息苦しい話


先日、
大好きなまなざしの先生が挙げていた、
「学校にある息苦しいもの」

◯集団生活
◯細かいルール
◯目的とゴール
◯教員主導
◯みんないっしょ
◯できる/できない
 (二者択一的価値観)
◯できる子の「不安」
◯できない子の「負い目」
◯べき・ねば
◯清く正しく美しい「児童」
◯考える(忖度)

あるあるー。

私も付け加えてみたくなった。
◯「普通こうでしょ」(単一的価値観)
◯時間的制約
◯場所的制約
◯予算の制約
◯揃えないといけない
 (上の「みんないっしょ」と一緒か)
 (他クラスと違うと不安になる方もいる)
◯同年齢集団生活が主
◯ちゃんとしなくちゃ

みなさんも何かしらあるのでは。

学校の中には
こういうhidden息苦しさがあると
ずーっと思っています。
これを感じていない人もいて、
人によって感じ方は違うんだろうけど、
自分が息しやすかったとしてもそこで
息しにくい人がいるのを知らんぷりはしてほしくないし、
ましてそこに携わる大人なら
常に意識していたいです。
それだけで子どもや保護者にかける声は
まったく変わる。

原因が一つだとは限らないし、
本当にケースバイケースだとは思うのですが、
学校に行きたくないという子がこんなに多い昨今、
「とにかく行きたくない」
「理由はわからないと本人が言っている」
みたいなのものの理由って、
こういう空気によるところが大きいと思います。
そして、そういう空気が当たり前にあれば、
理由が自分でも分からず言葉にしづらいのは
むしろ自然なことです。


すごくエゴみが強くて恥ずかしいけど、
恥ずかしいけど、恥ずかしいけど、若い頃は、
私の力強い?両腕で背中で屋台骨を作り、
せめて目の前の人たちは
しんどいベースの場所でもできるだけ
息がしやすいように、
そういう場所を作ろうともがいてきました。
だから、流せるところは流しつつも、
根底には、抗う意識が強いです。
それでも職種を名乗っただけで
即敵視されることもあるけど。

そんな意識でコツコツやって
のびのびできる場所になってくると、
しばらく経つと、
素直な声が生まれ、
自分たちで作れるところを意識し始め、
なにかしら、し始めます。
こちらもすぐに自分の意見を言ったりせず、
どうしたらいいかなあと
一緒に考えるスタンスです。

毎回そんなふうに
できているわけではないけど。
自分から何かしたくなるには
安心安全が不可欠だと思うのは、
そういう理由からです。

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