個人的意見
後半にリンクを貼った記事を見て感じた想い。
当たり前の様に『死ね』 『消えろ』『臭い』『国帰れ』って暴言から『集団無視』というイジメを受け、現実逃避で映画館へ逃げ込んで、『有名人になれば虐められなくなる』って思って志した俳優。
親に高い入所金と月謝払って貰って通った養成所で映画館以外の居場所が出来、初舞台を踏み、観客に感動を与え、次第に演技を心から愛すようになった。
『有名人になれば虐められなくなる』と言う邪な感情から純粋に『似た境遇に置かれていて、居場所を見出せず自殺してる子達の目標とされる俳優(人間)になる』と言う想いに気付けば変わっていた。
僕は人一倍『言葉の鋭さ』を知ってる
癒す事もあれば殺すこともある
『先に手を出したら負け』って言うが、手を出す前から深い傷を負ってる者も多い。だから手を出した時代もある(※学生時代『辞めて』と散々言ったのに辞めず嫌がらせしてきた同級生をぶん殴った)
『どんな理由があれ手を出してはいけない』と言うなら、どんな理由があって暴言吐いたり、他者を否定していい権利があるのだろう。
ぶん殴って出来た外傷は綺麗さっぱり治るが
僕が当時負った言葉たちの傷、強いては怒り、悲しみは人格形成の上で未だ深く残っている。それらのトラウマが俳優業する上で貴重なトリガーにはなってるが、それはあくまで僕自身が見出した術。
そんなこんなんでつまり何が言いたいかって言葉の影響力ってマジで銃弾並なのだけども、そんな言葉を武器に商売してる一俳優として、相手が『死ねって言わないで』と発してるのに辞めず、終いには『死ねばみんな喜ぶ』とまで放って、死に追いあった人間が再び芸能復帰するというのは同業者として、いささか嫌悪感抱く。
直接手を下した訳ではないのかもしれない。
そして当人も悲しんで発した言葉を深く悔いているかもしれない。
『罪を犯した人間が幸せになってはいけない』とまでは思わないし、チャンスは与えていいとは思う。
しかし言葉で人を死に追いあった事実は変わらない以上、この世界に戻るのは自死させた相手の魂、家族、ファンを冒涜する行為だと思っちゃうし、彼自身も苦しまされる決断だと思う。
もっと視野広げ、承認欲求満たせる芸能と言う業種への執着を捨てるべきだとおもう。
どうするかは自由だし、勝手にすればいいと思う。
ただ、この先現場で一緒になることがあれば
『神田沙也加と共演する』って夢を奪われた身として
直接面と向かって、何かしら問うとおもう。
その時は逃げずに対話できると少しは嫌悪感も晴れるかも知れないが...僕もまだまだ未熟者だからわからない。
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