レガシーを継承するということ(スパイダーマン/偽りの赤)
スパイダーマンとは何者なのであろうか? 蜘蛛に噛まれて強大な力を手に入れることだろうか? はたまた蜘蛛を模したかっこいいスーツを着ることであろうか? それとも復讐を果たすために戦うことなのだろうか?
それらすべては正しいとは思う。ただ私が思うにスパイダーマンがスパイダーマンたらしめる要素とは突き詰めれば「大いなる力には 大いなる責任が伴う(with great power comes great responsibility)」をいかに果たせるかにかかっているのではないかと思うのだ。そんなことを読むたびに思い起こさせてくれるとある”漫画”について話したいと思う。
現在、マガポケと呼ばれるマガジンのWeb漫画アプリで連載中の「漫画」のスパイダーマンだ。ライターとアーティストは大沢 祐輔。一時期ドラゴンエイジで「Green Worldz」を書いていた人だ。彼が今回のスパイダーマンの担当になった。ほんの少し前に、ジャンプが大きな企画として「【MARVEL】×【少年ジャンプ+】SUPER COLLABORATION!!」という企画を展開し、一部の人々を大いに沸き立たせた。それとほぼ同時期にマガジンでもこの「スパイダーマン/偽りの赤」が連載が開始された。この企画もジャンプと同様に雑誌の作家にMARVEL作品を書かせる……。というものなのだが、ジャンプと違い、この作品は大きな違いがる。それは長期連載とマーベル完全監修という点だ。ジャンプにおいては短く幾つかの作品が描かれたため、やはりどうしてもギャグテイストによったりインタビュー形式で無難に納めざる得ないというどうしてもな欠点があった。それに対して、「スパイダーマン/偽りの赤」はじっくりと作品を作ることに注力できる点、マーベルの監修にされるという点、それになりよりも大沢 祐輔の非常に高いスパイダーマンへの理解とリスペクトが相まって、非常にクオリティが高い作品になっている。
……あと私が思うにここまで一番にピーターパーカーのことをよく理解して、日本の漫画で描いているのは大沢 祐輔しか未だに歴史上に存在しないんじゃないだろうか。それぐらいに彼のピーターパーカーはピーターパーカーなのである。基本的に日本の漫画だとMCUやサムライミ版スパイダーマン、つまり映画のスパイダーマンをベースにしているのが多かった。しかし、「スパイダーマン/偽りの赤」でのピーターパーカーは表面的なところだけでなく、戦い方も非常にピーターパーカーなのである。
さて、話を戻すと、物語の語り部でありもう一人の主人公、ユウはNYに住む高校生だ。趣味はボルダリングと「親愛なる隣人」スパイダーマンをはじめとするヒーローたちを応援するという、非常に現代的な青年だ。彼は偶然にも同級生がいじめられている現場に遭遇し、勇気を振り絞ろうとするも、彼はいじめの現場を見過ごしてしまう。しかしそこでさらなる偶然にもスパイダーマンのスーツを見つけてしまうのであった……。
そう題名にある偽りの赤(Fake Red)は本物のスパイダーマンスーツを着たユウ本人のことを指しているのだ。もちろん、ユウは普通の学生であり、ボルタリングで鍛えているからといって、強大な身体能力があるわけではない。ではユウにもたらされた「大いなる力」とはなんなのか? それは彼が拾った本物のスパイダーマンスーツである。正確にはスパイダーマンを名乗るということなのだが。人は基本的に与えられた役割に対してそれに適した行動をしてしまう。ユウの場合は、スパイダーマンに憧れていた部分もあり、その効果は絶大だろう。例えばスパイダーマンの正体であると偽ることで今まで得られなかった栄光も手に入ることもできる。だが、スパイダーマンを名乗るというのはそれだけではない。
スパイダーマンを名乗ること、それはすなわち、スパイダーマンのレガシーを継承することに他ならない。では、レガシーとは何なのだろうか?
これは完全に私見なのだがレガシーというのは「大いなる責任」であり、「大いなる責任」は「人を助ける」なのではないだろうかと考える。というのもスパイダーマンにおいて大いなる責任から外れる例がいくつか存在する。例えばピーターパーカーはベンおじさんを助けれなかったことを悔い、マイルズモラレスはスパイダーマンを助けられなかったことを悔い、グェンステイシーはピーターパーカーを救い出せなかったことを悔い、オットーオクタヴィアスは戦争で死んだ1000人以上の罪のない人々のことを悔いている。ユウの場合は同級生をいじめっ子から救い出せなかった、見過ごしたことを悔いている。これらは全て「人を救いきれなかった」ことに起因している。大いなる責任を放棄、もしくはしていなくとも責任を取ることが失敗した時、彼らはみな、その責任の本質に近づくことになる。継承した者たちはみな、いかに与えられた力を活用するかを理解する。そうしてスパイダーマンのレガシーを受け継いだ者たちはよりスパイダーマンに近づき、レガシーを受け入れたものこそがスパイダーマンになるのではないかと私は考える。
その点に関して、「スパイダーマン/偽りの赤」ではしっかりと描かれていると私は思う。スーツというスパイダーマンのレガシーを継承したユウはスパイダーマンとしてふさわしいふるまいをするために、よりスパイダーマンに近づくようになる。一方で責任を持たないヴィランが現れることによって、ユウとの描かれ方が非常に対照的になっている。
「スパイダーマン/偽りの赤」は現在も絶賛連載中であり、非常にクオリティの高いスパイダーマンの漫画であると私は考えるが、(下手したら日本産としては最もクオリティの高いスパイダーマンなのかもしれないと私は思う)ここで終わってしまうには色々ともったいないので、できれば連載が続いてほしいと思いながら、私は最後に2020年4月に発売される「スパイダーマン/偽りの赤」URLを張るのであった……。
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