【あきらめからの呪縛へ】オレは愛の責任を取れるのか? Chapter 2
「あきらめの中の一瞬の笑顔」からはじまった
ワタクシのココロの傷は
さまざまな呪縛を作り出す
呪縛=呪い
(悪魔くんの
「エロイムエッサイム」的な)
さあ、ワタシの呪いの言葉
「ダメな自分を認めたくない」
この思いを持ち続けるのは
「悲しすぎる」
・・・・・・・・
どうしても
どうしても
アタマでそんなこと、ないと
わかっていても
縛られている
どうしても、この呪縛から
解き放たれない
「この呪縛から解き放たれて
自由になりたい。楽になりたい」
・・・・・・・・
どんなに解釈を変えても
どんなにポジティブに捉えても
どんなに心理学的本を読んでも
ココロの重さは残り続ける
(二日酔いの次の日の
頭の重さのように、片隅に)
・・・・・・・・
じつは
この呪縛にたどり着くまでには
巧妙に隠された
迷路が用意されていた
ワタクシの人生のテーマは
「自由」だと思っていた
まー、好き勝手に転職したり
(最後は48歳って、、、)
意外と自由にやってきた
と、思っていた
そう、ワタシは、「自由」
「自由に生きてきた」きっと
しかし
人生のポイントの傷
「こうしてほしかったのに
そうして、もらえなかった」
のを精査すると
<例えば>
4ヶ月前に「結婚したいと思ったの」と言ってたのに
「さよならってなんだよ、、、おいおい!」
とか
まさかの人生のテーマが浮かび上がる
ほんとうに
巧妙に隠されている部屋にそれはある
迷路のずっと奥の自分でも
「あ~あの部屋なにも置いてないんですよー」のところ
「だから探してもなにも出てこない、、、」
::::
平気なふりをしている
いや
平気なふりをしていないと
壊れてしまう
思考で、平気にしとかないと
感情が、溢れて、
自分が、壊れるオソレ
そして、きづく
ワタクシの人生のテーマは
「見返してやる」
そしてそれを成就させるための
ワタシの呪いの言葉は
「ダメな自分を認めたくない」
そりゃ、そうだ
そんなの認めたら
見返すことは出来ない
:出来る自分でなくてはならない:
:正解の自分を証明しなければならない:
そして
出来る自分を証明できたら
また、次の「見返す」ための
行動を繰り返す
「ワタシハ シアワセニ ナッテハ イケナイ」
「ダッテ シアワセニナッタラ モウミカエセナイ」
「やめとけ」からはじめて
「できるだろ」までの証明の繰り返し
「見返してやる。あいつらを」
「小さいころから、我慢をオレに見せてきた親を」
・・・・・・・・
さすがに疲れる、、、
中年思春期の年頃には
つかれる
(若ければ、朝方までディスコで踊ったあと
海までクルマでレッツGO!もできたが)
積み上げては
自分で壊すの繰り返し
それは
「見返すのテーマ」通りに
・・・・・・・・
そしてこの呪縛
「ダメな自分を認めたくない」に気づく
そして赦す
するとまた、気づく
つづく、、、だろう
<追伸>
畑いちめんの麦は刈られて
黒く焼かれて
水を張って田植えの準備
そんなところで
毎朝風に吹かれる
「ジジイになったもんだ」
急いでやることは
そんなに多くない
忙しいのは
余計なことに目移りしている
自分のココロだ