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法学部卒の私が時計作家になった話。

幼少期は小児喘息でしょっちゅう学校を休み、本ばかり読んでいた。
おかげでちょっとしたことからでも想像の世界にトリップしてしまう子供だった。
シャーロックホームズ、アルセーヌルパンあたりから
法廷や犯罪、心理学を題材にした本にのめりこみ、大学は法学部を卒業した。
法律家になるため資格試験も受験したが、とある出来事からきっぱりやめてしまった。
とはいえ、世間は就職氷河期。
バブルがはじけ、アルバイトもろくになかった。
そこで、私は派遣社員として流通系カード会社で働くことにした。

私は、人の手の跡が残るようなものが好きだったので
そういう雑貨や洋服などを見て歩くうちに手作り時計に出会った。
腕時計は、好きなアイテムのひとつである。
存在感のある、大き目でデザイン性の高いものが好きだ。

手作り時計は真鍮やシルバーで作られており、
見るからに手作りな雰囲気やアナログ感が何とも言えず私の心をくすぐる。

その時計の教室があることを知り、私は作り方を学んだ。
先生は最後にこう言った。

50本ぐらい作ったら販売できるレベルになれるよ。

すぐに道具一式を買い揃え、次の日から帰宅後、毎日毎日部屋にこもり時計を作り続けた。
私はロウ付けなどの金属加工が初めてだったので、60本作ったところで
自分でも満足のいく時計が作れるようになった。

自分の時計のクオリティーを確かめるため、
無謀にもハンドメイド雑貨の有名店に売り込みに行き、おいてもらえるようになった。

しばらくは派遣社員と時計作家の二足の草鞋を履いていたのだが、
母がオリジナルの創作服店を開くことになり、
私は派遣社員をやめ、母の店を手伝うことになった。


あれ?フェルトアーティストでは??
と思ったあなた。
そう。私は経歴がちょっと、いや、だいぶおかしいのです。
私の話はまだまだ続きます。


今日はここまで

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