防人は大陸を目指す!!!
【1997年12月5日(晴)日本:博多】
18:45 偉大なる負け犬の私を乗せた船は博多港を出た。
――― 時はまさに世紀末 ―――
1ドル=140円に届こうかとするアジアンマネー大暴落のまっさなか男は旅に出る。
「このクソ忙しいのに、せめて長野オリンピックの仕事が終わってから旅に出ろよ!」との元上司の暖かい励ましの言葉を胸に秘め、「男には行かねばならぬ時があるのです。」とばかりに追いすがる愛おしい人を払いのけ、声もたてずに泣きながら走って旅に出たような気もするが、過去となった今では定かでは無い。むしろ、あっさり見送られたような気もする。
船は闇の中、西へ滑るように走る。いつ戻るか分からない宛ての無い旅路の始まりはいつも、期待と不安が虚ろに折り重なり少し感傷的になるものだ。
残してきた家族、今も働いている同僚達、大切な友達や、自分の貯金の残高を思い、ゆっくりと遠くなりゆく日本の街の明かりを甲板から望みながら、私の心にふわりと一筋の言葉が浮かんだ。
「ざまーみろ(笑)」
何故?ほわい?うぇいしぇんま?
それについては後日明らかになってゆくのであるが、今はまだ皆さんへの宿題として残しておこう。続けて別の思いが沸き上がった。
「めちゃめちゃ寒いんっすけど。」
12月の玄界灘の夜風はとても冷たく、冷たい夜風に負けきった私は小走りに2等客室に戻り、日本を出る前にローソンでソーイングセットとバンドエイドと一緒に買ってきた「からあげくんRED」を食べて、キムチ臭い毛布にくるまり眠りにつくのであった。
【1997年12月6日(雨)韓国:釜山】
8:40 釜山港に到着したものの大雨である、涙の雨と言っても過言ではない。やっぱり猛烈に寒い。
いきなり帰りたくなり、チョーヨンピルの「釜山港へ帰れ」を口ずさむのは旅人としてのマナーだ。
他にも旅人のマナーといえばトルコで「飛んでイスタンブール」、モロッコで「哀愁のカサブランカ」、そしてアメリカで「ホテル カルフォルニア」を雰囲気英語で歌うなどが挙げられる。
若い子には何の事やら分からないかも知れないが、世界は広い。もっと勉強して欲しい。
歌っているばかりでなく、両替は忘れてはいけない。今は私が会社を辞めたせいか、アジア通貨危機のため昨年訪れたときは1万円=7万ウォンであったのが9万ウォンに下落している。もちろん物価は変わらずだ。さすが俺様。
これが何を意味するかと持ち金が予定より2割ほど増えたという事。詳しい計算式については私も含めた素人には難しいので割愛する。
どちらにせよ幸運の星のもとに生まれた運命は避けられないらしい。と、浮かれてたらターミナルの階段で滑って転んで怪我をしてしまった。
何もかも思い通りにいかないところが旅の醍醐味だとか昔の人は言った。あと「家に帰り着くまでが旅行です」とも。よい言葉だ。買ったばかりのバンドエイド大活躍。
ちょっとばかし港のベンチで凹んだ後、フェリーターミナルを真っ直ぐ地下鉄の中央洞駅を超えた所にある「金剛旅人宿」(1万ウォン/day)に宿をとる。
外は大雨。外に出るのも大変だし、傘なんか待ってきてないので近所のコンビニで、キンパップ(海苔巻き)とキムチとポテトチップスとパック入りのマッコリ(にごり酒)を買って来て、ポカポカのオンドル部屋の中で昼過ぎから独りテレビを見ながら呑み始めてみたり。
そうやって世界一周の初日からダメダメな感じで、あっという間に夜が更けていっちゃったりなんかして。めでたしめでたくもなし。