読書とボードゲームの関係性
なんとなくの印象で語るので、与太話だと思って読んで欲しい。
最近、ある海外ミステリを読んだ。後から知ったことだが、どうやら各賞を受賞している話題作にしてヒット作らしい。
そんなことは知らず、タイトルと粗筋だけで選んだ。自分の感覚を信じた分だけ、内容が面白かった時の喜びも大きい。
ハードカバー上下二段組みの長編である。内容に満足したので、他の人の感想を読んでみたくなりインターネットで検索した。
ネット時代には絶滅危惧種となりつつあるマニアックな趣味が読書であるが、世の中には小説好きという人種がいて、驚くことに彼らのごく一部はただ本を読んだら頭が良くなるという奇妙なカルト宗教を信じていて(もちろん小説を読んでも大して頭は良くならない。ミステリなら、なおのことだ。ちゃんと何らかの勉強をした方が知識がつく。大して役に立たない自分の頭で考えるより、正しい知識を身に着けておくことが重要だ。単語を知らないのに文法を気にするのと同じだ。英語は逆に、単語さえわかっていれば文法が適当でも話が通じたりする。何が言いたいかといえば、すぐ後述することになるが、こういう話をしているうちに、何が何だか煙に巻かれてわからなくなってしまう、といったことを実演しているわけである。話の筋を追うなら、過去の文章へ飛んで一部分を読み直せば大抵は思い出せるし、多くの人はそうしているのではないかと思うので、メモを取るほどかしら、と内心首を傾げたりして。それはさておき)、あれこれ書籍を読んでいるのは間違いない。
そんな彼らの感想を見て驚いたことがある。
なんと、登場人物の名前がカタカナだから覚えられないだの、いちいち時系列順に情報を整理してメモを取り読まないと混乱して話の筋を追えないだの、あげくの果てには、話が長くて読むのが大変だのという感想が、パッと見た範囲で半分ぐらいを占めていたのだ。
――これ、ボードゲームでも似たようなことあるな。
小箱で軽いゲームを好む層と、大箱で長時間ゲームを好む層の違いというか。
読書が好きといっても、人物の名前が単純で覚えやすく、頭の中で物語の流れを追えて、できるだけ短めの物語がいい、という「本は好きだけど嗜むレベル」みたいな人たちが結構いるのだ。森博嗣が度々指摘してきたような話が頭をよぎる。そんなまさかねーと思ってたけど、どうやらそうでもないらしい。
読書という、1人で自由にペースを作れる娯楽ですら、こういう人たちがいるのだから、ボードゲームなんてもっとハードルが高いよなーと思ってしまう。
ルールすら聞きたくないね、というのが遊んだことのない、ボードゲーム初心者ですらない多くの人たちのまず思うことではないだろうか。
個人的な体験として、ルールを聞いただけで面白さを感じてしまうボードゲームに遭遇することがまれにある。
これと真逆だ。
ただし、ある程度の面白さには複雑さがつきまとう。単純すぎると面白さもそれなりになってしまう。
これは本でもゲームでも同じだろう。
ただ、ルールをじっと聞いていられるかどうかの耐性は、読書で培われる部分があるかもしれない。