文章の練習をせねばならない 20241104
僕が何らかの文章を書けば友人は笑いものにしてきた。もっともである
小さいとき、10歳くらいまでは絵日記を毎日つけていた。そのころは小学校の読書感想文でコンクールにいちど入賞するくらいには周りより文章が上手かったのだと記憶している。そこからはなぜかはたと日記をやめてしまい、僕の物書きはそれから進化していない。
進化していないからいつまでたっても稚拙な文章しか書けず、詰め込み学習で思考を忘れた自分はそれに気づけない。アホな文章をドヤ顔で見せびらかしてくる自分はさぞかし滑稽に見えただろう。
大学生活も4年を回り、Xのフォロワーがありがたいことに10か月で3倍になり、新しいFFさんたちとXやDiscord上でぽつぽつとコミュニケーションをとる機会が増えた。そのあたりから、自分の思考体系のバックグラウンドの浅さ、そして文章化能力の低さを嘆く機会も同時に増えた。
環境SFの参加者募集を受けて、テーマの環境と進化、ヒトについて考える必要が生じ、考え、これはまとまらないから文章に起こして評論としようと思った。運営に無理を言って文章の稿を差し込みたい旨を伝え、いざメモ帳を起動したのだがそこに出力されたのはあきれるほどつまらない、恥ずかしい胡乱な散文であった。評論でもなければもちろんSFと呼ぶのもはばかられるような。
タイプの手は滞り、止まり、そして1か月後また運営にごめんなさいをして評論部分を取り下げてもらった。相当がっかりしたと同時にこんなに文章書くの苦手やったんかと半ば驚きのような気持ちであった。
考えがまとまりにくくなっていることにも気づきが至った。思考がぱっぱっと散文的に入れ替わり、さっき考えていたことは5分後にはもう忘れてしまうといったような有様で、こんなのではまともな文章など書けようはずがないですね、といった具合である。長らく腑抜けて思考を忘れてしまったために、連合野がくにゃくにゃになってしまったようだ。
さらに大変影響されやすい一方でとんでもない飽き性という性分が相まって、これも思考の体系化、文章化を大きく阻害しているだろうと考えられた。これはおそらくうちの父ーー熱しやすく冷めやすい、趣味にたくさん手を出してはやめてしまう人だったーーの血を色濃く引き継いでいるんだと思う。
そうなるとこれからの人生、いつまでもこんなガキのような脳みそで周りの賢い人たちに媚びをうっておもねっているのは恥ずかしくていやだということで、ここに文章と思考の練習場を設けることとした次第である。
昨年の自分は痛くて見てられない、という状態を毎年継続していきたいというのが僕の目標であるから、残る文章はすべて怪文書の黒歴史、墓標となっていくと思うし、そうなっていなければ停滞である。
サブ垢に散発する思考の断片をかき集めてなんとか一つの論を構築する練習、その日あったことを情感を交えて描き起こす練習、ネガティブな感情をネガティブで終わらせない練習、学びを整理する練習。
飽きるまでの短い間我慢してください。よろしくお願いいたします。
(前述のとおりの性分であるからどうせまた #深夜の真剣レポート60分一本勝負 などに影響されて物書きやってみたくなったんだろうって言った? その通り)
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