ニューノーマル時代の自分で稼ぐ力もふ社長@もふもふ社長を読んで
・同じことを考えていたが行動力が段違いだった。
まず、当たり前ですが、大手企業に勤めていて、毎日のようにプレゼンを求められる能力の高い人です。大手企業に勤めて高収入な給料をもらっている点と浪費癖がある点以外は、私と同じことをしていました。
・挫折ばかりの日々
新卒で就職した後、最初の給料で個別株を20万円分、投資信託の七つの卵に100万円を投資しました。しかし、すぐ次の日にリーマンショックが起き、株価が半額以下になりました。これが私の最初の挫折でした。
その後、製造業でトライアル雇用の三ヵ月を経て自己退職し、警備業を10か月、運送業を3日で辞めました。職業訓練を経て建築業に就職しましたが、10か月で辞めました。どうやら私には、1年間勤められる仕事がなかったようです。最も長く続けられたのは旅館業でした。
・仕事は家庭環境を気にしてくれる上司と、周りの人との関係が全て
私の中で接客業は選択肢にありませんでしたが、仕事に就かないとお金が無くなる危機感から始めました。最初の3か月はフロント業務で、女将から「もっと明るく元気に接客をして!」と言われ続けました。3か月の使用期間が終わると、女将から「あいつはフロントでは使い物にならない」と言われましたが、経理課の上司(ボス)が「年配の社員の引継ぎの人材としてこちらで使います」と言ってくれたおかげで経理部へ移動することになりました。
経理部では、フロントとは異なり、接客を率先して行わず、フロントが足りない時や色々な時に駆り出されました。責任が重くないのが良かったです。フロントでは、休憩で交代時の引継ぎが上手くいかずにトラブルが多々ありました。兼業農家であった上司(ボス)は「田植えや稲刈りを手伝わないと家から追い出されるよ!」と言ってくれて、家族に田植え時期などを聞いて、その日を休ませてくれるという今までの会社ではしてくれないようなことをしてくれました。
直属の上司は人(従業員)と話ばかりする人で、情報源がすごく、誰と誰が付き合っていて、過去に何をしていたかを把握している人でした。しかし、仕事となると抜けているところがあり、ミスが結構ありました。でも、人柄のおかげで何とかやってこれました。
私の唯一のお互いに抱える不満や共感してくれる。
弱い部分をさらけ出せる相手でした。
・上司(ボス)が長期の休みに入る
ボスが体調を崩し長期の休みに入ると、その直属の部下であったSさんが経理課を受け持つことになりました。
その心的ストレスはものすごかったと思います。
ボスの穴埋め要因として、一人入社した人を一人前の経理マンとして育てなくてはいけなかったからです。私はボスの直属ではなく、物販の販売や消耗品などの補充・購入を主に行っていました。そして、ストレスのため、Sさんは3年後にやめることになりました。
まだ3年間しか経っていないのに、経理課を受け持つことになったKさんは仕事ができました。しかし、Kさんだけ残業がとてつもなく続きました。
これはSさんも同じでした。上司(ボス)もおそらくこれで体を壊したんだと思います。
結局、経理課には新参者しかおらず、フロントから色々な、いちゃもんを付けられました。
これの防波堤をしてくれていたのが上司(ボス)でした。
そして、防波堤が無くなると、フロントからの罵詈雑言が経理課に浴びせられました。
私の直属の上司はよくヘマをするのでフロントからは格好の餌食でした。新入社員へのいびりもすごかったです。10人の新卒が1年間で全員辞めていく恐ろしい職場でした。
そして、私の直属の上司が辞めると、今度は私に矛先が向かってきました。そうして、数か月後に退職することにしました。
実は、上司(ボス)が健在の頃から何度も退職をすると言っていました。そのたびに、代わりの人材を用意しろと言われていました。代わりの人材が来たが、フロントへ移動してしまい、また退職してしまい、辞めるにやめられませんでした。
この時から、不動産投資の勉強を続けていました。宅建にも挑戦しましたが、3回も落ちて諦めました。不動産投資が儲けられるという書籍を読み漁りましたが、どうしても踏ん切りがつきませんでした。
なぜなら、この時から安定した職場でなくいつ切られてもおかしくない状況で、不動産の経営やリフォームなどできるわけがなかったからです。
休日は、決まった日ではなく宿泊人数で決まるから、でたらめでした。
そんな状態でまともにできるわけもなかったし、不動産の一度の失敗はそのまま地獄へ一直線だからです。そんな職場で、驚きの10年間勤めることができました。
・職場では「パチンコとスマホゲームの話ばかり」
職場では誰一人として、株をしている人はおらず、休日はパチンコ。隙間時間はスマホゲームに課金。そんななか、私はひっそりと貯金を続けて、株式投資を続けて700万円まで投資金額を達成しました。ずっと、ほったらかしの塩漬けの株が黒字になりました。
次の職場でIT関係の会社を見つけて、就職。レベルについていけず、1年半で退職しました。
・コロナショックによる株価の大幅下落。資産が半分近くになる。
この時、コロナショックによって、株価の資産が半分になってしまいました。しかし、低空飛行の中、持ち株の比率を200万円分買い上げました。
それから、UnrealEngineをUdemyで学ぶ日々を続けていた。
そして、5年の年月が経ち、現在、株価の資産額は1700万円になった。
レンゴーは29%
ダイセルは48%
IDOMは1.2倍
双日は2倍、
三菱商事は3倍、
FPGは3倍になった。(全体の比率の3分の一)
トータルは黒字である。
利益はまだ配当金でしかほとんどありません。トータルで利確していないので、本当の資産になっていません。利確して初めて資産になるというのは本当だと思います。全部売って、利確すれば450万円の黒字です。
失敗した株は
LIFULLはー77%
オープングループー87%
クックパッドー52%
robothomeー56%
フィスコー62%
クボタ製薬ホールディングスー66%
リプロセルー73%
イトクロー66%
リブセンスー64%
WASHハウスー83%
三菱自動車工業ー44%
Jトラストー47%
これらだけで‐300万円の赤字。
滝川クリステルさんのCMで有名なグレイステクノロジーで50万円損失を出しました。その後、上場廃止。
・ただ株を手放さずに、実直にみんなが売った時に買えたことが成功しただけ。
今回の‐4000円の値下がりの時は、恐ろしくてさすがに一つも買うことができなかった。
格言は「人々が恐怖の時に買えである」これができる強靭な精神と失ってもいい覚悟の資産を持っている人だけが儲けることができる。
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