最近のアメコミ(クラスタ)動向について
うーんやっぱり最近、私自身も含めてアメリカンコミックスに関するふわっとした感想が多いと思う。
あとこれは本気の本気でただのつぶやきであり、考えをまとめるための文章である。別に興味ないよって人は読まなくていいと思う。
おそらく皮切りとしては「宇崎ちゃんのポスター問題」だ。これに関してはほかの人も話をしているので、あんまり語る気はない。
ただそれに便乗して「アメリカンコミックスは漫画と違って女性の書き方が先進的だ!!」というツイートが大きく話題となり、炎上となった。炎上したことについては、私も一部は仕方がないと思う。文化比較というものは極めてセンシティヴな問題であり、ただでさえフェミニズム関連だと荒れやすいTwitterだと、それが相乗効果的に燃え上がり一種の「お祭り」状態になっていた。そのお祭りゆえにアメリカンコミックスにおける「女性の描き方」について、いわゆるアメコミクラスタといわれる日本でアメリカンコミックスの原書を読んでいる人たちも乗っかり、「アメコミはエロいんだぞ!」という実際に性的に見える女性男性の画像がいくつか貼られた。さらにワンダーウーマンが2016年の国連名誉大使に選ばれるも、その服装が問題視され、あえなく辞退した。というニュースも過去から引っ張り上げられ、
これに関しては、発言した人が垢けしを行い、「アメコミはエロい」という言説とともにいったんの終息がしたかに見せた。ただしこれだけでは終わらず、再び映画評論家の町山氏が「アメコミはコミックスコードによって衰退した」「コミックスコードは過小評価され過ぎている」という言説によって、新たに過去何度も日本で噴出されていたコミックスコードの問題が再生産される運びとなった。コミックスコードに関する議論においてはいったん、過去のコミックスコードに関する日本語の議論を参照してくると助かる。(おそらく適当にコミックスコードを検索をかけると、もっといくつか専門的な議論がでてくると思います)
Togetterだとこの二つが代表的かな
ブログだとこのあたり
おそらく、コミックスコードに関しては私よりも詳しい人がまた沢山解説してくれるので、まぁほっておくとして、個人的に注目しているのは「女性の描き方」だ。
先ほども述べた通り、「祭り」の時にアメコミ(主にDCやマーベル、あとアダムウォーレン)の性的な描写を持ってきたり、性的な強調がある画像が持ってこられた。では、実際にアメリカンコミックスの女性男性の描き方は性的かと問われると「そうでありつつそうでない」というのが返答だろう。それはなぜか。という話の前に一言断っておきたい。
私としてもフェミニズム的に名作といわれたコミックスを精力的に読んでいるとはいえ、読んでいるだけであるし、実情としてどこまで反映されているのかわからない。もし、アメコミとフェミニズムとアートの辺りを調べたいなら、おそらくここではない。はっきりというが、私も詳しくないため、今、私が現状として認識している「portrayal of women」とフェミニズムコミックスに関する考えを書こうと思っただけだ。専門家からすれば誤謬が必ずあると思われる。
だからこれは紛れもなく「ノート」なのだ。私が今知っている知識を再確認し、今後読むべきものを知り、私がいかに偏狭な知識を持っているのかを認識し、今後大きく認識を改め、よりアメリカンコミックスへの造形を深めるためのものと考えている。というわけで私の「現状そうである」と考えている「女性の描き方」だ。
あとまぁアメリカンコミックスには年齢基準(日本でいうCERO)とかありますし、やっぱ普通にエロ本とかあるので、そういうのは話しません。てか話せません。圏外すぎてわかんないので、だれか解説お願いします。
ジムリーというアーティストがいる。おそらくアメリカンコミックスを興味本位でも持った人なら一度でも聞いたことのある名前だろう。彼は90年代のX-menのアーティストを担当し、一世を風靡した。そんな彼は今はDCの顔役である。そんなトップアーティストである彼の人体への描き方は明らかに変わっている。例えば、彼がマーベル時代に書いたストームと今のDC時代に書いたワンダーウーマンだと明らかに変化がみられるのだ。
このような変革を象徴するようなある事件が起きている。
中々に(人によっては)ショッキングな画像だが要するに「スパイダーウーマンの描き方に問題があるのではないか」という大きな流れだった。どういった問題かというとこれはスパイダーウーマンの描き方があまりにもセクシーすぎるという批判であった。特にこれはちょうどアーロン期のソーにおいてジェーンフォスターがソーとなる展開の真っただ中であったため、より大きな波紋を呼んだ。これに関してはマーベルはスパイダーウーマンの表紙の変更をすることを表明した。その後アーティストたちが女性ヒーローのセクシーさがいかに変なのかを表すために、男性ヒーローに描きなおしたいわゆる「ミラーニング」と呼ばれる手法で男性ヒーローを描いている。
これは最近の例だが、例えばそれ以外にも女性の描き方で、アメリカンコミックスが批判されたのものがある。それが「women in refrigerators 」だ。
直訳すると「冷蔵庫の中にいる女性たち」なのだが、これは94年のグリーンランタンの54号におけるとあるショッキングな事件から来ている。グリーンランタンのエネルギー切れを起こさせるために、ヴィラン(メイジャーフォース)がアレックスという当時のカイルレイナ―の恋人をバラバラに殺して、冷蔵庫の中に入れてその死体を見せつけるためだった…というものだ。
メイジャーフォースがなぜこのようなことを起こしたかというとグリーンランタンのエネルギー源は「Will(意志力)」だ。そのため、彼の意思力を減退させるためだったのだ。それに対して、カイルは怒り、一度はヴィランの目論見通りエネルギー切れを起こしたが、ぎりぎりで踏みとどまりヴィランを撃退した。(といってもすぐそのあとに電気椅子に縛って殺そうとして中々に苛烈だが)そうして彼は恋人を失って、悲しみに暮れるのであった……ただし59号まで。しかも59号には58号で登場したブラックスターの隊員であったドナトロイと恋仲になるという中々にこう中々に視点によってはあれな展開がなされたのだ。(しかも61号でさっそくピクニックに行ってるので色々とカオスだよねこれ)
こうした展開を含めて似たような「女性が凄惨な悲劇にあい、その悲劇を乗り越える」というプロットそのもの典型への批判としてこの「冷蔵庫の中にいる女性」があり、それを提唱したのがゲイルシモーネだ。
ゲイルシモーネという人物、過去こうしたアメコミにおける女性の扱いへの批判を展開しつつも、むしろこのサイトの運営(ほかにもコラムニストとしての活躍やコミックのシンプソンズのスクリプト経験も多分にあるが)を評価されて、現在ではDC、マーベル、さらにほかの会社でも活躍するある種名物的なライターになった。ちなみに私は彼女のバットガールがけっこうお気に入りだったりします。
ほかにもワンダーウーマンと第二次フェミニズムブームとの関連性など、実はアメリカンコミックスは昔からそうした女性の描き方に関してゆるくも批判を受け入れている側面がある。とくに近年はその傾向が顕著であり、最近の若者の需要を満たすためにもLGBTQ的な要素を取り入れてはいる。
ゆえに「どちらともいえる」といえるのと私は考えている(現状は、だが)。こういった動きや批判は実はどうにもムーブメントとして大きなものとして動いてはいないらしい。ただ、先に挙げたジムリーのように個々人のアーティストやライターが独自に批判を受け入れている節はあり、アメリカンコミックスのヒーローものでその最たるものはカートビューシックのアストロシティのヴィクトリーなんかはとても分かりやすい。
私としてはグレックルッカのワンダーウーマンも十分にその域に入ると思うが、人によってはどうも違うのでそのあたりは保留にしたい。
そういった個々の作家によってはフェミニズムや女性の読者による批判というものを受け入れている人もいれば、受け入れず「我が道を行くぜー」っていうの人もいる(ミケルハニンとトムキングとかはもろ下ネタぶっこむし)。
そのため、私は「そうでありつつそうでない」というのが今のところ妥当なんじゃないかなと考えている。人によってはシーハルクやスーパーガールなんかも女性読者向けに生み出されたので十分、女性の描き方に配慮していると考えている。私はその辺りは詳しくないので、研究を読まないといけないなーとは思っています。
正直に言うと、アメリカンコミックスは未だに性差別は創作内でもまだあると思います。ただ同時に性差別をなくそうというアメコミのクリエイター、読書の動きは確かにある。
ですんで、「アメコミには女性差別はない!」も「アメコミはエロしかねぇ!」ていうのも違うなと私は思っています。
あとまぁアメリカンコミックスのフェミニズムだとやはり代表的なのはこのコミックスだなぁとは常々思っている。
これは早い話が「もしも主人公とそのサル以外の男性総てが死滅してしまったら」というポストアポカリプスものなのだが……まぁべらぼうに面白い。一応翻訳でも完訳されており、もしも機会があればこの本がどれだけ面白いのかも語り切りたいものである。
もし個人的にコミックスコードを研究したいなら私としてはまずもって、その影響力を知るためにも「コミックスコード後」のアメリカンコミックスの情勢を知らなければいけないのではないかと思っている。
というのも、コミックスコード以前アメリカンコミックスのヒーローものそのものが陰りを見せていたのだ。それは単純な話で元々買っていた軍人たちや子供たちが成長し、コミックスそのものに興味をなくしていったという経緯や、
そのために、これとか、
これなんか、
参考になるんじゃないかなぁと思っている。むろんまだ読んでいないため、保存的な意味合いが強いが。