ども!shokoです(*^^*)
「お前は豪傑なヤツだなぁ〜。ハハハハ」と大声で笑っている父の顔を思い出す。
娘ばかり4人で男の子が欲しかった父は、三女である一番活発な私を男の子のように育てた。
散髪は父の担当で、小学校低学年まではずっと刈り上げ。知らない人からは「そこのボク……。」と声を掛けられるほど。
一家の大黒柱としては失格だったが、私は楽しそうにいろんな話をしてくれる父のことが大好きだった。
けれど高校に進学して程なく、朝礼の時に担任が横に来て、耳元で「授業料が納金されてませんよ。」と言う、その恥ずかしい光景を何度も経験していくうちにまた、私の中で惨めな気持ちが渦巻き始めた。
もう何もかも嫌になり、全てを投げ出したくなる衝動に駆られた。
そして決定打は、年子の妹が私立高校を受験すると決まった時だ。
上の3姉妹と違って末っ子の妹だけは、すこぶる勉強が出来なくて、おまけに甘えん坊。いつもひとつ上の私にくっついて泣いてばかりいた。そんな妹は両親や姉達にとってはとても可愛かったのだ。
それに比べて私は、妹の面倒はみても、自分のことで家族を煩わせるどころか、なんでも自分で決めて行動するしっかり者だった。
ただひとつ、親を煩わせたとしたら体が弱かったことだけだろう。夜寝ると、喘息の発作を起こしていた幼少期。病院にも連れて行ってもらえず、「しんどい〜しんどい〜。」と猫のように背中を丸めてうずくまるばかり。今思い出しても泣けてくる。
私は、グレてやる〜!と、固く心に誓った。
ライオンキングに出てくる『ハクナマタタ』のうちは楽しいが、だんだん『自堕落の天使』へと堕ちていくうち、いつも薄暗い靄の中にいるような気だるさがつきまとった。
高校も退学し、彼氏のうちに泊まり込み、不良と呼ばれる仲間達や暴走族のメンバーと戯れる日々が続いた。
気がつけば、姉達が「使用前、使用後。」とからかう程、私は別人になっていた。
18歳で出来ちゃった結婚をした私は、アルバイトでもらったお金で文化住宅を探し、大家さんに掛け合い、入居時に支払う頭金も分割にしてもらって、どうにか新しい住まいを手にした。
夫となったひとつ上のアフロ頭の暴走族は、職人見習い中だ。全くお金などなかった。
みかん箱ひとつからのスタート。『神田川』のリアル版だ。けれど貧しくても、愛する家族と暮らせることが何より幸せだった。
その頃、すでに離婚していながらも一緒に暮らしていた両親は、ある日母が蒸発し行方不明となってから、父は愛人を連れて九州へと逃避行した。
残された高校3年生の妹はアルバイトで稼いだお金で高校を卒業し、寮付きの職場に就職し家を出た。
2番目の姉も一人暮らしを始めた。
私の初めてのお産の時、母がいなくて、夫の母であるお義母さんが病院に飛んできてくれた。けれどお産の苦しみにウンウン唸っている私に
「お前の母親は何をしている!」と、怒鳴った。
(あぁ〜まただ…。親のせいで、私はこんなにも惨めな気持ちになってしまう。これではまるで、私は因幡の白兎だ…。)
私が自分を自分で誇れてた頃、私の中には夢があり、目標に向かって努力する健気な自分がいた。
『品行方正』というキラキラした透明なそれは、確かに私の心の中にあった。
けれど、惨めな気持ちはそのダイヤモンドのような宝石を、じわじわと侵食し、挙げ句の果てにぶっ壊してしまった。
結局、ダイヤモンドではなかったんだ。ダイヤモンドなら決して傷つかない。けれど、まだ20歳にも満たない子どもの私には、過酷すぎる現実の中で、誇れる自分を保ち続けることは無理だった。あまりにも精神年齢が幼すぎた。
つづく