数学的思考を、日常で実践する。

数学的思考とは何でしょうか?

 

当時高校生の僕にとって、数学は不気味な存在でした。

 

点数が良い時と、悪い時の差がものすごく激しいのです。

解けるときは、すらすらと解答欄が埋まっていきます。

ですが、分からないときは、(1)~(3)の内、(1)から分からない、

なんてこともよくありました。

 

(1)が解けないということは、明らかに基本的な解法が頭に入っていないのです。

 

それだから、問題をたくさん解くよりも、

まずは、1冊の参考書で基本的な解法の暗記を徹底しました。

そうすると、テストで出てくる問題が、ほとんどその1冊の問題集にある解法で解けることが分かってきました。

 

 

問題が解けないということは、

その問題に、秩序を見いだせていないということです。

逆に、一見無秩序に見える問題でも、

そこに秩序を見いだせたなら、問題は解けるということです。

 

一対一の対症療法ではなく、

より多くの問題に対応できる解法を先に学ぶべきです。

より抽象度の高い解法が必要なのです。

 

というと、”神様”という概念は、かなり抽象度が高いです。

 

前回は、「自分の部屋を神社に見立てて掃除をする」という話をしました。

 

ここは神社みたいに神聖な場所だ!と見立てて、

実際にそのように扱うことで、神様に降りてきてもらうのです。

 

実際、この記事を書く前は、全然アイデアが出てきませんでした。

ですが、部屋をキレイに掃除をしていたら、

徐々にアイデアが出てくるようになりました。

(掃除によって体を動かしたことも関係していると思いますが)

 

「神様がいるかのように、それを扱う」というのは、

何にでも当てはまる抽象度の高い教えだなと思います。

 

 

今ちょっと考えただけでも、

目の前のパソコン、

つくえ、

いす、

文字、

文章、

 

それぞれがまるで、神様のように丁寧に扱うことで、

自然と自分の気持ちも明るく、軽く、温かくなってきます。

 

大祓祝詞の一番初めに、

「高天原にかむづまります」

という言葉があります。

 

高天原というのは、神様が下りる場所ということです。

今、ここに神様がいらっしゃるということです。

 

自分の心も、使う言葉も、また目の前のもの、ひと、

そこに神様がいるかのように扱うことで、

良い流れがやってくるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?