【はじめての高齢出産】 痛みの中で、悟りを開いた話
−「人生はネタ探し」
−「若い時の苦労は買ってでもしろ」
って聞く。
けど、それがデフォルトになって生きるのは、なんか違うなと、最近気がついた。
若くても、そうじゃなくても、ある程度学んだら、苦労し続ける必要なんかない。
それなのに、いつの間にか苦労が当たり前になって、苦労しなきゃ、苦しい思いをしなくちゃ報われない! 幸せになれない!! 嫌われちゃう!!!とばかりに、わざわざ人生遠回りしていたってことに気が付いた。
ネタが出来ることで人を楽しませたり、喜ばせたり。
苦労したからこそ、その後のビールやデザートが美味しい場合もある。
でも、ビールがいくら美味しくても苦労が全て報われるってワケじゃないし、気が付けば、ネタにウケているのは周りだけ。道化師みたいな自分に自分自身が白けていては、なんの意味もない。
そんな生き方は「選択している」というより習慣化されているだけ。
気が付いたら他人にとって都合のいい人間になっていた。
他人ではなく、自分にとって面白い人生を送ればいいのだから、適当に息抜いて。回避できる痛みや苦労はする必要はない。
そんな事がやっとわかってきたのは、アラフォーになってから。
自分にとって楽しいこと。本当にしたいこと。気持ちいいことを優先して生きることにした結果、妊娠するという奇跡が起きた。
一度流産したにも関わらず、高齢出産にあたる年齢で自然妊娠できたのは、ただ本当にしたいことをしたら起こった奇跡だった。
「したいことをする」とは、セックスも含めたパートナーとのコミュニケーションで、そのことについては、いつかまた別の機会に話せたらいいな。
でも出産は「砂糖=甘い」と同類レベルで「痛い」というイメージがあって、苦しみが伴う行為とも言える。
俗に言う「鼻からスイカ」的な痛みとは、一体どんなものか。
少し興味はあるが、産後いきなり始まる育児のためにもダメージは最小限に、産後使われる体力はなんとしてでも温存しておきたい。
そんな風に思った私は、高齢妊娠、出産のリスクに対応でき、尚且つ無痛(麻酔)分娩可能な総合病院を産院として選んだ。
そして、出産予定日を9日過ぎた早朝。
次元を超えた痛みと便意を感じ飛び起きトイレへ駆け込むと、生理初日のような薄い血。
これはもしや、※おしるし?
※ 出産が近づいて子宮口が開いたり子宮が収縮したりすることで子宮壁に貼りついていた卵膜が剥がれて起こる少量の出血のこと。
増してくる痛み。
ついに陣痛がやって来たと確信した私は、ここぞとばかりにYouTubeで仕入れた陣痛が軽くなる姿勢(正座でオマタを手でギュッと押さえる姿勢)を取り病院に電話した。
額や脇から滴る汗をそのままに、股間を強く押さえると、なんとか理性を保ち、そう説明した。
その間も、陣痛の感覚はどんどん短く、深くなっていく。
早く…、早く麻酔を。
麻酔を入れてくれ!!
切羽詰まる私。
しかし、病院から言われたのは
「本陣痛が来ていたらそんな流暢に喋れません。もう少し痛くなったらまたご連絡ください」
という冷たいお言葉だった。
でも、本当だったら理性ぶっ飛んでわめき散らしているところ、痛みでビッショリ汗かきながら、オマタ手でメッチャ抑えて電話して頑張って状況説明した私には、そんな余裕はない。
「お風呂にでも入って、リラックスしてまた電話して下さい」と、言われ一度電話を切ったが、本陣痛とはこの痛みに勝るものなのだろうか?
そんなことを股間がちぎれそうなほど握り締め考えたが、その後すぐに「人間なんかやってられない!!!!!」という痛みに直面し、いよいよ理性と記憶を失いそうになる。
− 陣痛って、どんな痛みなのか。
− 出産するってどれくらい痛いのか。
初めて体験する痛みを想像しては震え上がってきた、あの頃の私に伝えたい。
想像なんかしたって無理だ。
だって、経験してないんだもん。
この痛みを想像するなんて、できるわけがない……!
もう一度病院へ電話し、事前に登録していた陣痛タクシーを呼ぶと、2ヶ月前から用意していた入院バッグを握りしめ、家を出たのは早朝4時。
病院の受付に到着すると、箱根マラソンで走り終えた選手みたいに、その場にしゃがみ込み、動けなくなった。
よくドラマで見るような
「痛いーーーーー!!!」
と、叫ぼうにも、そんな余力はなかった。そして、「痛い」と言葉にしたら、身体も心もやられてしまうと思った。
「誰か助けて……」
なんて流暢なことも言っていられない。
この痛みは、私にしか乗り越えられないのだから。
遠退きそうになる意識のまま車椅子で分娩室まで運ばれると、ベッドの上で芋虫みたいに身体を丸くする。
この痛みを側で見学(?)しているパートナーにだけは、わかって欲しくて「い、た……い」と何度も呪文のように小さく呻いていた。
願わくば、早く麻酔を打ってもらうことなのに、私の前に2人処置してからでないと麻酔科医が来れないと言う。
そのため、麻酔科医が来るまで陣痛をたっぷり味わうことになった私はどうにかして痛みを逃そうと腹式呼吸を試みた。
しかし、逃せる痛みは全体の0.5〜1パーセントくらい。
99パーセントの痛みを1パーセント逃して生き延びている感じだった。
陣痛の波が来る度に、痛みで身体が震える。
− あぁ、こんなに痛いんだ。
− こんなに痛いことがあるんだ。
− すごいな。すごいよ。産むって。生まれるって。
そんなことを思いながら腹式呼吸を繰り返し、痛みで時間の概念がブッ飛んできたとき、麻酔科医が現れた。
「名前を教えてください」
病院のコンプライアンスなのか、医師から氏名を聞かれるが、痛みのせいで言葉を発することが出来ない。
「答えられますか? 名前は? 名前を教えて下さい」
何度も聞かれるシンプルな質問。
答えなくちゃと頭ではわかっているのに、どうしても、どうしてだって声が出ない私は、痛みの波にすっかり飲み込まれていた。
何とかして答えようと天井に頭をのけ反らせるも、痛みが身体中にまとわりついて、その体勢のまま動けなくなった。
すると、強い口調で医師が言った。
「痛みの中に居続けない!」
雄叫びを上げるような姿勢のまま目を瞑り動けずにいる私は、医師の言葉に我に返った。
思えば私は、苦しみや悲しみ、痛みに直面する度に、自らその波にダイブすると、全身全霊でそれらを感じるようにして生きてきた気がする。
その上、幸せな感情や物事に関しては、あっさりスルー。
時には、そんな自分を哀れみ、被害者として扱うことこそが、生きるための免罪符のように感じていたことさえある。
でも、生きるために痛みや苦しみを感じる必要も理由もない。
そんなことを悟ったから私は妊娠という奇跡を起こし、今、この場所にいるんじゃなかったのか?
麻酔科医の言葉を聞き、自ら痛みの中に居続けていたことを知った私は、自分の世界を支配している痛みから逃れようと思考を巡らせた。
身体がいくら痛くとも、私の心は、思想はいつだって自由なんだ……!
そう硬く決意して、陣痛がやってくるタイミングで昔飼っていた愛犬の笑顔を。陣痛が遠退くタイミングで大好きな宮古島の海を思い描いた。
だけど、やっぱり痛いもんは痛いし、痛いなんてもんじゃないほど痛い。
そんな中、脳裏に浮かぶ愛犬の笑顔とエメラルドグリーンの宮古島の海はやっぱり愛おしく、美しく、痛みの中でも輝いていた。
無痛分娩なのに、こんなに痛いんだ。
でも、この痛みを知ったからには、もう、怖いものはない。
そんなことを考えていたら、やっと麻酔が効いてきた。
さぁ、あとは産むだけ。
麻酔のおかげで、上手く力むことが出来たのかはわからない。
だけど、新しい命と出会う瞬間は、すぐにやって来た。
真っ赤でふにゃふにゃな赤ちゃんは、今まで自分が作り出したどんな創作物よりも完璧だと思った。
十月十日と、プラス9日。
お腹の中にいた未知との遭遇を果たしたその瞬間、全ての痛みや苦しみはどこかへ消えた。
その代わりに、今まで感じたことのない静かな幸せがジワジワと身体に広がり、未だにそれは続いている。
赤ちゃんは、産まれた瞬間から誰に教わるでもなく、おっぱいを探し、咥えつく。
その俊敏な動きは、まさに動物。
そして、その要求に応えようと、私の胸から白い液体が出た時の衝撃。
本能でお世話する私。
本能で生きる赤ちゃん。
身体はガッタガタ。
下半身もズッタズタ。
胸もヒーリヒリで、毎日寝不足。
今、改めて考えてみても、なんで私が子供を産み、2、3時間おきに授乳し、お世話しているのか、ちょっとよくわからない。
ただ、本能に突き動かされ、私は今日も赤ちゃんを可愛いと思い、幸せを感じていることだけは確かだ。
この文章を読んで、妊娠、出産が怖くなった人もいるかもしれない。怯えている人もいるのかも。怖がらせてしまったかもしれない。
でも、私が伝えたいことはそういうことじゃない。
情報は溢れ、大抵のことがコントロールされ、操作できる。
そんな世界で妊娠し、出産することは、少しばかり狂ってないと出来ない行為なのかもしれない。
少なくとも私は出産が怖かったし、意味がわからなかった。
でも、妊娠、出産はとても原始的で、本能レベルで動き、野生に還る体験だった。
そんなことをご先祖様が繰り返してきたからこそ今、私はここにいて、他人からどう言われようと理屈抜きで赤ちゃんを可愛いと思い、愛ている。
結婚、出産、育児、家庭を持つことは、「贅沢」で「選ばれた人たち」がするものだと思い込んできた私は、本能を無視して生きてきたから、そのことに気づかずにいた。
確かに陣痛は凄まじかったし、無痛分娩なんて存在しなかったし、下半身はズッタズタ。
なんなら産後の痛みの方が苦しかった。
でも、何事も努力しなくては人並みにできなかった私にとって出産は、メスとしての本能が発揮された物凄い体験だった。
本能に任せておけば、どうにかなるし、野生にだって還れる。
そんなことを私に教えてくれた。
だから大丈夫。
どんなことがあっても大丈夫なんだと、妊娠や出産だけでなく、生きることに怯えていた過去の私に伝えたくて、この文章を書いている。
今回、出産の際にお世話になった助産師さん、看護師さん、医師の皆さん。そして、行く先々で暖かい手を差し伸べてくれた世間のお母さんの存在から、女性という性について見直す大きなキッカケをもらった。
そして、そんな女性たちを優しく支えてくれる男性の皆さんにも感謝を伝えていきたい。
女性という性は、私が思っていたよりもずっとタフで、頼もしく、力強く、美しかった。
そんな性を持って生まれたことを、人生で初めて誇りに思う。
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