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武器を持ってもちっぽけでしかない
私はことごとくずるい人間だと思う。
私には夢がある。
自らが持っている夢が誰かに劣っていると思ったことはない。
と言いたいが、私はそんなに強い人間ではない。
本当に私の夢は夢と言っていいものなのか。
あの人の夢の方が私の何倍もしっかりしている。
私よりもはっきりしたビジョンを持つ人は数多といる。むしろ私以下の人なんて世界中どこを探してもいないのではないかと思ってしまうくらいには、ネガティブだ。
尊敬する人がいる。
1人ではないが、その中でも私の人生に大きな影響を与えた人が1人いる。
その人は私よりも何もかも優秀で、
私よりもポジティブで明るくて自信家だ。
周りからの信頼も厚くどこをとっても敵わない。
将来のビジョンも驚くほど鮮明である。
それだけならまだ良かったのだ。
その人は、私と見ている方向が同じなのである。
つまり、夢が似ているのだ。
戦ったら一瞬で打ちのめされるような相手が、
すぐ近くにいる。
しかも走るレーンは同じ。
例えるなら私の親友が橋本環奈で、彼女と同じオーディションを受けるみたいなものだ。
もちろん良い刺激にもなるが、そういった存在はネガティブな私にとっては自信喪失の源にもなりうる。いや、むしろほぼ自信喪失の源である。
その人は私にたくさんの知識をくれる。
自分が経験したこと、学んだことを
惜しみなく私に共有してくれる。
そんなところがまた私の自信を喪失させる。
自分が学んだことは、人に教えては自分だけのものにはならないと思う。
何も無い私は、「自分だけの武器」が欲しい。
自分だけが得た知識は、自分だけの武器として懐に隠してしまっておきたいと思ってしまう。
惜しみなく共有してしまっては、私だけじゃなくてその人もレベルアップしてしまうではないか。
私だけの武器を手に入れてそれを私だけが知っている状態にしたい。
そうすれば自分だけがレベルアップできる。
我ながらずるいというか、子供だ。
だが、そんな武器を懐に隠したところで、
その人には全く勝てていないのが現状だ。
知識を自分だけのものにせず他人に共有するその人に、自分だけの武器を持っているはずの私は結局負けている。
そもそも自分だけの武器とは、本当に自分だけが持っているのだろうか。
もうその人は、私が持つその武器を当たり前に持っているのではないだろうか。
そう考えるとまた私は自信を無くす。
あんなに手に入れて喜んだ武器をあの人は顔ひとつ変えずにすんなり持っている。
私は、ずるくて子供な上に何もできない。
私の知らないところで成長する姿を見て、素直に応援できない自分。
"すごい"より"ずるい"
"がんばろう"より"私なんて"
こんな考えしかできない私に呆れる。
悲しくなる。
何に対して悲しいのか。
それすらも分からないほどに悲しい。
またその人が私を置いて先に進む姿を見て、
勝手に落ち込んで、また自信をなくす。
私が先に進む姿を見ても、その人はびくともしないのだ。
すごいだとか、応援してるだとか、むしろ嬉しそうなのだ。
何をしても勝てないから、
私にしか得られない情報を独り占めする。
それで優越感に浸るような哀れな人間だ。
ずるい人間だ、という表現もなんだか私なんかにはもったいない。
なんだか、自分ってちっぽけだ。
ちっぽけな人間なのだ。
そんな自分が、とても嫌いだ。
でも
そんな自分を好きだと言ってくれる
そんな人がたくさんいる人生が私は好きだ。