はじまり
こんにちは。ふぇすです。
今回は記念すべき第1回目の Lifelog ということで
思い出ばなしと、このページを作った経緯を
お話しします🗣️
【思い出ばなし】
大学受験を控えた高校3年の冬、
勉強に対するいちばんのモチベーションは春から
始まる新生活への期待。
大人の誰もが「人生の夏休み」と口を揃える4年間を
心待ちにしていました。
しかし私を待っていた大学生活は、高校生の頃に思い描いたキラキラしたそれとはまるでかけ離れた、
味気ない日々。
新型コロナウイルの影響をもろに受け、入学式中止、
オンライン授業、サークル活動停止、、。
友達はなかなかできず、先輩とも知り合えず、
大学について入ってくる情報はほぼゼロ🤦♀️
朝起きて、慣れないパソコンを操作して
オンライン授業を受け、
ご飯を食べて、寝る生活に飽き飽きしていました。
そんな変わり映えのない日々を過ごしていた私の唯一の楽しみは、
GWや長期休暇を利用した帰省。
実家から離れた大学に進学したため家族はもちろん、
中高までの友人も誰一人として周りにおらず、
大学が始まった直後から帰省を待ち望んでいました。
(交友関係は深く狭くタイプで大の人見知り。
唯一対面で行われた学部ガイダンスで、
心を許せる友人Yに出会えたことは奇跡だと思っています🤲)
いじわるなコロナくんは、私が待ち焦がれていた
帰省に際しても嫌がらせに全力投球です。
せっかく遠出する計画を立てても
再度感染が拡大し予定キャンセルの繰り返し🤦♀️🤦♀️
中学からの友人Sとの電話では
どれだけコロナに対して愚痴ったことでしょう。
そんなこんなで月日は流れ、
気づけば大学2年の11月。
それまでの約1年7ヶ月、なんの目標も持たず過ごして
きた私ですが、一つだけ叶えたい夢がありました。
それは
ヨーロッパで生活
すること。
高校生の頃にぼんやりと抱いていた
「大学生の間にヨーロッパのどこかで暮らす」
という夢を叶える最後の機会に立たされていること
に気づいた私は、
大学の交換留学制度に申し込むべく、
必要書類や資格を急いで揃え、期日ギリギリに
提出しました。
🌍 🌍 🌍 🌍 🌍
無事学内での審査を通過した喜びも束の間、
渡航可否判断は渡航予定日の2ヶ月前に下されるとのこと。
またしても先の見えない未来が私のことを待っていました🤦♀️🤦♀️🤦♀️
留学に向けて準備を進める中、心のどこかでは
「どうせまたコロナのせいで留学はできいんだろうな」
と思っている自分がそこにはいました。
周りが就活準備を進める中、自分は別のことをしている、
それでいて仮に留学できなかったらどうしよう。
そんな心配事が何度も脳裏をよぎりました。
そして迎えた可否判断の日。
👏👏渡航許可👏👏
この文面をメールで見たときは本当に嬉しく、
すぐに実家の両親そして友人たちに連絡しました。
ここからの2ヶ月はあっという間。
それまで失われていた2年強を取り戻す勢いで、
友人たちと思い出を詰め込んでいきました。
友人たちにしばしの別れを告げ
8月中旬、私は念願だった欧州留学を
スタートさせました。
滞在国はリトアニア🇱🇹
日本人にあまり馴染みがない国ですが、
だからこそ素敵な体験ができると思い選びました。
ここまで長々とお読みいただき、
ありがとうございます😌
【Lifelog を始める理由】
こちらで生活を始めてから毎日
日記をつけてきました。
すでに1ヶ月半以上が過ぎましたが
まだなんとか続いています。
そんな手書きの日記もいいですが、
「写真を載せつつもたくさんの文字を残したい!!」
とふと思い
このページを作ることにしました。
私がただ記録として残しておきたいことを
気の向くままに更新していくので、
たまーーーーーに
お立ち寄りください🌼💭🈁
【登場人物】
私:なんとかなるさ精神。マイペースに生きたい。
友人K:中学からの友人。兄妹構成が同じで共感することが多い。
第一印象は小さい。友人Y:ガイダンスで話しかけてきてくれた子。性格は真反対。
第一印象はうさぎいぬ。(ぴょんぴょん跳ねてきて、人懐っこそうだった)
現在タイに留学中🇹🇭友人S:中学からの友人。電話を一度始めたら、その後の予定が狂うほど長引く。
第一印象は怖い。(視力のせいで目細めてただけらしい笑)
それではまた~٩( ᐛ )و