同性の先生に恋をしていた中学時代の話
中学生の時、英語担当のA先生に恋焦がれていた時期がある。
特にきっかけがあったわけではなく、気づいたら好きになっていた。
最初はちょっと厳しくて怖そうな先生だなと思っていたのに…吊り橋効果みたいなものが働いていたのだろうか。
1年生の終わりごろから好きになって、
2年生の時、クラスで各教科の先生をサポートする係決めをした際には、真っ先に英語担当に立候補し、A先生が持ち運ぶ教材や集めたノートを運んだり、授業後にはA先生が黒板に力強く書いていった文字を丁寧に消したり。静かにドキドキ感を味わいながら積極的にサポートしていた。
A先生は、目がぱっちりと大きくて、少し独特な声質をしていたので、他の生徒からいじられてはコラー!と怒るような人だったけど、わたしからすれば全てが愛おしかった。根暗で陰鬱な自分とは違い、明るくてハキハキと喋る人だった。正反対だからこそ惹かれてたというのもあるかもしれない。
クラスだけでなく学校全体で、3軍の中でもかなり下のほうにいたであろう私は、学校が全然好きにはなれなかったし、勉強もそんなに出来なかったけど、英語の授業は心の救いであり、学校生活の中で数少ない楽しい時間のひとつになっていた。
はあ、授業だけじゃなくて、朝や帰りのホームルームでもA先生を見れたらいいのに…個人面談でもA先生と話せたらいいのに…。
なんて考えていたら、3年生になって担任の先生がA先生になった。
ああ!ありがとう中学校!…中学の3年間で心の底から感謝した瞬間は、おそらくこれが最初で最後。
ホームルームにA先生がいる!
朝からその姿そのお声を聴けるだけでその日一日なんとか頑張ろうという気になれた。
昼食の時間も一緒の空間でご飯を食べれる!
嬉しい。幸せ。だけど当時、尋常じゃないくらい人の目を気にしていた私。
自分がご飯を口に運ぶ瞬間をA先生に見られるのが恥ずかしくて、食べるスピードが遅くなることも多々あった。
そしてなによりも最高だったのが、修学旅行にいっしょに行けるということだった。
A先生の髪型といえば、おでこを出し、長い髪を後ろに束ねているスタイルが特徴的だったのだが、
修学旅行の出発日、集合場所にいたA先生はイメチェンをしていた。
なんと、前髪を作っていたのだ。
しかも髪は束ねておらず、ウルフカットになっていた。
ああっ!!!これはこれは大変だ!!!
私はA先生が可愛すぎて直視できなかった。なにこっち見てんだ、と思われたらどうしようなんて考えたら余計に見れなかった。
修学旅行は2泊3日だったが、どこへいっても、集合写真を撮るときでも、A先生を直視することは出来ず。話しかけたかったけど何を話したらいいのかもわからず。かわいい記念に一緒に写真でも撮りたかったけどそれも言い出せず。
ただ、A先生がこっちを絶対に向いていないと確信した時だけ、遠くから見つめていた。…ちょっと気持ち悪いか?
その後、A先生は少しずつ、デコだしスタイルに戻っていったが、可愛さは戻るどころか日に日に増していった。なんとなく、女性としての美しさ…みたいなものが内側からあふれ出ているようにも感じた。
今でも記憶に残っているのが、秋ごろの昼休み。
教室内で生徒たちが各々友達と集まってわいわいしていた中、特に話しかけられることもなく教卓のイスに座っていたA先生は、両手を組んで頬杖をつき、窓から見える外の景色をちょっと切ない表情で眺めていた。
普段の状態からは想像できなかった切なさ。A先生でもこんな表情をすることがあるのか。私がA先生に恋焦がれているように、A先生も誰かのことを想っているのだろうか?いやいや、ロマンチックに考えすぎか。…そんなことを思った。
しかしその考えは、もしかすると当たってたのかもしれない。
冬のある日、朝のホームルームでA先生が結婚を発表した。
生徒全員が「おお~!!」と歓声をあげながら拍手。
私もつられて「おお~!!」と言いながら拍手。
なんとなく、好きな人に恋人がいるとか、結婚するとかなったら、ショックを受けるものだと思っていた。
しかし私はA先生の結婚を心の底から祝福することが出来た。
好きな人の幸せを願うことが出来たのはこの時が初めてだった。ここまで純粋な気持ちで幸せになってほしい・これからも幸せでいてほしいと思えたのは、おそらくこの時がいちばん。
人は誰かを好きになると美しくなっていったり、何かしら変わっていくものだということ。そして最終的にどんな形になったとしても、相手の幸せを願えたのなら、それもまた愛なのだろう…ということをこの時に学んだ。
中学卒業後はA先生に対する熱も冷めていったけど、今でもいい恋だったなと思っている。
忘れられない恋。青春。
A先生、今も幸せでいてほしい。