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私が「子猫」にこだわる理由 - 羊毛フェルト作家のプロフィール -
こんにちは、フェルト工房もふです。
私は羊毛フェルトを使い、猫のブローチを作っています。
その猫の中でも特に「子猫」にこだわっています。
なぜ私が子猫にこだわるのか、その理由をお話ししていきます。
奇跡の出会い
それは私が10歳だった頃。
近所の公園にみかんのダンボールが捨てられていました。
中をのぞいてみると、そこにはまだ目も開いてない黒い子猫がいたんです。
小さい頃から動物好き、その中でも一番猫が好きだって私は「こんな小さくて可愛い子猫を捨てるなんて…!」と思い、怒りに震えながら子猫を持ち帰りました。
家に帰ると猫嫌いの母に「子猫なんか持って帰ってきて!」と怒られました。
でも私は「絶対大事にするし、お世話ももちろんするから」と母を説得し、なんとか子猫を飼えるようにしました。
その後すぐに子猫用ミルクを買い、哺乳瓶でミルクを飲ませました。
その子はよっぽどお腹が空いていたらしく、一生懸命ミルクを飲んでいました。
後で聞いた話ですが、その子は一週間近く前から捨てられていたそうです。
目も開いていない、まだまだ母乳が必要な子猫が一週間近くも放置されていたなんて。
そんな過酷な環境の中、この子はギリギリで生き抜いたんだ。
見つけるのがもう少し遅かったら、この小さな命は消えていたかもしれない。
この子との出会いは奇跡だったんだ。
そう思うと、ミルクを飲んでいるこの子のことが一層愛おしくなりました。
猫らしい猫
拾った時にはまだ目も開いておらず、歩くことすらできなかったその子は、すくすくと育ちました。
食事もミルクから離乳食、ペットフードを食べられるように。
1年後、その子は立派な大人の猫になっていました。
性格は、いつもは一匹で過ごしてツンとしているのに、甘える時はベタベタするという、まさに猫!という感じの猫でした。
ワガママで、気分屋で、とびきり甘えん坊なその子。
私はその子を溺愛し、まるで我が子のようにかわいがりました。
長い闘病生活
それから10年以上の月日が流れ、若かったその子は歳をとりました。
以前は活発で運動神経が良く、家の中を走り回っていたのに、すっかり落ち着いた性格に。
ある日のことです。その子はいきなり足が動かなくなり、イスから転げ落ちてしまったんです。
すぐに病院に連れて行くと、幸い骨折などはしていなかったものの脳に病気があるとのこと。
その日からその子は寝たきりになり、長い闘病生活が始まりました。
トイレがままならず、オムツも嫌がってしてくれなかったので座布団の上にペットシーツを敷き、その上に寝かせることに。
ご飯や水を飲むことは、私が抱っこをしないとできない状態になりました。
また、点滴が必要だったので週に3回病院に連れて行きました。
そんな生活が2年以上続きました。
その子はご飯を食べてはくれるものの、どんどん痩せていきました。
ある日、その子の顔を見た時、「あれ…?子猫みたい」と思ったんです。
顔がガリガリにやせて目が大きく見えるようになったその子は、まさに子猫の頃と同じ顔になっていました
闘病中の年老いた猫に向ける感情ではないかもしれませんが、素直に「かわいい…!」と思ったんです。
その子の介護は大変でしたが、かわいい顔を見るだけで介護疲れなんか吹っ飛びました。
そして半年後…
その子は天国へ旅立ちました。
2年半以上もの間、自由に動くこともできず辛い日々を過ごしたその子。
どんな想いで過ごしていたんだろう。
代われるものなら代わってあげたかった。
そう思うと胸が張り裂けそうになり、私は毎日泣きました。
その子が天国に旅立ってからもうすぐ7年が経ちますが、今も思い出しては泣いてしまいます。
それだけ愛している子なんです。
私が子猫にこだわる理由。
それは年老いて病気を患い、やせ細ったその子の顔があまりにもかわいく忘れられないからです。
みかんのダンボール箱の中で出会ったその日から、ずっとかわいいと思い続けているその子。
その子のことを胸に思い、私はこれからも子猫ブローチを作っていきます。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
フェルト工房もふ