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34.目的と手段

目的と手段は違うように思えますが、実は同じです。
しかし、この世の中は結果を出すために手段を正当化しています。

目的イコール手段

「目的=手段」これが真実です。「目的と手段」はひとつです。同じものです。ところが、この世界では逆のことが起きています。「目的のために手段を選ばず。」が当たり前になっています。

手段を正当化する

わたしたちは目的を達成するために正反対の手段(行動)を選んでいます。
例えば、将来の安心のために=目的、今を我慢する=手段。
家族に満足した暮らしをさせてあげたいから=目的、仕事を増やす=手段。
もっとも、馬鹿げているもののひとつが、戦争です。
国を守るために=目的、戦争をする=手段。
交通安全のために=目的、取締りをする=手段。
本当にその手段は目的のために正当化できるのでしょうか。
いいえ、幸せになりたいなら=目的、幸せでいることです。=手段

単純明快な結論

目的と手段がひとつ、同じものなら、手段は目的そのものです。
平和を望むなら=目的、自分の心を平和にしてそのように表現する=手段。
完璧な人生を望むなら=目的、すべての人、物に完璧さを見出す=手段。
豊かさが欲しいなら=目的、自分の中にある豊かさを見出す=手段。
これらが、「目的と手段の法則」であり、「万能の法則」のひとつです。
このように愛と喜びを表現さえしていれば、他に何もしなくても、幸福な人生、成功、豊かさが手に入るのでしょうか?

在るVSする

人間は本来「在る」もので、「する」生き物ではありません。世の中の常識はこの逆です。人生で何かを手に入れるには、努力が必要だし、競争に勝たなければならないと信じています。これは幻想ですが、これを真実にするために人間は一生懸命に「する」ことに熱中しています。この幻想を信じている限り、「しなければならない」人生は、永遠に続くのです。
それがわたしたちの望む人生でしょうか。
では、「在る」状態になるとはどのようなことなのでしょうか。

人生に存在するもの

多くの人が、洗濯、食事の支度を負担に思ったり、仕方なくやっているのではないでしょうか。ちょっと見方を変えることができれば、自分と物事の関係が変化します。家事を当然のすべきものとみなす代わりに、洗剤、食器、食事を食べて栄養を補うことができたこと、洗濯機のおかげでだいぶ楽に洋服を洗うことができること、に感謝の気持ちを抱くこともできます。
今までに述べた「ありのままの気持ちを感じる」ことに通じる話です。
「する」ことに対して不愉快な気分になったとしてもそれを作っているのは自分自身だということは、すでに述べた通りですが、そこに注いだパワーを取り戻すことができるのも自分自身です。

最後に・・

わたしたちが、どんなに「する」ことに一生懸命になったとしても、人間が「在る」生き物だということは変わりません。「しなければならない」ことに追いかけられる人生をやめにして、ちょっと見方を変えてありのままを感じる自分で「在る」方がいいと思いませんか。その方がずっとラクなはずですから。

Be happy! 



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