新年好!!!

【1997年12月31日(曇)中国:峨眉山】

成都の「交通飯店」の良いところは、駅からは遠いがバスターミナルは真横だと言う事があげられる。

季節によってはチベットはラサまでの一週間ぶっ通しのバスも走っている。一気に標高4000m迄駆け上がり道無き道をひた走ると言う。おそるべしでアル。何が恐るべしかというと、また余談が長くなりウザがられるので今回のみは自粛する所存でアル。(今回は少しやる気だ!)

まぁ、今回の目的は過酷なチベットでは無いけれど、猛獣大熊猫が荒れ狂い(パンダだけど)、怪奇冬虫夏草が乱れ飛び(漢方薬だけど)、夢幻の青い芥子の花が咲き乱れる(高山植物だけど)ヒマラヤ山脈の、東端にそびえる峨眉山(3100m)を1998年の初日の出のターゲットにロックオンした。ウォンチュー。

そして大晦日。

早々に退房しバスターミナルで粥とザーサイと油条を食す。中国の朝の定番はお粥しかない。その後お粥を3杯食べ満腹になった僕たちを乗せたミニバス(18元)は6:40峨眉行きのバスは麗しの成都を後にした。

グッバイ再見アディオスさらばだ宇宙戦艦ヤマトの諸君。別に「バットマン」の中国語吹き替え映画を見た以外は、成都には何も思い出は無いけど。

そういえば昨日、年末年始用に1万円を両替したときには623元であった。2年前のビバ!ジャパンマネーの時期は1万円で1000元を超えていた頃が懐かしい。

んで、僕たちと書いたが同じバスに日本人のカップルが同乗している事にも触れておこう。女性の方は成都の大学に一年間留学していると言う可愛らしい子、、、であるが局地戦用(対漢族戦闘用)にカスタマイズされていることは言うまでもない。
男の子の方は初海外、初中国(当たり前か)で一昨日に北京から飛行機で飛んできたばかりだと言うこちらも可愛らしい子だ。「中国はご飯が美味しいでしょ?」と私が尋ねると「アイスクリームが美味しいですね。」と素晴らしい答えを頂いた。謎だ。シャア専用かもしれない。

バスで揺られること4時間半、峨眉の街へ。そこから雷洞坪行きバス(20元)を乗り換え、途中で脱輪したり、よくわからない休憩をはさみながら2時間。入山料50元そこからロープウェイ(20元)であっという間に金頂へ。(今回は旅行記っぽくなってきましたね。) 

わぁ!カッチカチ!

さすが世界遺産、周りは樹氷の森。全部凍ってます。いぇい。頂上のお寺の宿坊に泊めてもらうことにして、しばし付近を散策するもののガスって視界ゼロ。早々に部屋に戻り、みんなで年越しそばならぬ「年越しカップヌードル(康師傳の紅焼牛肉麺)魚肉ソーセージ乗せ」を食べ、初日の出に向けて早々に眠るのでした。

【1998年1月1日(晴)中国:峨眉山】

死ぬ。寒くて目が覚めた。グットルモルニングハローマスタル。寝る前に飲みかけていたお茶は枕元で凍っていたっす。

5:30 まだ外は真っ暗だ。二度寝しようにも寒くて不可能かと思われた。私が持ってきた寝袋は、昨晩「寒くて眠れないですぅ。」と四時間くらいブツブツ呟いていたシャア専用の男の子に貸してしまっている。取り返す訳にもいくまいがスヤスヤと眠られているのも腹が立つ。腹が立つので、彼が買ってきていたミカンを窓際において凍らせてやった。

8:00 ゆっくりと雲の隙間から光が湧き上がる。朝焼けに照らされた樹氷の森はいっせいに桜が咲き誇ったかのように桃色に染め上がる。今一度、その太陽の下にある日本を少しだけ思い出し、また私は西を目指すだろう。

ちなみにシャア専用の彼は寒くて、せっかくの初日の出の時は私の寝袋に包まってまだ寝てた。謎だ。何しに来たんだろう?きっと食べ物の好き嫌いも多いに違いない。

そんな彼のことはほっておいて、無事御来光を拝んだ後は次は楽山の大仏と世界遺産を巡りまくり、次は悪名高き桂林を目指すべく、せっかく西まで来たのに一路長江下りをしながら東を目指すことに昨晩寝ながら決めた。さっき西を目指すと誓ったばかりだけど。

「フッ、行き先なんか前もって決まってる旅なんか真っ平ゴメンのキンピラゴボウだぜっ!ザクとは違うのだよザクとは!」

と、新年早々旅人やる気モードな私。

街まで降りる途中、ふもとの報国寺で3人で初詣し、世界の平和と私以外のみんな不幸をお祈りした後、彼女らは成都へあっさり帰った。私は楽山行きミニバス(3元)に乗り高さ71mの楽山の大仏をさくっと見てそれなりに感動を消化した後、重慶行きの夜行寝台バス(91元)に飛び乗る。

18:07 バスは走り出す。動き出してから、そういえば今日は焼き芋2個しか食べていない事に気がついた。はらへったにゃ。 


――――― そんな慌ただしい1998年の年明け。

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