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素朴なマティヤに会いにいく✨ 【クロアチア・ナイーブ・アートの名作に出会う旅】
クロアチアの首都ザグレブにある「ナイーブアート美術館」で
一枚の素敵な絵画と出会い、小さな旅に出た話。
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「ナイーブ・アート」とは、専門的な芸術教育を受けずに独学で絵画の技術を身につけた画家や、その画業を表す美術用語で、「素朴派」や「素朴画」などの日本語に訳されており、代表的な画家ではアンリ・ルソーやモード・ルイス、セラフィーヌ・ルイ、そして広義では日本の谷内六郎や山下清、原田泰治、そして塔本シスコなども含まれる。
昔から敬愛するこの芸術分野の名をを冠する美術館がザグレブにあると知った時は胸がときめいた。とはいえ、ガイドブックやホームページで紹介されている展示作品には残念ながらあまり心惹かれなくてなかなか腰が上がらず、ザクレブに引越して数ヶ月したある日にようやく、市場の帰りに立ち寄ることにした。
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美術館はザグレブのランドマーク、聖マルコ教会のすぐ近く。小さいながらも、クロアチア出身画家の作品を中心に大小様々な作品が所狭しと並んでいる。
クロアチアのナイーブアートは、農家の人たちが農閑期に身近な画材を使ってガラスに描いたのが始まりと言われており、美術館には沢山のガラス絵が展示されていた。
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どの絵画も、実物は写真などで見るよりずっと深みや迫力があり、色合いも風合いも独特の個性を放つ作品群は、見飽きることがなかった。
が、なかでも、この一枚との出会いは格別だった。
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『動物の世界(Životinjski svijet)』
マティヤ・スクルイェニ(Matija Skurjeni)作
1961年
1000mm×1500mm
油彩画
画布から爆発するセンスに痺れて動けなり、幅1.5mの前に立ち尽くす。
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全ての動物からは吹き出しを付けたくなるような賑やかさとユーモアが溢れ、
それでいて、非常に繊細で美しいタッチの油彩画が持つ優美さを兼ね備え、
全体の印象では素朴さを放ちながら、画面の隅々からほとばしる生命力。
絵のどこを見ても物語がざわざわ立ち上り全身に鳥肌が立つ。
幸い美術館でさは空いており、30分ほどじっくり『動物の世界』に没入できた。
もっと彼の絵を観たくなり館内を探すも、この1枚のみの展示だった。美術館の人に当画家について質問すればよかったのだが、元来の人見知りに加え、『動物の世界』の魅力にすっかりノックアウトされた私は、惚けたままぼんやり帰宅してしまい、かろうじてメモした名前を頼りに自分で検索した。
英語のwikipediaに一応の記述があるものの、クロアチア語の記事ですら少なく、あまり有名な画家ではなさそうで、彼の作品群を観るのは難しいのかと諦めかけていた、その時に”muzej Matija Skurjeni”の文字が目に留まった。
Muzej がクロアチア語で”美術館”を指すことは、今日のナイーブアート美術館で覚えていた。これは「マティア・スクルイェニ美術館」である。
俄然胸が高鳴る。嬉しいことに場所はザクレブの隣町、路線バスとトラムを乗り継げば、自宅から2時間くらいで到着できそうだ。クロアチア語のみのホームページを辞書を引き引き解読して開館日時などを確認、翌々日行ってみることにした。
マティヤの美術館があるZaprešić(ザプレシチ)ザグレブの西隣の小さな街。引っ越してから初めて一人でザグレブ市外に出るので、ちょっぴり緊張の冒険気分。ザグレブ中心地からトラムで終点Črnomerec(チュルノメレッツ)駅に行き、ザプレシチ行きの路線バス172番に乗り換える。
小さなザクレブの都心の街並みはすぐに終わり、車窓には農地が延々と広がり始める。美術館の最寄り駅まで40分ほどのバス旅。心弾ませ・・・たかったのだが、降りる駅を絶ッ対に間違えたくなくて、絶えず車内の駅表示を確認し、バス停が過ぎるたびに指をキツく折り曲げて、14駅目の目的地Mažuranićeva(マジュラニチェバ)到着を見落とすまいと、旅を楽しむ余裕はなし。
全くの余談だが、指折り数える行為は一気に短時間で数える場合には非常に便利なものの、バス停数えのようにカウントの間が空く場合、けっこう困った事態になる。
私の指折りは、右手のひらを開いた、いわゆるパーの状態から始め、親指、人差し指、中指の準備に折り、小指まで折ってグーになったら、また小指から開いてパーの状態になるまで折り返すシステムだが、問題は、この折り返し前後、小指を1本立てた状態の待機中に起きる。
詳しく述べると、
四、または六のカウントから進む際、
はて、次は、
小指を折って五だったかな?
薬指に進んで七だったかな?
と、ここで進路を見失ってしまい、カウントの苦労が全くの無に帰す。非常に気をつけたいところなのだが、皆々様はいかに混乱を防いでいるのだろう?
閑話休題
今回は指折りも上手くいき、無事到着したマジュラニチェバ。
事前に地図で見たところ、広大な公園に複数の文化施設が点在していたので、上野公園のようなにぎやかさを想像してしまっていたが、ザプレシチという街自体がこじんまりと静かな場所であり、その中心地から離れた公園周辺は、到着を不安に思うほどひと気がなく、ひっそり感を極めていた。バス停から徒歩5分で公園の入り口、大木の並木から美しい小径を歩いていくと、すぐに黄色い可愛らしい建物が見えてきた。
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開館か休館か。外からでは様子が全くわからない静けさを醸す建物を前に、ちょっぴり(いや、ほんとはかなり)緊張して入館。館内は木製の床や柱、色艶の良い手すりのついた階段が優しい雰囲気を醸し出し、白い漆喰の壁一面にマティヤの作品が無防備に掛けられていた。部屋の奥手にカウンターがあり、愛想ゼロの女性に恐る恐る声をかけて、入場料を支払ってから絵に向かう。
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一枚目からグッとくる。
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この絵にキャプションはなく、モチーフから推測するしかないが、おそらくはキリスト教関連の絵であろう。左右の不思議なお付きの二人はもしかしたらアダムとイブかもしれない、が、違うかもしれない。
1階に飾られた10点ほどをじっくり見終えると、先ほどの愛想ゼロの女性が私をまっすぐ見つめて天井を指さす。展示は2階、3階へと続くどのことだろう。
木の階段を一人登ってゆく。
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完全貸切の中、好きなだけじっくりと一点一点見入る。木の床に自分の足音だけが心地よく響く。すると階下から突然、先ほどの愛想ゼロの女性が驚くほどの大声で、何かを叫ぶと同時に外へ出て行ってしまった。この瞬間、私は大量の美術品を前に館内で一人切りとなった。美術館よ、私が善良な人間であることに感謝するがよい。おかげさまで私も一人の安心感から作品へどっぷり浸ることができた。
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海の色も、タッチのコクも深い作品。海中に何か人型の存在が現れて驚きどよめいているところなのだろうか。
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人の顔の旨味がたまらない。しかも右の男性はうちの祖母に似てる。
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右上の家。隅々まで、どのモチーフを見ても惹かれる。
お次は…
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こちらはキャプションが付いておりタイトルは『アダムとイブ』とのこと。
虚空を見つめるこのイブは、果たして知恵の実を食べる前なのか、既に食した後なのか。
お次は…
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タイトルは『Prvi kozmonautski par』
グーグル翻訳によると『最初の宇宙飛行士カップル』という意味らしいが、どういうことか。ペガサスの様でいて、羽の質感が毛並みと全く同じでノッペリしているところが、ロケットの尾翼と捉えられなくもないような。木の枝ぶりの細密さと、馬の足の大胆さのギャップにグッとくる。
展示を奥に進むにつれて、絵の醸す気配が異様に濃密になる。それはまるでマティヤの心の層を一枚一枚めくるかのようなであり、彼の深層に一人で潜り込むことに危険すら感じるほどだ。この美術館は彼の心象風景の中を彷徨うダンジョンなのかもしれない。
次の絵のタイトルは、Google翻訳先生によると、『ロマの鈴蘭』とのことだが…
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タイトルの謎など、どうでもよくなる吸引力が|,
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母は強し、強き母の子はさらに強し…
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コクのある炎は何時間でも見ていられる。
次の絵は、まずはズームアップした画面から。
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まぁ、可愛らしいお花畑☺️
に、突然…
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あら?
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あらららら?
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あらまぁ。
本作のタイトルは『動物園』とのこと。好き嫌いは別にしてインパクトはピカイチ。
素朴派という名から気を緩ませた観覧者にアッパーを打ち込むような迫力の一枚。
ここで、これまでの雰囲気とは少し違う作品が現れた。
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彼の作品には意外と政治思想や社会的テーマが多いのだが、1898〜1990年という生年と長命を、激動のユーゴスラビアで生き抜いた背景を知れば納得がいく。
早くに父親を亡くし7歳という幼さで学校を退学して働き始め、第一次世界大戦を始め、ユーゴスラビアの前線での兵役を何年も勤めながら、独学や文化施設で絵画を学び続けたマティヤ。この『抑留者』といタイトルの一枚は、まさに戦争経験からの作品といえよう。ただ、どんなに社会性の強い作品であっても、彼独自のスタイルの持ち味は溢れ出しており、後年に向かうほど確立されていくのだが、そこがたまらなく切ない磁力を放つ。
例えば、次の作品。
タイトルは『原子力楽器を奏でる三兄弟』というが、
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どうだろう、この比類なき世界観。
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素朴すぎる邪悪さといおうか、素朴さと邪悪さの見事すぎるマリアージュといおうか。
何時間見ても目が離せない吸引力がある。
次の作品は『原子力楽器を奏でる三兄弟』の隣に展示されていたのだが、タイトルを写し忘れてしまった。たしか『第三次世界大戦』だったと思うのだけれど(違っていたら申し訳ない)。制作は1973年。
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インパクトのある中心部の周りには、彼らしい細やかなモチーフがたくさん描かれているが、その中に珍しく文字が書き込まれていた。
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“Nikad za počelo nikad za vršilo”
決して始めるな、二度とやるな。
という意味のフレーズはこれまでのユーモラスな印象を覆して心に刻まれた。
そして、この横には再びホッとする作品が登場。
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二人がだんだん昔話の"いいじぃさん"と"意地悪ばぁさん"に見えてくる。そして、右手後方のマルチーズらしき白犬の顔よ。この作品も、タイトルを写し忘れてしまったが、確か、キャラバン、だったかな?なんとも愛おしい作品。
そして最後に飾られていたのは130cm✖️217cmの大作。タイトルは『自分史』
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彼が永眠したこの街ザプレシチと思われる山波と家屋の景色に、年代や人物が細かく丁寧に描き込まれている。彼の足跡を追うように見入るうちに、何だか画布の中に入り込んだ気持ちになる。彼が生きた人生がありがたくて、そこに添わせてもらえたことに、思わず手を合わせてしまった。
気づけば5時間ほど滞在し、美術館を出る時には足がガクガク震えていた。
すごく遠くまで旅をしたような、それでいて、すごく懐かしい場所へ帰っていたような不思議な旅情に包まれて、隣町とは思えぬ冒険を幸せに終えた。
今回載せきれなかった作品もまだまだあるので、また改めて紹介したい。
こんなにたくさんの作品を残してくれてありがとう。
【マティヤ・スクルイェニ美術館】
(Muzej Matija Skurjeni)
https://muzej-matija-skurjeni.hr/ クロアチア語のみ
【クロアチアナイーブアート美術館】
(Hrvatski muzej naivne umjetnosti)
http://www.hmnu.hr/en 英語