『感謝』と『愛着』
私の両親が先月10日違いで亡くなった。
二人は五十代で離婚し、それぞれ同時期に再婚した。父と義母となった人は、父の弟を頼りに九州に移り住んだが、母と義父となった人は近くにいたので、娘である四姉妹の家族は、母側を実家のように慕った。
特に三女の私たち夫婦と気が合い、義父はなんの血の繋がりもない私たちに本当に良くしてくれた。孫にあたる子どもたちのこともとても可愛がってくれて、進学や誕生日の度にお祝いしてくれたり、運動会にも来てくれた。だから私の子どもは実のおじいちゃんのように慕った。
片や、九州にいる本当のおじいちゃんは、夏休みの度に遊びに行くくらいで、一度もお祝いをしてもらったことがない。そんな事は別に良いのだが、それも関係してか、子どもたちは九州のおじいちゃんは、遠い親戚のおじいちゃんくらいにしか思っていない。
だからこの度二人が亡くなり、ひと月に二回のお葬式を行なったのだが、ばーばんである母の時には孫たちが全員集まり、とても賑やかな葬儀となった。
父の葬儀には主に四姉妹夫婦で、孫はちらほら。これが生きてきた結果だ。
けれど、葬儀に集まる人数で、故人の人生の結果を判断する事はできない。何故なら、『感謝』は人を動かすエネルギーにはなるが、『愛着』はそれ以上の心が伴うからだ。
母は一人で生きていける強い人だった。その分、自分から優しい言葉をかけたり、思いを馳せることが苦手な人だった。私たちが忙しさにかまけて疎遠でいると「もう私には子供がいなかったと思う事にした。」というような人である。
その反対で、父は子どもたちにお金の援助をしてもらいながら、いつも感謝の言葉を口にする人だった。
「どうしてる?みんな元気か?会いたいね。旦那さんを大事にするんだよ。」といった内容の文を四姉妹にしょっちゅうラインで送っている。(遺品整理してわかった)
特に長女は、幼い頃から父に可愛がられてきたので、亡くなる前の半年ほどの姉の献身ぶりは、他の姉妹が驚き感嘆するほどだった。父は最高に幸せな余生だったと思う。
母は長く入院していたが、見舞いに行っても「無理しなくていい。」と言う。会いたい…と聞くことは一度もなかった。娘たちに、お金や物質的には本当に良くしてくれたが、言葉の傷もたくさん残してくれた。孫たちには、ばーばんとして慕われたのがせめてもの救いだ。
けれど、どんな親でも、この親にたくさんの愛情を受けて育ってきた。『感謝』であろうが『愛着』であろうが、それはこちら側の受け止め方であって、親という存在を大切に思う気持ちは変わらない。
我が家の仏壇の横で、笑っている両親たちの写真の顔を見ながら、人生とは…肉親とは…愛情とは…と、
色々考えてしまう私であった。
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