息子の進路問題再び:中受、中高一貫女子校出身の私が振り返って良かったこと、そうでもなかったこと
以前、あまり私が中受に乗り気じゃないという記事を書いたことがあるが、子どもは公立中でよし!と私と夫は考えていた。
だが、しかし、最近息子は公立中高一貫に興味を示している。
まさかのお友だちと一緒に受験したいそう。えー、本気?!
親としては彼の希望を無下に却下することもできず、正直困ったな~というところ。公立だから学費を理由に却下もしづらい。
とりあえず、先日学校見学には参加しました。
実は私自身は、中受→中高一貫女子校→国立理系という進路である。
たぶん受験ものはかなり上手く乗り越えてきた部類に入ると思う。でも、良し悪しあるよね。という本音を少し吐露します。
中受→中高一貫校で良かったこと、そうでもなかったこと
私が中受という選択をしたのは、どうしてもどうしても、地元の中学校に行きたくなかったから。以前も書いたが、私は親族に教師が非常に多く、どこに行っても「○○先生の家の子ども」というラベルがうざかったので、誰も私のことを知らないところに行きたかった。
そして祖父及び母の受験推しの理由は「良いお友達ができるから」でした。んー、こんなんでいいのか?と思うが、私は大した知識も情報もなく、初めての受験勉強にのぞむことになります。親はどちらも公立出身のため、コネとノウハウは大してない状態でスタート。
振り返って良かったところ
思春期にジェンダーに悩まず、自分の課題に集中できた
女子校なので、当然だけど女子しかいない。女子だから○○をしない、できなくていいという言い訳は通じない。理想は男女どちらもいても自分らしいリーダーシップを発揮できる方が良いと思うけれど、私は他にやってくれる人がいるならいつでもリーダーはやりたくない派だった。
思春期に異性の目を気にするのかどうか、それによって行動がどう変わるかというところはやっぱり無視できないような気がする。(家庭がそもそもジェンダー的にフラットなら、特に問題ないかもしれない。)
キリスト教教育を受けたこと
選択した学校がカソリックだったため、私は信者ではないが、ミサがあったりシスターと接する機会があった。そして週に一度宗教の授業があった。
在学中は「おもしろくない・・・無駄」と思っていたけれど、大人になってキリスト教的世界観が多少なりとも理解できることは、芸術を楽しんだり、ヨーロッパ史を学んだり、欧米人と付き合うときにメリットがとても大きい。観光でも楽しみ方が変わる気がする。
進路指導が甘かったから、好きなように進路が選べた
人から聞いて、え?!そういうものなの?と驚くことの一つに偏差値で確実に受かりそうな学校を先生に勧められて~、という話がある。基本大学に行く子がほとんどの高校だったが、ガチで受験する人ばかりではなかったため、「ここ受けたいです」と言えば好きなようにさせてもらえた。
高三の夏の模試まで志望校F判定だった私は、トップ進学校に行っていたらおそらく止められそうである。現役はここから伸びるから大丈夫、としか言われなかったので「あ、そういうもん」と素直に聞いた。
現実を知らないことも、時には大事。
ニュートラル
良いお友達ができる
早くから地元を出たことは私の場合とても良かったと思う。でも、良いお友だちって何だろう・・・
確かに今でも仲の良い友達はいる。
お金持ちばかりの所謂良いとこのお嬢さんが多い学校に行ったので、社長さんや医者・歯医者の娘さんが非常に多く、品は良い。でもそれっていいことばかりじゃないんだな、世の中は持っている人はお金も美貌も頭も全部持っているんだな、ということを早く知ることが良いことかは正直よくわからない。文化度は全体的に高かった。比べて実家は貧乏だと思っていた。
客観性を養うという意味では微妙だし、人間性の素晴らしさって育ちの良さだけではないように思う。
今思う、いまいちだと思うところ
入ってから成績が伸びるひとばかりではない
中学受験推しの発信を見ていて思うのは、全体的に生存者バイアスが強めな気がする。印象に過ぎないのかもしれないけれど。
よく中学校受験界隈では、中受の偏差値の50は特殊だから~と聞くけれど、その割に進路実績を見るとトップ校は進路実績も良く、中堅校はやっぱり実績もトップ校に及ばず、むしろ固定化しているような気がする。(だから穴場校特集みたいな記事があるのだろうが。)
トップの中学校に行けて良い成績で走り抜けられれば良いけれど、合わなくてドロップアウトみたいなケースはないわけじゃない。高校受験には内申点だったり情報だったり、何かと不利なのは否めない。子供の可能性を広げているのか、狭めているのかが良くわからないのが、今の私の一番気になるところ。
通学時間が長いのは無駄
私の場合は通学で片道1時間半近くかかっていた(ど田舎だから仕方ないし、もっと遠方からもいたのは事実)。
本を読めたのは良かったけれど、もっと有意義なことにつかえたはず。
受験を頑張ろう!というのは少数派だった
親は絶対に理系に行け!と私の進路にかなり強引だったが、その割に理系クラスは1クラスしかなく、良い先生も文系(国語や英語)に偏った学校に進学してしまった。数学も化学も物理も生物も、いまいちだった記憶しかない。先生の内情まで通じるには、知り合いが通っていないと厳しい。
一方で早慶GMARCHは指定校推薦枠がとても多く、こんなに推薦で大学決まるんだ!というのは驚いた。
私の場合ラッキーだったのが、唯一の理系クラスがたまたま優秀な子が多い年にあたり、国公立医学部、東大を含めた理系学部、私立医大等やたら進学率が良かったことである。
高3の時は担任の授業を無視してひたすら自習していたが(周りのできる子たちがそうしていたから)、あの理系の弱い学校で大して成績が良くなかった私が奇跡的に伸びたのは単に周りが優秀だったから、そう思う。
終わりに 子供にとって最適な環境って難しい
私はどちらかと言えば、良い学歴よりは自立を目指して子どもと接しているつもりだけれど、そう思うと本人の視野が狭かろうと何だろうと今から自分で決めさせるべきなんだろうか。
どんな親も『自分の子どもにとって最も良い環境とは何か』がわからないから悩むのだろうけど、早速私は壁にぶち当たっている。
迷いなく、この学校は素晴らしい!絶対にここに行かせるべきだ、そう思えるところがあればまた別なんだろうけれど、教育の質の客観性って難しい。
結局どんな進路になったとしても、それを正解にするように努力し続けられる人を目指して親はサポートするしかない。どこにいっても人との比較がやめられない限りコンプレックスだって生まれてしまうし、人生に100%の正解はない。
なんだか親って試されることがいっぱいある。やれやれ。