旅人たちへのレクイエム vol.1
私は旅の道中で「ダメ人間友の会」ケンカ番長と名乗っていた時がある。まったくお恥ずかしい限りだが許して欲しい。それについてはいつか記すこともあるかもしれないし無いかもしれないが、そっとしておいて欲しい。
これから記すものは誰もが経験するある季節の話のことだ。
私は貧乏旅行者が嫌いだった。なかでも人の話を聞けず、喋るときの声が必要以上に大きな旅人。特に旅の話題しかコミュニケーションツールを持っていない奴にはイライラした。
足りないアイデンティティを未知の世界で拾ったアイテムで埋めて、褒めて欲しくてしょうがないような旅人。
日々旅の生活が逼迫していないから他人に優しくできるけど、遠くない未来への不安を抱えたまま無抵抗にゆっくりと濁ってゆく旅人。
そんな奴に限ってケチで気が利かないのが相場だった。そしてだいたい嘘つき。ある時期まで、そんな旅人は人種に限らず何処にでもいたように思う。いつでも、ひっそりと世界を呪いながら。
旅人は変わってゆく。
その昔、私が初めて一人で旅に出た頃は世界は無意味なくらい広く、旅なんてものは他人と簡単に共有できるような代物では無かった。
知らない街。
知らない空。
まだどこのチョットした路地裏にも自分だけの未知の空気が広がっていて、どんな小さな村でも世界は無限なくらい広かった。
そんな時代から4~5年ほどかけて旅系は盛り上がりを見せ、4~5年の隆盛の後に静かに減速していった。
私が長旅から帰国したあたりに、まず「格安航空券&ホテルガイド」が季刊化し、アジア系には痛いSARS、鳥インフルエンザの流行ときて、「旅行人」も季刊化された。もし、私の旅が終わった事でそのような関係各所に大ダメージがあったのなら、この場をかりて謝っておきたい。
世界は変わってゆく。
1998年以降のインターネットの急激な普及。世界は格段に身近になり、そして小さくなった。土産物屋はみんなネットカフェに塗り替えられた。
2000年過ぎあたりからモバイル端末を持って「リアルタイム旅行記」なるものを書き綴りながら旅を続けている旅人たち。
当時でこそ物珍しく興味をそそられたが、私は何かと忙しい旅行中に教えて貰ったそのようなホームページにアクセスするような事は無かった。
そもそも1分いくらのネカフェでそんな日記を見るのに時間はかけられなかった。
ちなみに1998年の夏にメールアドレスを取得して2000年のクリスマスまでの2年半の間、私は日本語の変換方法ですら知らず、メールは全てローマ字で打っていて友人達に何度も怒られたものだ。
メールアドレスを取得してから、月に2~3回くらい旅行で会った友人全員に日記を送っていたが、それがメールマガジンと呼ばれるシステムだと言うことは日本に帰国してから知った。
もはやスパムの如し。
世界は格段に身近になり、そして小さくなった。路地裏にあった未知の空気ですら、いつしか検索エンジンにヒットするようになった。
インターネットの普及にによって「旅の共有化」が加速し、「リアルタイム旅行記」という企画じみた茶番が蔓延してきた。
共有化、もしくは共感が起こったおかげで旅の「偶然」は「必然の偶然」に置き換わった。
それに耐えられなくて、私は2度と帰るつもりのなかった日本に帰国したのかもしれない。少ない金で長期間の日本不在を続けるという、ゲームのような旅を続けた私が言うべき事ではないかもしれないけど。
でも。
旅行中に電脳のようなコミュニケーションが正当に確立されてよかったと私は思う。あの時、再会を約束した友人が2度と会えない遠くに旅立ってしまったとき。あらゆる時間に押し潰れそうになり自分自身でこの世界ごと閉じようと試みたとき。
その度に、私は宛ての無い手紙を無限の電子の海に託す。こんな自分でもどこかでリンクされていると切望するように。こんな物が無ければ私はきっと狂っていたように思う。
私たちは地平線を突き抜ける一本の道のような命だから。
時間はあっという間です。
世界はこんなにも小さい。
旅には出たほうが良い。
ほれほれ。
できれば若いうちに。
できれば荷物は少なめで。
愛情撲滅、御意見無用、喧嘩上等、あしからず。
嘘、大げさ、紛らわしいを発見したときは迷わずJAROへ。
では、はじまりはじまり。