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日本3.0 2020年の人生戦略 佐々木紀彦を読んで

・冒頭から本質をついている

童貞とサブカルの共通点
「失敗」のないゆるい場所に逃げ込んでいるということ。
行動しないことで、他人から非難やバカにされることを回避する。
プライドが低く見えて、実は自己愛のかたまり。
しかし、反論をさせてもらおう。
最初から負け(告白)が分かっている戦いをすることであっても、
相手に迷惑が掛かってしまうという事実があることも考える必要がある。
大体、ドラマやアニメの影響を受けすぎである。
好きな人と関わりがほとんどなく、一目ぼれパターンの場合、
100%断られます。
当然ですが、普段から付き合いがあって、相手がよほど好意を持つほど
能力がないとこのイベントは起こす必要がありません。
1つだけビジネスと同じところは、
勇気がいるということ(必ず断られて振られるということ)
経営者や営業マンはこれを割り切って自然に行う行動力があるということ。

・就活とも似ている

Fラン大学卒だと、どんなに上場企業へ応募しようと書類審査で落とされるのと同じ感覚。
履歴書の作成の手間と時間の無駄でしかない。
たとえ、書類審査が通っても集団面接で能力の差と準備不足が露呈する。
それによって、自信を奪われ、ブラック企業へと就職する。
心と体を消耗させられる。
これが日本の就職システム。

・日本は軍事面をアメリカにアウトソーシングすることで経済に力を入れられた。

「覇権安定論」によって、国際システムが定まっていた時代は良かった。
しかし、群雄割拠の時代へと変わってしまった。
アメリカ依存の防衛から脱却を余儀なくされる。
現在の日本人の平和で豊かな暮らしは、
過去の遺産(祖先)と未来からの借り入れ(子孫)によって支えられている。

・日本3.0とはAI依存による従業員の削減時代の到来である。

アメリカはイーロン・マスク氏による「政府効率化省」300兆円のコスト削減を実現させようとしている。
これは、日本も真似してやってほしい。
日本の政治家では、中国の一帯一路や、アメリカのような大風呂敷すら広げることができない。
やっと、できるかもしれないのが103万円の壁。
堀江貴文氏は103万円の壁については、貧乏人の僻みであり、
そんなことをしても意味はないという。
その通りではある。一番の原因は国民の政治への無関心。
国民がどんなに不満を持っていても、官僚の方が何枚も上手。
103万円の壁を越えたとて、知らないうちに税金としてむしり取ることにかけては超々一流の官僚様たちである。
むしろ、一番の薬は「政府効率化」による
高齢政治家たちの排除と、若手官僚の解放である。
日本の国会の在り方を国民自体が考える必要がある。
議論する前から事前に質問する内容や回答を考えさせられている秘書たち。
あれはいったい誰が見ているのか。
よほど、政治に関心がある人かお金があり、人生が退屈すぎている人しか見ていない。
普通の人は、仕事で会社と自宅しか行き来していない。
自分の生活を守るので精一杯である。

・お金持ちと貧乏人の違い


使用人を雇う
自分で買い物しない
高級ホテルに泊まる
態度が常に穏やか
ボディガードを雇う
お金持ちはこれができる。
貧乏人はこれができない。

つまり、お金持ちは手元にお金を持っていない(資産運用)。
それでも不便のない生活ができる。
逆に、貧乏人は手元にお金がある。そうしないと生活ができない。
お金とは、自由にさせるとお金を増やしてくれるが、
手元に置いておくと増えてはくれない。
むしろ、減っていく。
なぜなら、余計な物を買ってしまったり、自分の欲望を抑えることができないから。

・アラブの春という名のカオス

独裁者をSNSによって、打倒して民主主義を手に入れた。
ところが、民主主義は機能せず、SNSによって、嘘とヘイトスピーチによる
宗教の分断、民族の分断が助長されて混沌だけが残った。
イギリスの政治家エドマンド・バーク氏は
「身分や階層そのものをなくせるなど、途方もない大ウソに過ぎない」
「こんな嘘に最下層で生きねばならない者たちに間違った考えやむなしい期待を抱かせて、なおさら社会の格差に不満を募らせるだけである」
「そして、あらゆる格差や不平等を無くすことは、どんな社会でも不可能である」とおっしゃている。その通りである。

・大学こそ日本のがんである

これは本当にその通りである。
田中真紀子氏がおっしゃていた通り、大学とは呼べないレベルの
大学が乱立しすぎたことも原因である。
学費ばかりが高く、内容は低い、教員のレベルも低い。
しかも、自主性が主であるはずの大学がなぜか興味のない講義を
いくつも受けて卒業する単位として必ず取らなくてはいけない。
これほど無駄な大学は高校ですらない。
高校ではまだ学習内容が良いが、大学は本当にどうしようもない。
分かりやすいビジネス本を分かりづらくした退屈で眠くなるような講義。
眠らずに聞いていられる方がむしろすごい。
堀江貴文氏がおっしゃる通り、大学に行く意味はない。
むしろ、経済負担(学資ローンの返済)が増えて、将来の枷にしかならない。
大学を卒業しても就職すら危うく、給料は薄給で一人暮らしで、会社を辞めたら即資金枯渇。
そんな人生は終わっています。

・日本人とメノン

ソクラテスにメノンは答えが存在すると思って、自分の頭で考えることなく、何が答えかを聞いてばかりいる。
そもそも答えがない問題ばかり。
この答えばかりを求めるところが典型的な日本人の姿である。

私も、ビジネス本や自己啓発本、成功した人の本を読んで
答えをずーと探していました。
でも、答えはいつも書いていませんでした。
お金を稼ぐ方法はどうすればいいか成功した人ならすぐに答えがもらえるものだと思っていました。
当たり前ですが、大勢の人に教えてしまえば、その方法ではお金を稼ぐことはできなくなります。
哲学者カール・ポパーは
仮説を欠陥のあるものとして認識し、その所有者を断罪することなく”仮説だけ”を断罪することが可能にする」
カール・ポパーは、科学哲学において「反証可能性」の概念を提唱しました。彼の考え方は、科学的な仮説や理論は、その正しさを証明するのではなく、誤りを見つけることを目的とすべきだというものです。

ポパーの主張の解釈

ポパーの言葉を解釈すると、「仮説を欠陥のあるものとして認識し、その所有者を断罪することなく”仮説だけ”を断罪することが可能にする」というのは、以下のような意味になります。

  1. 仮説は仮説のまま: 仮説は常に反証される可能性があるものであり、絶対的な真理ではない。仮説は何度もテストされ、誤りが見つかるたびに修正されるべきものです。

  2. 個人攻撃の回避: 仮説が間違っていることが判明した場合、その仮説を提唱した人を攻撃するのではなく、その仮説自体の誤りを指摘し、議論の焦点を仮説の改善に向けるべきです。これにより、科学的な進歩が促進されます。

  3. 建設的な批判: 仮説が誤っていることを認めることは、その仮説を改善するための第一歩です。誤りを指摘することは、より正確な仮説を構築するための建設的なプロセスの一部です。

ポパーのこの考え方は、科学的な探求が客観的かつ建設的に行われるための重要な原則となっています。この方法によって、科学は自己修正しながら前進することができます。

つまり、断罪するのは仮説だけであり、個人への攻撃は間違っています。
日本人は個人への攻撃が多く、仮説への断罪がありません。
原発の問題がそうです。
一方的な廃止だけではなく、うまく運用して廃炉まで使って、
投資した分を回収しましょうというのが普通の考えです。
リスクも分かります。
もし、大災害が起きたら必ずまた同じことが起きます。
それでも、動かさずにいるよりは劣化を防げるはずです。
ド素人たちが原発の稼働や中止を訴えるだけの無策はやめましょう。
太陽光のエネルギーを期待するより、銅線の盗難の方が多い世の中です。
どうせ年月が経てば結局、廃炉です。
これこそ宝の持ち腐れです。

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