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頭の中をぐるぐるかきまぜられた大学院時代の話

前回の続き

29歳でムサビの大学院に入学した私。

ムサビでの風当たりは超強かった。

外部から入ってきた中大法学部卒30目前のおばさん。

しかも一度も事前に教授に挨拶にも来ないのにいきなり受験して合格した人。

つまり、強力なツテかコネなど汚い手を使って入学したんだろうという思い込みと噂の渦巻く研究室。

もちろんそんな事は一切ない。

私が合格したのは、教授のその日の気分一つだったと思う。

「なんか面白いやつが来たな。入れてみよう」ぐらいの。

 

当時の私は、母の店の手伝いをし、それとは別に作家業もバリバリやっていた。

フェルト作家と時計作家を両立させながら年に数回の個展、毎月のようにグループ展に参加。その合間には委託販売をしてもらっているお店へ納品。アパレルの展示会に出展。

さらにはフェルトを習いたいという強い要望を受け、教室まで始めることになってしまった。


プラス大学院生だったその2年間は、本当に大変だった。

何度辞めようと思ったかしれない。

でも辞めたら負けだと思って何とか卒業した。

担当教授とは折り合いが悪く、いつも衝突ばかりしていたが

織をやりたいという私の意思を、根気強くフェルトに変更するよう説得してくれた。

確か、私は2週間もの間、織をやりたいとごねた。。

しかし、前年の日本クラフト展に入選した私のフェルト作品を会場で偶然見たらしい教授は頑として譲らなかった。

「お前はフェルトだろ」

最後はこちらが根負けして仕方なくフェルトに転向。

その時点では、もうこれ以上何をすればいいんだろうという気持ちだった。

今までどれだけ試行錯誤を重ねてここまで来たと思ってるんだろう?

これ以上何がある?

私の頭の中はそればっかりだった。


教授はいろいろなことを教えてくれた。

でも、その時の私にはよく分からなかった。

教授の教えがなんとなく理解できてくるのは12年後のことである。


頭の中はごちゃごちゃでしっちゃかめっちゃかで、

ぐちゃぐちゃに絡まった黒い糸の塊。

そして完全否定された自己肯定感。

大学院を卒業した私は、これからどうやって生きていけばいいんだろうと途方に暮れるほど打ちひしがれていた...


続く。




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