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挑戦すると見えてくる。ダサくてカッコ悪い、自分のこと。

新しいことに挑戦する時。
最初はワクワク。
楽しくて夢中なのに、周りを見渡した途端、ダサくて、カッコ悪くて、不完全な自分を知ることになって、急にやる気が出なくなることって、ありませんか。

なんでこんなことしたんだろう。
才能もないクセに、
本当、バカだった……。

わたしは今、ちょうどその最中です。

人と比べたり、数字を気にして自分を責めて、せっかくの一歩を一歩とカウントできないから、二歩目も三歩目もなく、道にすることができないんです。

でも、せっかく挑戦したのです。
評価じゃなく、自分に体験させてあげたこと。挑戦したことを認めるだけで良いのに、それが難しくて……。


思い起こせば、noteを始めたばかりの時もそうでした。

初めてって、完璧に出来なくて、カッコ悪いところを沢山認める作業ですよね。
挑戦して、努力しても、人から評価されるどころか読んでも見てももらえない。
でも、そんなことにも負けず、試行錯誤しながら続けていたら、面白い出会いや新しい自分との発見に繋がったりして、どんどんまた楽しくなっていく。
そしてまた、ダサくてカッコ悪い自分と向き合う作業の繰り返しで、ここを乗り越えることこそ、本気でしたいことなのかどうか、試されているのかな、なんて。

だからこれは、通過儀礼だ!

とは、思うのですが、新しい挑戦を始めた矢先、思わぬ所で吹き矢が飛んできて、しばらく動けなくなっていました。

覚悟はしていたものの、いざ自分に向けられた鋭い刃先は自分が一番認めたくない恥ずかしい、隠したい箇所でした。

「ダサい自分」、「エロい自分」、「ズルい女の わたし」。

どれも本当なんだけど、はっきりとそこを他人に指摘、否定されると、どう太刀打ちしたら良いのかわからなくて。

自分を表現しようとすると、必ず壁になるのは、人からの批判や評価なのかもしれません。

でも、一番突破すべき壁は、他人の視線なんかじゃなく、顔にパイを投げつけられようが、石ころが飛んでこようが、無視されようが……
それさえも笑いに自分を奮い立たせる糧にして、やりたいことを自分にさせてあげる。

そんな勇気を持つだけなんだろうな。

人のためとか、社会のためとか、あなたのため、だとか。

そんなことしか言わない人間をわたしは信じません。

自分がやりたいから、やる。

そんな選択をした先に出会う景色を見たいから、止まっていても仕方がない。
学ぶべきことは学んで、反省したら前を向いて進もうとしたのですが、完治しないまま歩き出したばっかりに、傷口はジュクジュクしたまま。いつまで経っても治らないんです。

「傷ついた」
「辛い」

そんなこと言えない。言っちゃいけない。

「ダサい自分」も「エロい自分」も「ズルい女のわたし」も、全部本当のこと。それを言われて傷つくのはオカシイよ、変だよって、ずっと自分を責めていました。

だって、なるべくポジティブでいたい! という、ポジティブ責めというお仕置きを自分にしていたのです。ちゅん。

ネガティブなことを言って、また誰かを嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。傷つけてしまう可能性だってある。

だから言わない。
表現しない。我慢する。

でも、そんなことして ここ数ヶ月間を過ごしてきたのですが、昨日お風呂に入りながら思ったんです。

アレ?

これって、性の話とそっくりじゃない!?


そう思ったら、弱音やネガティブな感情を誰かに見せたり、伝えることも、曝け出し、委ね、甘える行為なのかもしれない。


ってことは「しんどいです」、「辛いです」、「傷ついた」って書けたら、言えたら、表現できたら



すんごい気持ちイイんじゃね???



って。


心と身体に正直に気持ちいいことして生きていきたいわたしにとって、これは挑戦しない手はないのではないか!!


だから、言わせ欲しいです。




わたしは傷付いた。悲しかったんだよ😢




わたしは性に嫌悪感のある方々に自分の局部を強制的に見せるような行為がしたいワケでも、正解が言いたいワケでもありません。

でも、性にセンシティブな人間にとったら、腹が立つのでしょう。

そして、色々な環境やしがらみで身動きが取れない人間からしたら、ムカつくと思うのです。腹が立つと思う。

吹き矢を飛ばしてきた本人に確認もせずに、どうして、こんなことを書くのかというと、以前のわたしがマサに、そんな人間だったからです。

自分の人生を諦めていたから、他人の夢や挑戦する姿を見て嘲笑することが自分の人生を肯定する手段だったのかもしれません。

恥ずかしいけど、わたしはそんなヤツでした。

でも、挑戦したからこそ、体験したからこそ、そんなことはできなくなった。
きっとそれは、他人の人生ではなく、自分の人生を生き始めたせいだと思います。

でも、失敗を恐れた途端、あの頃の気持ちに戻る時があるのです。

ー「もう、そんなみっともないことやめなよ」
ー「そんなことして、何になるの?」
ー「必死じゃん」
ー「カッコ悪っ」

って。

だからこそ、わかったんです。

わたしを吹き矢で刺したのは、過去のわたしです。

何か新しく始めると、カッコ悪くて、うまくできなくて、恥ずかしいことばっかり。
そんな自分と向き合うのが嫌で、逃げ出したくて、諦めてしまえたら、どんだけ楽なのかと思う。

でも、本当はやってみたい。
体験してみたい。
感じてみたい。

だから、どうしようもなく情けなくてカッコ悪い自分を否定する「わたし」を、わたしは抱きしめたいと思います。


失敗してもいい。
成功してもいい。
どんな結果でも、やりたいことやって、いいんだよ。


こうやって自分のネガティブな感情を認めて、文章にして、公開ボタンを押すって、すんごい怖いです。下書き保存に戻すか、削除しちゃいたい。

でも、これも曝け出しバンジーです!

自己満足万歳!!

この文章を読んで、不快にさせていたらごめんなさい。

でも文章、noteって、他のSNSのようにポジティブなことだけを表現する場所じゃない気がするんです。

そして、そんな場所は性を語るのと同じように、必要だと思う。


意図せずとも、わたしはこれからも言葉で人を、自分を傷つけてしまうのかもしれません。
そして、わたしはこれからも言葉で傷つくのかもしれない。

でも、またこうやって自分の感情を言葉で表現できたら、傷は挑戦するわたしの背中を大きく押す応援団になってくれるんじゃないのだろうか。


そんな気がして今日も言葉を書いています。


ここまで読んでいただきありがとうございました。
皆さんの挑戦も、応援しています!



今から2年ほど前。わたしの初めてのnoteの記事はこんなんでした。
みなさんの初めてのnoteは何を書きましたか?




こんなこともやっています。

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コミュニティ▼ 女性が安心して「じぶん」を話せる場所【embrace】


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詢川 華子(じゅんかわ はなこ)
「性、ジェンダーを通して自分を知る。世界を知る」をテーマに発信しています^^ 明るく、楽しく健康的に。 わたし達の性を語ろう〜✨