大学院合格と謎過ぎる将来

大学院に合格した。
やりたいことがもっとできるようになったし進路が決まって嬉しいけど、ここからが人生を左右するガチ勝負のはじまりなので、省みるやつをこの文章を書くことでやりたいと思います。
いつだって、長文短文にかかわらず文に起こすことで気持ちを整理してきた。いつもはTwitterの鍵垢でぶつぶつと壁打ちをしているけど、今日はここで、全世界に公開です。恥ず!恥ずいけど、大学院いこうかな?と迷ってる人とかのためになったら私の気分が良くなるので…ネッ…
脱線しまくりだと思いますが、卒論の気分転換に書いてるので許してネ…
(カバー画像お借りしました!可愛いネコチャン)

0. 私について

私のしょうもなさを話させてください。これを読んでいるみなさんは少なくとも私よりはしょうもなくないし、私より勉強できます。まず私は決して、超絶真面目で勉強が大好きな学部生ではありません。厨二病でおサボり大好きなしょうもない一人っ子で、甘いのか厳しいのか分からない親の脛を齧りまくって生きています。欲しいものは買ってくれるけど、その代わり学年10位以内をキープすることが条件、、、とか、宿題全部完璧に終わったら何時間でもゲームやらせてくれたりとか、飴と鞭の使い方がうまい親のもとで育ちました。

私は小学校受験と大学受験しかしていなく、超頑張った記憶があるのは大学受験だけ。しかも私大文系。逆張りオタクなのでTik○okはやってませんしサークルにも入っていません。でもぼっち系ではありません。そのくせゼミ長になってみたり、バイトでは裏ボスのような役職に就いたりと、やたらと正義感の強い完璧主義者。しかし先延ばし癖がやばい。先延ばし癖と完璧主義は混ぜるな危険で、いつも締め切り前に高みを目指しながら苦しむドMになっている。MBTI診断によるとINTP-T。厄介なオタクそのものです。INTP-Tは仕事のできる社不とよく言うらしいですが、そうなんですか?仕事ができることは認めるが・・・。一生社会に出たくない。


1. ふわふわな進学理由

私はまだやれる!!!もっと勉強したい!!!と思ったのが4割、私はまだ社会に出ていいような人間ではない・・・と思ったのが2割、コロナ禍がもたらした学業への不自由さから成る、不完全燃焼さとかモヤモヤが1割、私のやってる勉強がめっちゃ役に立ったらウケるな?!という厨二心が3割。ここでハァ?と思った方はブラウザバック推奨。

2021年、私は早生まれなので20歳、大学2年生のバレンタインの日に私は母と大量に買ったキラキラのチョコをつまみながら、なぜか将来について話していた。大学3年にもなれば、インターンなど就活に向けて動き出すので、バレンタインにそういう話をするのは無理もない。私は母の何気なく言った「大学院っていう選択肢もあるっちゃあるよね」という意外すぎる言葉が出てきた時、「この家庭にそういう選択肢ってあったんだ」と初めて気付かされた。
父も母も、私にとっては尊敬できる経歴を持っています。二人とも別に、学歴で見れば、どこがですか?となるかもしれない。ていうか、まず私が現役で行きたい大学に合格できたことと、センター試験でめちゃ好成績を残せたことと、まっすぐに受験を頑張ったことが誇りです!!と受験後に言われたくらいには、はたから見ればワロタンゴwとなるような感じです。
そんな親から出てきた、まさかの「大学院」というワード。そして先述した通り、私は小学校から大学まで私立に通わせてもらっていたので、流石にもう私にお金はかけられないだろうと思っていました。そんな親から出てきた、まさかの「大学院」というワード(2回目)。
当時の私は、「まだ2年生だしGPA高くないし、ゼミも3年からだし、やりたいこととかないし、てかコロナやばいし・・・。」という超絶意識低い系(今も)だったので、「大学院進学なんて大学教授になりたい人しかしないんだろうなーw」など思って真面目に考えていませんでした。よく「コロナ禍のリモート授業で心身を病む学生」というトピックでたびたび世間の話題になっていましたが、漏れなく私も2年次の初めの方はそのひとりでした。せっかくやりたいことできる大学に入ったのに、全然できねーーー!!!となって、意気消沈していました。

それはそれでいいとして(よくない)、大学3年になってゼミに入った私は母の言葉を、大学院進学という選択肢があることを忘れてはいませんでした。(珍しい場で珍しいことをしているために秒で身バレしそうなので、勉強とか研究のことは記号を使ってうまく伏せていきますよぉ。)(ここからは伏せる関係でめっちゃ端的になってしまうかもだけど、許してね。)ゼミで▲について勉強した時、すっごい面白いと思って、興味本位で先生に「大学院進学したら、▲についてもっとできますか?」と聞いたら、「できるよ!」と答えてくれて、「▲だったら○○大学院、○○大学院とかおすすめだよ」とまで教えてくれて、なんだかワクワクしてしまったんです。まだ考えがその程度でふわふわしている時、研究室で教授に「なんで大学院進学したいと思ったの?」と言われて、それっぽい言葉で取り繕おうと頑張って頭を捻り散らかしている私に教授が「そんなん、あともう2年学生をやりたいから、でいいんだよ〜w」と言った。(真意かは謎)

・・・・なるほど。そしたら、3年生はこれまでより意欲的に生きて勉強して、大学院進学したいと思えるようになるまでとりま頑張るか。無理だったら就職すればいいし。結局4年になるまでそうならなくて、3月から就活始めるのはきっと茨の道だけど、進学もそれなりに茨の道だし結局はそゆことだよね😁ニ★という謎マインドの発生により、人が変わったかのように、それなりに意識高く頑張る一年間が始まった。
まじで頑張った。成績は全ての科目が90点以上、心入れ替えすぎ!レポートも作文もとっても上手になって、まじで勝ちにいっている感じだった。そして卒論のテーマについて考え始める3年次の後半、私は■という今まで自分が関わりまくっていたことについて、まだあんまり研究がなされていなかったり、論文が出ていなかったりしていることに気がついた。「私がやらなくて誰がやるん?w」という感じで厨二病が激発し、私は▲をやめ、(少しは▲も関係あるけど)■について本格的に取り組もうと思った。あわよくば■についてできる大学院に行きたいなと思い、研究室を調べることも始めた。

2. 大学4年、 後戻りできない覚悟と病み

2022年、私は大学4年になって、周りはほとんどが就活をしている。本格的に大学院進学を決めたのは2021年の3年の秋。年を越して1月や2月になり、謎の焦りが出てくる。「就活解禁が刻々と迫っているのに、何もしていない、、、だと、、?!」と、本当に思ってしまうのです。自分が受験をする運命にあることを分かっていながらも。
3月を越えれば、もうここからは地獄の始まりだった。マジでガチで本気で後戻りできないから。ここで失敗すれば新卒カードを犠牲にするか、単位はとっくに取り終わっているのに卒論を提出せずにもう一年などという下らない留年をするか。……….マジでガチで本気で失敗できない。そんなガチ病みな私に、就活中でガチ病みにも関わらず声をかけてくれた友達の言葉、一生忘れないと思う。「私たちとふつかは、頑張る時期が違うだけ!頑張ろうね!」とのこと。性格が良すぎて泣いてしまった。ありがとう。確かに間違ったことは全く言っていない。もしガチ病み大学院受験生がいたら、この言葉を届けたい。

そして時は流れ6月….7月….。周りの就活状況が落ち着いてくる。誰でも知ってる憧れの企業に受かった子、自分にぴったりの企業を見つけられた子、悲壮感にまみれていた皆の笑顔が戻ってきた時は嬉しかった。そんな気持ちとは裏腹に、私の悲壮感溢れる顔面は深刻さを増していた。受験のストレスはもちろんだけど、愛犬の死が大きすぎた。一ヶ月は毎晩泣いて暮らしていたし、その間、学校やバイトにはちゃんと行って外面だけは良くして生きていたけど、その他は何も手につかなかった。だから、もうこの一ヶ月は本を読んだりやりたかったゲームをしたり、静かに好きなことをして過ごそうと思ったし、実行した。そんな中でも就活の方面に気持ちがブレないように、苦労しないと落とせないジェルネイルをもっと派手にしてみたり、金髪にしてみたりして、外見で対策をしていたことはなんだか面白かった。

一ヶ月経ち、ペースはゆっくりだけど卒論のテーマを本格化させたり目次を作ってみたり、文献を漁ってみたりなどしているうちに、受験したい大学院と研究室が決まった。それは■に●の要素を加えたもので、それは進学の際に今いる学部とは違う●学部の大学院に転部することが必要だということがわかった。そして、それが叶うのは「内部進学」という手だった。しかも、転部をするのに、今担当してくださっている教授の研究室に入れるという謎ラッキーが発生した。教授は▲も■も●も詳しく、本当は●の学問の人間なのに学部では▲を統率しているという謎。(■に関しては私のが詳しいかも)

小中高と内部進学をしてきた私は、すっかり内部進学のプロ。でも大学院の内部進学は訳が違った。「「「「落ちる可能性めちゃアリ」」」」やば!
小学校受験は覚えてないからわからないけど、中学、高校、大学受験は一般的には学力のある子が合格するシステム。一方で、大学院受験は学力や知識量も判定方法の一つかもしれないけど、適正、すなわち「その研究室や担当教授のポリシーに受験生の研究したいことが合致しているか」が一番の判断材料になっています。あとは「目的がしっかりしているか」や「その研究の新規性や面白さ」「この研究が活かせる場があるか」が大事なポイントです。

3. いざ受験

ということで、内部進学をすることに決めた私は、資料を受け取りに事務課へ赴きます。内部進学は、ちゃんと卒業見込みがあること、成績を平均して一定以上の点数を取っていること、などなど出願条件があるので気をつけましょう。マジで3年次に頑張っておいてよかったと思った。学部によって試験期間も違うので、ほんとに注意してくださいね。唯一の戦友である友達はそれでやらかして後期に受けることになりました(とほほ)。

内部受験は、様々な項目、あわせて5000字くらいの研究計画書と書類を事前に提出して、その二週間後に口述試験という流れでした。
研究計画書について、何書いたかあんまり覚えていないのですが、私の大学院でやりたいことは卒論の延長線上にあるものなので、まずは卒論の状況や得られそうな成果の申告、いま卒論に取り組むなかで見つけた学部生のうちでは解決できなさそうな別次元な疑問、先行文献や既存の制度についての疑問とか、なんか色々書いた気がします。
口述試験ですか?マジで何言ったか覚えてないです!!!!!ち○かわみたいな発語して、サラダ状態になってたら終わってました!!!!別次元の言語を使いこなしすぎて、研究計画書を一生懸命書いていてよかった、完璧主義な過去の自分サンキューー!!!と思いました。ハァ?

4. 大学院合格、これからどうする自分

合格したのはめっちゃ良かった。毎年内部受験でも落ちている人いるから、ほんとに胸を撫で下ろした。撫で下ろしすぎて胸が消滅した。肩の荷がだいぶ降りた。降りすぎて肩が宙を舞った。
一つの目標が達成できた。今は卒論を書き上げていい感じの発表をするという目標があって、今はやるしかないから直向きに走りまくっている。今はもう大詰めで、1日20時間卒論をやっている。睡眠?なんですかそれは。美味しそうですね。
では、卒論を提出した自分、これからどうするの?ここでタイトル回収です。

大学院合格、謎過ぎる将来。

将来私は何したいんだろう、私の技量でできるのだろうか。とりあえずインターンしなきゃ。あ、資格も取らなきゃ、英語も、中国語も、韓国語も、、、あ!秘書検定まだ準1級受けてないなあ、MOSもやっておきたいよなあ。などと思うわけです。
散々みてて思ったのですが、早くから就活を始めた人は面白いくらい早く内定をもらえる。バイト先の大学院生の人も、「卒論提出したらインターン始めた方がいいよ、入学してからは本当に時間がないからね」と言う。確かに私の周りの大学院生は総じてめちゃくちゃ忙しそうにしている。そんなことわかってる。分かっているけど、いまいち将来へのビジョンがつかめていない。
今更だが私は21歳の女の子で、ええ感じの企業に就職し、ええ感じの方と結婚し、かわええ子供が欲しいという願望がある。私はつい最近まで気づいていなかったが、このままいくと社会に出るのは2025年、つまり24歳とかの代で、明らかに周りより2年分行き遅れる。高校卒業後に就職した方達や専門卒の年下の方達は職場の大先輩だし、同期も2年先輩になる。嗚呼。わろた。ここで俺様のMBTIを生かして、仕事バリバリできるマンを演出し、自分磨きを頑張っていい女感を放出できれば良いのですが、、、。

大学院進学はとっても楽しみだし、最後の学生生活やりたいことぜーーんぶやっちゃうぞ!というスーパーサイヤ感がすごい一方で、これからどうするんだよ!!!と自分自身にブチギレている時がある。

これからのnote、きっと迷走中の大学院生の呟きが増えるんだろうなと考えると寒気がしますが、これで誰かが楽しんでくれるというのが私が一番嬉しいことです。一見、大学院生という結構ええポジションにある人間がアビスに堕ち、上昇負荷にてボロボロになりながらも生きてゆく、そんなおもしろ人間日記を楽しんでもらえたらいいな。

マジでめっちゃ書いたな!!!卒論も「2万字以上書けばいいよ〜」というところを4万字ゴリゴリ書いたので、隅々まで書きたがる癖があるんだろうなあと思います。

脱線しまくりだったけど、読んでくれてありがとうございました。
大学院進学を考えている方や、興味がある方、どうでしたか、、?結局内部受験やないかい!!と思ってしまったそこのあなた、すみません、、でも落ちる場合もあるんですよッ(ぴえん)

終わり方キモくてほんとすみません、、、
またね



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