移動。そして移動。
【1998年3月3日(晴)中国:昆明】
昨日の早朝7:15に瀘沽湖の最寄の街の寧浪(ニンラン)から、西にある金江(現バンジーホア)までミニバスで9時間(48元)。ボロボロの倉庫みたいな招待所(10元)で一泊した後に、今朝6:00発の列車に乗って13:00に昆明まで独り戻ってきた。
南下する前に、いつも通ってた「Wei`s Pleace」でPizzaを食べようとずっと思っていたので一目散に向かった。そして店にあった情報ノートに落書きしようかとパラパラめくっていると、「Dear fuku ~ 」とのメッセージがあった。
大理から麗江に行く際に、別々のバスに振り分けられたためにそのまま会えなくなったアンナとエヴァからのメッセージだった。「麗江で具合が悪くなったので昆明にすぐに戻ってきてしまった。会えなくてごめんね、、、」と、いうような事が書いてあった。
へへへへ(涙)。
読んでくれるか分からないけど私も情報ノートに、この北雲南の情報地図と、ここで出会った人たちの平安を祈りながら好き勝手に落書きしておこう。
「情報ノートに情報以外の事を書くな!」
とのセコイ意見がココには数多く寄せられていたが、ひねくれ者の私としては、とりあえずそんな学級委員長のような戯言に反論しておいて最後に「文句があるならかかって来い。」と結んでおいた。
当時の私はペンネームやらハンドルネームやらのしゃらくさい事は好まなかった。文責として私の本名を使う事は当然の成り行きであったし、本名を名乗るのは読んでくれている人達への私なりの礼儀であった。
ここから本格的なケンカ番長が始まったといえる。
当然現代においては個人情報保護の観点から本名を名乗るのは控える。名前を知られるという事は我々魔術師には即「死」を意味する。
【1998年3月4日(晴)中国:寝台バス内】
中国には寝台(臥舗)バスというとんでもないモノがある。
最近ではインドでも走っていたりするが、それはバスの中に2段ベッドが8個くらい入っている24時間フルフラットの寝る為だけの湿った布団がぎっしりと詰まったバスのことである。もう一度言うが2階建てバスではない、2段ベッドバスだ。
初めて中国で寝台バスが出始めた93年~94年頃に私は物珍しさにかられて一度乗ったことがある。寝たら最後で身動きもとれず「なんか棺おけの中のツタンカーメン状態だなぁ」と思った事を覚えている。
しかもその時は何をトチ狂ったか夜にバスが畑につっこみ、横転しかけて2段ベッドの上段に寝ていた私は危うく屋根に挟まれペシャンコになるところであった。あまりに私がベッドにピッタリとはまっていて、転げ落ちる事ですらなかったが逃げ出す事も出来ずに、何が起こったかですらすぐには把握できずバスが起こされるまで同じ姿勢であった。実際はタンコブだけで済んだから良かったようなものだが危うく国際問題だ。
、、、それ以来、極力中国旅行では寝台バスは避けていたものの、これからスムースに南下するには乗らねばならない。
そして気の乗らない理由のもう一つが足の香りだ。人のことと言うのもなんだが中国人の足はくさい。全員寝っぱなしなので構造上、寝ている私の頭のすぐ上に後ろの席で寝ている中国人の足がある。靴を脱いでいるので臨場感たっぷりのリアルさだ。
あぁ移動なんかするんじゃなかった。
16:00 昆明を出た寝台バスは(120元)24時間かけて、次の目的の地は西双版納の景洪まで南に700キロを疾走する。
メコン河の上流にあり、ラオス、ミャンマー、タイの国境に隣接する「黄金の三角地帯」の入り口である。1996年の1月に「麻薬王」クン・サーが拘束されたとはいえ油断を許さない場所でもある。
そーそーもうひとつ寝台車について言わせて貰うと、私は寝台車等で上段、下段と選択肢がある場合は断然に上段派である。特に中国ではそれが大きな問題である事に気づかない人は不幸だといいきれる。
中には「下段のほうが通路側に座れるし、トイレとかも行きやすいから便利でしょ?」と言う意見もよく聞くが「チッチッチ、君は中国の事わかってないなぁ」である。
「カーッ ペッ!」 「プッ プッ! プッ プッ!」、、、もし何の事か分からないのであれば桂林の章の②から読み直した方がよかろう。
「ゴミは人民と共にやってくる」
そんな太古からの諺どおり、寝台の上段からバスの床めがけて人民はタンやら唾やら茶葉やらミカンの皮やら食べ物のカスやらなんやらかんやらもう吐きたい放題の絨毯爆撃である。
当然下段にいれば、いずれ直撃は免れても風に煽られて破片に被弾する事は間違いない。人民万死に値する。
もし貴方が通路に靴を脱いだまま寝てしまったのであれば、翌朝にはカブト虫のサナギが育てられるくらいのひまわりの種のカスやら、サトウキビの食い散らかしたカスやらが靴の中に詰まった姿を目の当たりにするだろう。
靴死亡。
さすがに菩薩の私も一度火のついたタバコを下に捨てられ、私のザックカバーに穴が空いた時はそいつを引きずり降ろし蹴たぐった。(呪)
19:50 夕食休憩のためにバスは峠の中華食堂に停車した。
私は軽く食事を済ませた後、バスの前あたりで人だかりが出来ている。なんだろ?
「あいやー」
そこには一人のウイグル人らしき兄さんがいて、その前には小さな机と上に伏せた茶碗が3つとコイン1枚、そして雑に積まれた札束。それを囲むように眺める観客の中心に、同じバスに乗っていた小金持ちそうな中国人の親父の頭を抱えた姿があった。
3つの茶碗を交互に入れ替えて、どれにコインが入っているか当てるアレである。
小金持ちそうな親父は最初は1000元(約一万五千円)ほどサクッと勝っていたそうだが、もちろんそれは財布を開かせる手段で。その直後から巻き上げられ始めた親父が今まさに、最後の100元を賭けようとするところであった。
「あいやー」とは中国語の感嘆詞である。
「あいやー」
親父撃沈。
いや、だってウイグルの兄さんプロだもの「そんなに熱くなっちゃ負けて当然ダメだよ、いい勉強になったよね親父」ってな感じで観客から肩を叩かれ、さぁ出発しようかとした時 バンッ!って親父は付けてた腕時計をウイグル兄さんに突きつけた。
「あいやー」
バンッ!今度は親父は持ってた金の指輪をウイグル兄さんに突きつけた。
「あいやー」
バンッ!今度は親父は付けていたズボンの鰐皮ベルトをウイグル兄さんに突きつけようとした。
「あいやー」
ボカッ!そこには親父をぶん殴って襟首捕まえている親父の奥さんが阿修羅の如く立っていた。
「アンタいい加減にしなさいよ!」と中国語でまくし立てたかと思うと、今度は奥さんはウイグル兄さんに詰め寄り「アンタもちょっと儲けすぎなんだから半分くらいは返しなさいっ!」と言うが早いか、指輪と時計と巻き上げられてた2000元近くの金の半分近くの金をもぎ取り親父の襟首を捕まえたままバスに戻っていった。
プァプァーーーーン
バスのクラクションが鳴る。
20:30 出発の時間だ。ウイグル兄さんは「しょうがねぇなぁ」って感じで台を片付けた。
走り出したバスの中では親父がまだ奥さんにコッテリと絞られている。他の乗客もドライバーもクスクス笑っている。
やっぱりアジアは女性のチカラで回っているのだなぁと改めて思った。
室内灯が消える。消灯の時間だ。
麗江などに比べると標高も低く南に降りてきたせいか蒸し暑い。少しだけ窓を開けると、むわっとむせ返るような緑と土の匂いがした。
21:30 まだ親父は奥さんに小声で怒られている。さすがにうるさくて眠れない。たまりかねたドライバーが「寝ろっ!!!」と叫ぶ 、、、ようやく訪れた平穏。
、、、暗闇の中で、時々タバコのオレンジの炎がポワッと灯る。
バスのエンジン音がやけに耳につく。
やっぱり後ろのベッドの奴の足がアウシュビッツ級に臭くてたまらない。
さらに何処かのベッドの奴が窓を開けてゲロり始めて、車内大気のビネガー含有率20%アップ。
カッシャーン!あっ!また誰か飲み終わったビール瓶を窓から捨てて割ったな。もー危ないんだから。
、、、落ち着かないなぁ。
どうやら、まだしばらく眠れそうもないらしい。