何故、私は「動き」を表現するのか。
月に1度、娘と泳ぎに行くようになった。
泳いだのはたぶん18年ぶりぐらいだろうか?
私は小学生の頃、スイミングスクールに通っていたのでひと通りの泳ぎ方は心得ている。
泳ぐという行為は、自分の命を守ることに繋がるからなのか、何十年経っても身体が覚えているようだ。
いや、全ての生き物の起源は水の中から始まっているからなのか。
DNAに刻み込まれた水への記憶が存在しているのかもしれない。
小さい頃から泳ぐと必ず浮かぶ言葉がある。
「水に還る」
いつもその言葉が脳裏をかすめる。
やはり、大昔は水中に住んでいたのかな。
私の作品(彫刻)は、色々な動きを表す。
それは、水に限らず空気、音、香り、光…
五感で感じる見えないものの動きである。
特に水にまつわる動きは、私にとって特別だ。
以前、カード会社に勤務していた頃は自分の心は大きな湖の水面をいつもイメージしていた。
どんな大きな石を投げ込まれようと、強風が吹こうとすぐに吸収して平穏な水面を保つようにしていた。
おかげで、今は鉄壁の湖面を心に持てるようになったかもしれない。笑
何日か前の投稿にあげたが、私は耳が良い方なので、水中はほぼ無音だから過ごしやすいというのも、私が水に還りたがる要因の一つかもしれない。
水中は静かだ
誰にも邪魔されないし、好きな方向へ浮遊できる。
外へ出ると途端に雑音だらけ、全てのものが下へ落っこちるし、落ちたらまた大きな音が出る。
現世は人間なのに水へ還りたくなるのはなんなのか。
水への望郷、水への回帰、それらが作品に大きな影響を与えていることは確かだ。
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