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てらたびnote 布施弁天 紅龍山東海寺
二月二十四日 千葉県柏市布施にある 布施弁天 こと 紅龍山東海寺 に参りました。布施弁天 は 関東三弁天 のひとつとされています。
正月己巳布施の辨才天へ詣侍る奉納
玉椿昼とみえてや布施籠り
其角『五元集』
布施弁天の場所とアクセス
布施弁天東海寺はJR常磐線 我孫子駅 の北約3キロの地にあります。布施弁天の北には利根川が流れている。
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JR柏駅西口から布施弁天へのバスはありますが一日五便ほど。
むしろ我孫子駅北口から あけぼの農業公園 もしくは あけぼの農業公園入口 へのバスを利用したほが、本数もあるので便利です。
あけぼの農業公園バス停から公園の中を通り抜ける格好で布施弁天まで10分かそこら歩きます。ただし公園が閉園日のバスは農業公園入口どまりなのでもう少し歩くことになります。
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布施弁天の御由緒
布施弁天東海寺の創建は、縁起によれば大同二年(807)。大同は延暦のあと 弘仁のまえ。平安時代のはじめで平城天皇の御代。
縁起を要約すると、大同二年の七月七日、紅龍が現れてこの山を作る。里人の夢に天女が現れて但馬の国から来たことを告げる。里人が夢に従いこの山をたずねて弁天像を見つけ、藁葺の小祠を建てる。
のちに当地を訪れた空海はこの尊像が自分が作った弁天像と知る。そこでお堂を建てたのがお寺の始まりと伝える。
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しかしこの延喜は歴史的な事実とは異なると『柏市史』は述べています。
弁才天に藁ぶきの小祠を建てたのは、延宝二年(1674)七月七日のこと。
この七月七日は「己巳」だとか。其角は創建ゆかりの己巳の日を選んで布施弁天に来たと思われる。
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さて、『柏市史』によると以下のとおり。
布施の村の外れに亀の甲のような山がある。周囲を水に囲まれた景地なので弁才天を祀るにふさわしいと藁ぶきの小祠を建てた。この創建に関わった当時の名主の後藤家に伝わる『布施弁天来歴書抜』に記されているという。
名主と別当東海寺で弁天さまを広めようと活動していたようですが、このころの亀の甲山の弁天さまは、まだまだ地方の村落の小さな存在でしかない。東海寺も今とは違う別の場所に建っていたようです。
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ところが元禄十一年(1698)の知行替でこの地が旗本天野氏から本多伯耆守の納めるところとなる。本多氏も弁天さまの整備に力を入れ、亀の甲山を年貢免除の除地にした。
宝永二年(1705)東海寺が亀の甲山へ移転。布施弁天と一体化。
宝永六年(1709)亀の甲弁天が江戸の本多屋敷と深川永代寺で御開帳。
宝永七年(1710)本田氏は東海寺を一族の祈願所とする。
享保元年(1716)本堂の建立 ※二年に完成か
こうして布施弁天は江戸庶民にも知られるようになり、関東三弁天のひとつへとなったのでしょう。ちなみに二度目の江戸御開帳、明和七年(1770)の際には、江戸城でも御開帳を行っていると伝えます。
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また布施弁天の北には利根川があり、この辺りは水戸街道の脇往還だったという交通の要衝に位置していたことも布施弁天の繁栄する要因だったように思います。
境内の風景
楼門と鐘楼と本堂が千葉県の指定有形文化財。楼門の一階部分には四天王、階上には釈迦如来が安置されている。「最勝閣」の額が架かる。
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鐘楼は総欅造りで変わった形をしている。八角形の石積の基壇に十二本の柱を建て周囲に縁を円形に巡らせている。屋根は入母屋造。
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本堂は享保二年の建立。屋根はもともと茅葺であったものが銅板葺になっている。極彩色と多くの彫刻が目を引きます。
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境内には他に不動明王を安置する三重塔、薬師堂、愛染堂などのお堂がある。茶屋もある。また、本堂の裏手からは下総ののどかな田園の遥か彼方に筑波山が望まれる。
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其角のほかに著名なかたもう一人の俳句を紹介して布施弁天の参拝記を終わりといたしましょう。
小林一茶の句集『株番』に布施東海寺に詣でたときの句が載る。あけぼの農業公園内に句碑があるそうです。立ち寄りませんでした。またいづれの機会にでも。
蒔くも罪ぞよ鶏が蹴合うぞよ
一茶
令和七年十月に十二年に一度の秘仏本尊の御開帳がある。十月なら陽気もよさそうだし、お参りに来てみようかな。