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女へのAED使用に関する女性不信の解消法。女性側から「フェミニズムは女性の総意では無い」を発信する必要はあるが・・・
※2025年1月25日土曜日追記
記事内容を一部編集(追記)しました。「女性側に対してどうしてほしいか」の部分です。
はじめに
私はこれまでにも何度か「もう女にはAEDを使用しない。なぜなら冤罪リスク(危険性)があるし、訴 え ら れ た 時 点 で 社会的生命がころされるから」という論争等に関する私なりの考えを書き表しました。
今回、改めて2025年初頭時点おける、このことに関する私なりの考えをまとめ、それを記事にします。
なお、「女へのAED使用を巡る論争等」については様々なインターネットメディアで繰り広げられているようですので、詳しくは恐れ入りますがご自身で検索なさるなどしてご覧頂きたいです。
私自身の考えや立場
私ももう女へのAED使用はとても怖くて出来ません。理由は他の方が散々主張しているように冤罪リスクの高さです。AEDを使用された女が使用した男性を訴訟したと言う話は少なくともアメリカで起きたと聞いています。日本国内でもいつ起きてもおかしくありませんし既に起きている可能性もあります。AEDではなくても公共交通機関における痴漢冤罪もずっと続いていますし、もう10年以上前だったのですが、「痴漢!」と訴えられた鉄道の駅員さんが自殺したという話も聞いたことがあります。また、女が、自分に対する医療行為をした医師をセクハラ云々で訴え、しかも有罪判決が出たりその医師の息子さんが自殺までしたと言う話も聞いています。
更には、X(Twitter)上で「痴漢・性犯罪等は推定有罪にすべき」などととんでもない発言をかました輩も居ると知りました。
他の人が散々おっしゃっているように「訴えられた時点でその男性の社会的生命がこ ろされる」、そのことの重大さが理解されてほしいです。
このことから、
私も他の男性(及び一部女性)と同様、女へのAED使用など怖くてとても出来ません。
ではどうしてほしいか
1・医療・救急関係者や行政等に対して
「女性に配慮したAED使用方法」などと説く前に、特に男性側が被っている痴漢・セクハラ・性犯罪云々における冤罪リスクや人権侵害を認識し、その解消策を模索してほしいです。ですが、具体的に出来ることは現状では限られるでしょうから、最低限の最低限そのような観点だけでも認識してほしいです。
そして、特に男性は
女や社会(俗に言う「ツイフェミ」云々が騒ぎ立て、起きてもいない性犯罪等まででっち上げるなど)からの冤罪や社会的制裁を理不尽に被ってしまうリスクがあります。男性はフェミニスト(及び女全般)から理不尽に社会的生命を抹殺される危険性を背負わされているとも言えます。
どうか、このような理不尽なことを恐れている方にまで「女性に躊躇無くAEDを使え!!」と強要するのは本当にお願いですからお止めください。どうか女性へのAED使用をためらわない方のみが女性へのAED使用をしてほしいです。
なぜAED関連から女性不信が沸き起こるのか、という根本的要因を考えてほしいのですが・・・。
2・女性側に対して(特に男性側が抱くAED使用に関する女性不信に関して問題意識を抱いている方のみを想定します)
どうして主に男性側がAED論争を介した女性不信な雰囲気になって来ているのか、という原因をまず考えて頂きたいです。
私としては、簡単に言えばフェミニズム運動が行きすぎていることにあると考えます。
●「セクハラ」「DV」「ストーカー」「痴漢」云々の概念においては「男性=加害者、女性=被害者」という前提で広められてしまった(たとえ事例は少ないとしても、ああいう類いの運動をするのであれば 初 期 の 段 階 で 男性被害・同性間被害も明確に認識した上で広めるべきだった)
●公共交通機関などにおける「痴漢」において、女性の被害者救済の事ばかりに偏り、男性側がずっと「痴漢冤罪」を被るリスクを背負わされている状況が続く。
主に男性側が理不尽に被る「痴漢冤罪」自体は既に少なくとも20年近く前から問題視されています(それでもボクはやってない)。
ですがフェミニズム運動はひたすら「女性が女性が」と女性のことしか訴えているようにしか見えませんでした。少なくとも私にはそう感じてきましたが・・・。
加えて、マスメディア・行政・司法・政治等含め、世の中は「痴漢」の問題について、
「女性被害」に加え「男性や同性間の被害者救済」及び主に男性が理不尽に被る「痴漢冤罪」を防ぐ、という取り組みはせず、ひたすら女性が被害を受けていることに偏ったあり方が続いてきた。
まとめると、
「痴漢」の問題についても、被害者・加害者の性別問わず「痴漢」の防止と「痴漢冤罪」の防止対策、その両立を図る動きが出れば良かったが、そうはならずひたすら女性が被害者、という前提が続いてきた。
例えば、↑ のような「女性ありき」な世の中のあり方も続いていることも、「下手に女に関わることはリスクだ」と言われたり思われたりするようになったものと私は考えています。
結局の所、フェミニズムはひたすら女性が被害者だ!と訴え続けるばかり。その結果的に、相対的に女性の人権よりも むしろ男性の人権 のほうがないがしろにされていっている要素もある。そのこともAED論争を介した女性不信が沸き起る要因ではないでしょうか。
前置きが長くなり申し訳ございませんでしたが、このような考え方の前提で、女性側に対して、以下のことをお願いしたいです。
特に男性側が抱く女性不信や女へのAED使用への拒否感を緩和できるのは女性にしか出来ないと考えます。なぜなら、AED論争から垣間見える女性不信を緩和する方法としては、
「フェミニズム(女性の人権や女性差別・性犯罪云々ばかりを叫び続けるような類い)は女性の総意では無い」
ということを他ならぬ女性側が発信していくことが最も重要だからです。幾ら男性側がフェミニズムやその価値観に関して異議を唱えても説得力は期待できないとさえ思います。だって、結局男女問題云々になると女性ばかりが虐げられているような前提や雰囲気になってしまうではありませんか。男女共同参画云々も結局「女性が女性が」云々になっている。
ですが、女性本人が 例えば、以下のような感覚を抱いた場合のみで構いませんので
「男女問題や政策に関する女性ありきな論調や風潮はおかしいのでは?男性のみが受けているであろう人権侵害も認識し、男性の人権も尊重する必要があるのではないか」
あるいは
「何かにつけて『女性への性犯罪が云々』と騒がれすぎているのはさすがに違和感を覚える」
このような感じの内容の情報発信を行っていく(※1)
(※1 情報発信の想定例です↓)
・インターネットメディア各種での意見表明( X (旧Twitter) 以 外 の インターネットメディアが望ましい)
・関連する中央省庁をはじめとした行政機関(役所関連及び司法機関)や政党やマスメディア等への意見投稿(※2)
(※2 について)
政党への意見投稿は、与党や与党側の政策に対して批判や反対に終始するような政党よりも、より政策立案を主体に活動していると思われる政党に意見を出す方が建設的だと考えます。そして、各種政策分野においてそういう行動を国民自らが取っていくことが政治全般の質を上げることに資すると考えています。
そうしていくと、世の中の男性や現実社会における各種機関の関係者の間で「女性の代表をして声高に主張されている(フェミニズム的な)主張は必ずしも女性全般の意見とは限らないんだな」という空気が広がります。
そうなっていくことで男女差別・男女政策において女性の人権だけでなく男性の人権も採り上げられやすくなり、司法における不合理かつ女性びいきな判決も減る(←これは、念のため申し上げますが、より公平・中立な司法判断が増えていくという意味合いです)。
そういう動きが出てくると男性側もAED使用などに関して女性不信な感情を抱くことが減り、女性不信な論調も和らぐことになっていくでしょう。
なお、
女性のほうはこのような問題や事柄に関して無理に力んで(りきんで)まで取り組まなくても良く、「ほどほどの力加減」で取り組んで頂けると嬉しいです。
3・主に男性側に対して
前述の通り、いくら男性側が男性差別や男性人権問題に関することを訴えても、残念ながら女性が男性人権の尊重や保護への問題意識に関する情報発信や意見投稿を行うよりも説得力は弱いだろう・・・と私は思います。それでも言わば当事者である男性からの情報発信や男性人権の尊重も求める類いの意見投稿を行うことは重要です。
また、
男女差別の内、軽視されがちである男性差別や男性人権の侵害に関連する事柄(性差別関連)になると、下手をすると異性不信や異性憎悪にも陥りかねないと思います。そのような心理状態に陥る危険性を常に留意しつつ、インターネット上での情報発信(ブログ・動画等での情報発信やコメント等の書き込み)をする際は、表現や言い回しには充分に気をつけ、女性側に対して
「男性側は、本当は男女問題のあり方が『女性』に偏ることによって本来は持ちたくも無い女性不信な感情を抱いてしまいかねない。でも本当は同性異性問わず良好な人間関係(男女関係に限らない)を築きたいと思っているんだな」
というようなことを女性側に思わせるような情報発信の仕方を心がけてください(これは私自身の過去の反省も踏まえています)。
なぜこう申し上げたかというと、
前述の通り、(比較的フェミニズム度合いの薄い)女性自らが「フェミニズムは女性の総意では無い」と発信することが女性人権に加え、男性人権の尊重 も 図られる上で重要になると考えているからです。
つまり、単に女性不信な発信の仕方で終わるのでは無く、
女性自らに、女性ありきな男女差別問題や男女政策のあり方に疑問を持たせていくことを念頭に置いた考え方をし、それに基づいた行動・言動をしていくのです。
おわりに
以上がAED論争から垣間見える男性側が抱く女性不信の問題に関しての私なりの考えでした。
ここに来て申し上げるのは本当は良くないのかもしれませんが、
この記事では女性側にもAED関連で「お願い」をしたのですが、正直申し上げて聞き入れられるのかどうか期待できないなあ・・・と思う自分も居ます。なぜなら、
かつて男女問題に関する話が現実社会で話題になったとき、女側の主張がひたすら「女性が被害者で男が悪い」的な論法だったことが何度もあるからです。その時は正直言って「あ、やっぱ女の考えなどこういうものか・・・」と思えてしまいました・・・。
けれど、私が出来ることは現状ではこういった形で情報発信することしかないので、私なりに出来ることをさせて頂いた次第です。
また、AED論争を採り上げたYouTube動画コメントの中に、「女の私ですら女へのAED使用をためらうので男性は尚更ためらうだろう」という旨の意見もありました。そういう意見も聞いていますので、大袈裟な言い方ですが「一縷(いちる)の望み」をかけてこの記事を投稿する次第です。