15回以上「黒ひげ危機一髪」をおこなった。その内、13回は僕が勝利した。15回海賊は樽から吹っ飛び、そのたびに床に転がった。村木さんがナイフを刺すときに決まって、スポッ!という軽快な音が響き、その15回分の音は耳に沁みて残っているくらいだった。
15戦中13勝。なぜこんな奇跡的連勝が起きたのか探ることになった。僕と村木さんは大いに盛り上がったが、これはもしかしたら黒ひげ危機一髪の故障ではないのか、と。あるいは、村木さんが僕に華を持たせるためにわざと敗けたのではないかと。
しかし、黒ひげ危機一髪が運試しのゲームである以上、作為的に誰かを勝たせることはできず、これは本当にフェアな勝負だった。僕と村木さんは互いに健闘を称え合った。そして、もしもルールが逆だったら村木さんが勝っていたのだということを僕から伝え、薫陶を交わし合った。
「また勝負できるといいですね」と村木さんは言って微笑んだ。
ここでいきなり文明批評みたいになってしまって申し訳ないのだが、道端を歩いていたら誰かにいきなりポケモン・バトルとかデュエルとかを挑まれることが、最近はなくなったなぁと思う。マッチングアプリや、専用のゲームスペースはあるけれど、何のアプリも持たず裸一貫で勝負を仕掛けてくる人っていないのではないか。
え?昔だってそんな奴はいなかった?そうかぁ。