なんてったってオンドル!!!
【1997年12月11日(雪)韓国:ソウル】
既にソウルにやってきて4日が過ぎようとしている。ソウルでダメな旅行者ばかり集まる「大元旅館」(1万ウォン/day)に泊まっているなら沈没はお約束だろう。
昨日まで大雪。
予定ではすぐに(陸路だけど)暖かい東南アジアに向かおうと思っていただけに、長袖一枚しか持って着てない。しかたなく私はソウル市内で、豊富な品揃えと驚くほど安値で有名な「明洞衣類」にてダウンジャケットを3000円ほどで購入。防御力は10上がるが、素早さは3下がる。
もちろん新宿と上野と渋谷を混ぜて天神で割ったような「明洞」まで来たら、「全州中央会館」行くのを忘れてはならない。 っていうか今回わざわざ寒い中、韓国にまで寄ったのはこの「全州石焼ビビンバ」を食べるためだけと言っても良い。
当時800円程で食べられたのだが、これからアジアを目指すものにとっては一食800円は痛い。当時の東南アジアなら一日分の宿代、飯代、で800円くらいだ。痛い。本当は毎日食べたいくらいだが、これから先どれだけ長い旅になるか分からない身としては節約はしておける内にしておくに越したことはない。
泣く泣くソウル滞在10日間の間で6回だけ食べることにした。今回はこれくらいで許してやる事にしよう。
ちなみに本日両替したら、釜山では1万円が9万ウォンであったのが13万ウォンまで下落してた。最初に食べたビビンバは日本円にすると約800円であったが、韓国を出る時にはレート換算で約600円で食べられるようになっていた。日頃の行いの良さが、こんな所でもモノをいう。
【1997年12月14日(曇)韓国:水原】
そろそろ観光の話でもしておこう。つーかもう既に、雪の「烏頭山統一展望台」で北朝鮮の偵察は完了しているし、景福宮も、徳寿宮も挨拶にいったし、何よりもこれから戦いの始まる韓国から中国への船のチケットは購入済み($110)だ。さすが俺様、一ミリも油断はない。
おっと、観光の話でありましたな。地下鉄の市庁駅から一号線に乗り南へ一時間の水原駅。この街は私が来るという事で慌てて(嘘)10日前に世界遺産に登録された(本当)が、いったん夜になると大人の街に早代わりするという。
しかし今回の観光の目的は大人の夜の街などではなく、近郊にある「韓国民族村」だ。駅前から無料送迎バスで30分のところにそれは存在する。(入場料8500ウォン)。
で、どーってことも無かったし寒かったので突然ここで観光の話は終わる事にする。旅とはそういうものだ。知りたければ他人に頼らず自分の目で見るべきだ。
【1997年12月18日(曇)ソウル:韓国】
これから東仁川駅に向い今晩の中国へ行く船へ乗る。 世間では「ポケモン」を暗い部屋で見ていた幼児から高校生までの合計660人が意識不明になったと韓国でも連日騒がしい。
高校生というところが何とも情けないが、くれぐれもこのページを見る際には部屋を明るくして、上司にこっそりと、ウィンドウはあまり小さくせずご覧いただきたい。
韓国はいい国ダ。ただ冬はとてつもなく寒い。だから毎朝の銭湯での朝風呂でバブル風呂と垢すりで一日に備え、日中は本屋とゲームセンターで満喫する。
そして夜には屋台でのんびりやりながら、ほろ酔いで宿に戻りオンドルの床にもぐりこむ。このオンドルがたまらないダ。(オンドルとは韓国独自の床暖房で、台所や戸外にあるたき口で燃料を燃やし、その熱を床下にある煙道に通して部屋全体を暖めるもの) エアコンみたいに上から温風でなく床からポカポカが良い。
おかげでまったく観光ができなかった。
あっという間の2週間であった。こころなし気持ちキムチ臭くなった気もする。さて次は宿敵の中国、2年ぶり5度目の襲撃である。が、今はただこの韓国最後の晩餐として豆腐チゲの辛さに涙するばかりなり。さて最後にもう一回キムチのおかわりしよう。
「オモニ! キムチ ジュセヨ!!!」
そしてまた西へと、世界の果てへと進路をとる。