2020年という一年
2020年の到来を歓迎していた去年の今頃。
社会学では1945年以降、およそ25年ごとに社会は大きく変動するという考え方がある。1970年、1995年の前後は確かに、日本社会にとって変革期であっただろう。僕が実感しているのは95年だが、確かにこの頃、日本はバブル期の好況、上げ潮への回帰を静かにあきらめ、ダウンサイジングを受け入れていったように思う。
25周年周期説はただ、親世代から子世代への世代交代が晩婚化、非婚化によって遅くなった今日に有効であるかはわからない。それでも2020年は日本の久々の変革期になるかもしれない、そんな漠たる思いをもって去年の今頃を過ごしていた。
だが、その変革は最も暴力的なかたちで訪れたと言っていい。
新型コロナウイルスによる社会変動について今更語るまでもないが、あえて言うなら、今までにない身体性の喪失が社会規模で生じているのは間違いないだろう。
『ウルトラQ』「2020年の挑戦」は、高度に頭脳のみを発達させたケムール人が失われゆく身体を回復するために、過去の社会を侵すエピソードだ。
身体性の喪失はコロナ禍によってのみ生じたものではない。また「身体性に代替えするテクノロジー」が社会を前進させてきた過程にあったために、コロナ禍によっても社会システムが破綻しなかったのだともいえる。コロナ以後の社会は、予備電源的に備わっていたテクノロジーさえもが稼働している社会なのだともいえる。だから身体性が後退し、それに代替えするテクノロジーなり思想が前景にせり出すことがすなわち問題という訳ではない。
しかし、谷崎潤一郎が西洋の筆記用具を使えば、書く中身、つまり思考までもが西洋的になるといったように、使用は可能だが、備蓄に留まっていた予備電源的なデジタルテクノロジーが、一気に稼働した社会では、私たちの思考までもが一気に身体性を欠いたものになりはしないかという思いがある。
デジタルとは原理的には0か1かの選択を迫られる事象だ。0をさらに0と1に分けていっても、どこかで割り切らなくてはならなくなる。私たちもまた無段階に調整してきた様々な関係性を、どこかの目盛りに合わせざるを得なくなる。その目盛りは限りなく自分の思うものに近かったとしても、いつまでたっても同一にはなりえない。それどころかこの面倒なチューニングのような作業を避け、手っ取り早く、0か1かを見定める極論が思考のスタンダードになりやしないかと危惧する。
うちの娘は3歳と1歳だが、二人にとって町ですれ違う、あるいは幼稚園で会うすべての人々はマスクに顔の半分を覆われており、表情を見せない他者であるという前提が内面化されつつある。
もはや私たちにとって他者は、半ばアバター化した存在だ。アバターは身体ではない。匿名化した社会の中の記号的存在となった私たちは、ディストピア化した未来社会で大気汚染等のために素顔を覆わざるを得なくなったイメージと重なり合う。
僕たちの世代が車のない社会、テレビのない社会を想像し得ないのと同様、うちの娘たちは、ことさらに感染症など気にせず、顔を晒し、「口角泡を飛ばす」という慣用句があるほど、人びとが面前の相手に向かって言葉を交わし合った社会など想像し得なくなるのかもしれない。
もうすぐ今年が終わる。ショックだったのは、コロナ禍以前の1月に上原正三先生の訃報が伝えられたことだ。
僕らにとってテレビとは一つの風景であったのだと思う。テレビのコンテンツはもちろん、茶の間にあるテレビを囲む人々の姿もまた風景であった。上原先生は長くテレビシナリオの世界から一線を退かれていたが、それでも、幼少期からの見慣れた風景を紡ぎだしてきた上原先生がご健在であり、今日の社会についての思いを雑誌や新聞等で語られ、折々は個人的にお会いしたりメールをさせて頂く中で聞かせて頂く言葉によって、なじみの風景はもはや現実には存在しなくなったが、その風景を描いてきた方が今の社会をどのように見ているのかということを知ることができ、そこには心地よい連続性が感じられたのである。旧来的なウルトラマンもギャバンも成立しない世の中であったとしても、そのウルトラマンやギャバンを創造してきた上原先生が語る言葉がある以上、過去と現代、虚構と現実という断絶はあっても、それを埋められるような気がした。
2021年が始まった。誕生日の翌日がただの一日になるのと同じく、もうすぐ迎える新たな年は、毎年当たり前にやってくる新しい年に過ぎなくなる。しかし、コロナという共通の難題に向かって、社会の、そして世界の分断が少しは修正される年になるのか、それとも分断がますます顕在化する年になるのか。それが問われるという意味で「ただの」一年ではなくなるだろう。
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