「間違った日本語」という間違い
テレビなどを見ていると、「これは間違った日本語なんですよー」みたいなコーナーを時々目にすることがあります。間違った日本語があるのだとしたら正しい日本語も存在するはずですが、では正しい日本語っていったい何なのか考えてみました。
まず、下記のような言葉はよく間違った使い方として紹介されることがあります。
役不足:〇この役目はこの人には軽すぎる ×この人にはこの役目は荷が重い
情けは人のためならず:〇人にかけた情けはいつか自分に返ってくるから、自分のためと思って人に情けをかけなさい ×あまり安易に情けをかけると、その人のためにならない。
どちらに関しても、「昔使われていたのと違う意味で使われている=間違っている」と言われているようです。ではこの昔ってどのくらい昔が正しいんでしょうか?
僕が高校の時に古文の授業を受けた時、当然古文の単語を覚えることになりました。その中で僕の印象に残ったのは、「あからさま=ほんのちょっと」とか、「ありがたい=珍しい、めったにない」とかでした。ありがたい、は漢字で「有難い」と書くので、イメージしやすいかもしれません。
では現代において「あさらさま=見るからに、明らかに」「ありがたい=嬉しい、感謝したい」という使い方をするのは間違った日本語なのでしょうか?多分そうだという人はいないと思います。
さっきの役不足とかが正しい意味で使われていた(と言われている)のが具体的に西暦何年くらいのことなのかわかりませんが、たぶん明治から昭和にかけてでしょう。では平安時代と今で使い方が変わっているのは間違いではなくて、明治~昭和と今で使い方が変わっているのは果たして間違いなのでしょうか?なんとなく違う気がしてきます。
また少し前の話ですが、ヤバいという言葉が最近の若者の間でポジティブな場合でも使われていて、広辞苑の記載も変わったというのをテレビで見た記憶があります。きっと「役不足」や「情けは人のためならず」も、今誤用していると言われる世代が60歳や70歳を迎えるころには、「役割に対して人が軽い」「情けは人のためにならない」という使い方が世間的に正しいという認識になって、辞書にもそう書かれるようになっているんじゃないかと思ったりします。そう考えると、そもそも日本語というものは世代が変わるごとにちょっとずつ意味や使われ方が変わっていくもので、それは平安時代も室町時代も江戸時代も同じことだったのでしょう。
つまり日本語というものは時間の経過と共に変化していくものであって、その時その時の日本語がその時代において正しい日本語だったのだ、と言えるのではないでしょうか。
というわけで、特定の時代の日本語と今の日本語を比較して、今の日本語が間違っているという事自体が”間違っている”のではないかと思うのです。
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