【LIVE配信】 顔出しNGの真相
皆さんこんばんわ、Adoです。
先日は国立競技場でのライブ、お越し頂いた方は大きな景色を一緒に作って頂き、本当にありがとうございました。
個人的にはですが、凄く凄く、凄く楽しかったです。
スタッフの方々、あの場に立たせて頂けた全ての関係者の方々、そして来て下さった皆様には感謝をしても仕切れません。
本当に!本当に!ありがとうございました!!!
…
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さて、今回の配信のテーマ。
「歌ってみた」が功を奏し、「うっせぇわ」でデビューさせて頂いて今では色んな方に歌声をお届け出来ている私ですが、
皆さんはきっと。
私が顔出しNGだということを不思議に思っているのではないでしょうか。
なので今日は少しだけ、その経緯と理由について話してみたいと思います。
根暗なのもありますがまぁ、、それとは別で。
…
結論から先に言いますと、実は私は面が割れてしまうと非常に困ってしまうんです。
どれほど困るかと問われるならば、今やSNSの拡散力は凄まじく、学校や知人に知られるだけで私の秘密はどんどん手の届かない所まで広まっていき、、、
っ!
その秘密は私の歌い手生命やイメージが一気に損なわれてしまう程のレベルと言っても過言では無いからです。
その理由は後から話しますが、まずは私の生い立ちから話します。
まず私は、昔から歌う事が大好きでした。
親に聞けば3歳から歌い始めていたらしく、アニメやボカロに興味をもってからは家でも外でも何処でも歌っていて
大きなショッピングモールに連れて行ってもすぐに居場所が分かると親戚やママ友の中でよく笑い話にされる程でした。
当時の私はこの事をとても誇らしく思っていたはずです。
そんな私にとある悩みの種、もっと言うなれば日々頭を抱えてしまうレベルのとある災難が始まります。
それは小学生に上がった頃からです。
母は私が寝坊をしたり学校へ忘れ物をするようになると以前と叱り方を変えてきました。
それは物心がついて私が少し反抗的になった事が原因かも知れません。
例えば私は言い付けに背くとある部分を頻繁に叩かれるようになります。
それは、、
【お尻】です。
言葉に出すのもちょっと嫌ですが
“お尻ぺんぺん”と呼ばれるものです。
それはまるで私の大好きなアニメのシーンのようなやり方でした。
『母の膝にうつ伏せ何度も平手』
私はお尻を叩かれる事が大嫌いでした。
単純に痛いし。…かなり恥ずかしい。
記憶にある母は嫌がる私を取り押さえてひどく叱るまたに鬼そのものでした。
お尻を叱られている時は散々謝り倒して懲りているのに子供と言うのは本当に不思議な生き物だと思います。
煩悶するほどの苦痛、苦労、激痛も、それが過ぎてしまえばその痛みや苦しみをすっかり忘れて繰り返す、私はそんな子でした。
そのお仕置きが始まった当初。
低学年の時は「お尻出しなさい」と宣告を受けるだけで直ぐに私は泣き出していました。
とにかく家中走り回って逃げ回って。
痛いのは当然分かっていましたからお尻の罰がとにかく怖くて堪りませんでした。
しかし、どんなに逃げても親には勝てません、結局は毎度毎度捕まってしまい、お小言付きで私は膝に乗せられてしまいます。
何ならこの時既にちょっと始まっています。
その頃は服の上からだけでも即降参していて、悪さの度合い関係なくひたすら同じワードを繰り返していち早く許しを求めてました。
それは
「お母さん!ごめんなさい!」
です。
私は一人っ子なのでお仕置きに関してのプライバシーなんてものは存在せず、やられる時間や場所は特に決まっていませんでした。
捕まると大抵その場ですぐに執行されます。
リビングだとソファ、仏間だと畳の上、2階だと自室のベッドか勉強机の椅子、門限破りは玄関でした。
場所によって力の差はありませんからお尻はどこでも痛かったですが
手足が着地する勉強机の椅子以外はまだマシだと思ってました、体勢が楽。
でも結局はお尻を痛くされるので許して貰うのに必死で場所なんて毎度どうでもいいです。
耐えても最後は謝罪の一点張りなので。
私は皮膚が弱かったので中学年まではよく泣かされました。
けれどこれがまた高学年になると割りと耐えられるようになっていて。
回数こそ増えたのはスリリングな遊びやリスキーな悪戯に目覚めたからかも知れません。
歳を重ねた私は体勢的にはもちろん恥ずかしいものの、低学年時の様に毎度下着までは脱がされず、痛み耐性も備わり、
私は罰を恐れず危険な遊びも悪知恵込みの企みもかなりし放題に成長してしまいます。
お仕置きが怖くて今を楽しまないのは勿体無い!!
陰キャのくせにそんな心持ちだったと思います。
親の言い付けが鬱陶しく思えたり小言を聞き流せるようになったり10歳を超えた私は典型的な反抗期でした。
悪い子だと叱られながらお尻をうんとぶたれる私は、ただ親の言いなりになる良い子で居たくはなかったので、その通り抵抗なり反発なりして悪い子で居ようとしました。
そんな私の躾に手を焼く母も母で、何気に上達していて内心困る場面も正直あります。
庇われる側と反対のお尻を狙う技術が地味に的確で上手くなっていたり、声が出てしまいそうな力加減が完璧だったり、脚で私の下半身を抑えたりと。
耐えられる様になった私もたまには降参直前まで迫られてしまいます。
しまいにはスカートもパンツも、穿いてる物ぜんぶ下ろされ、裸のお尻をもってお叱りを施してきます。
小学校も最上級生になると、ペンペン叩かれる事よりも下を身ぐるみ剥がされる事の方が堪えました。。
…
お尻丸出しでこっぴどくやられながら私はいつの間にか14歳になっていました。
自分探しをし始める時期で私は更にひねくれていきます。
歌は変わらず大好きでしたから、憂さ晴らしで1人で行く事を禁じられていたカラオケに頻繁に通い、友達の家に泊まると一晩中カラオケオールを良くしました。
他には部活だと嘘を付きカラオケに行く資金調達の為に禁止されているアルバイトを門限超えてもやりましたし、次いで悪い友達とつるんで夜道を練り歩いたりもしました。
デビュー曲「うっせぇわ」は実はこの時の気持ちを思い出し、放っといてくれと言わんばかりに心の闇や憂さを晴らすよう怒りのままに歌っています。
それがとても気持ち良いのです。
…
ここまで長く話しましたが伝えるべきは私が顔出しNGの理由です。
それは最後に受けたお尻の罰が原因です。
中学卒業前、今まで隠していた前述の悪行がとある朝芋づる式にバレました。
もちろん母は激怒。
今でこそ自分が悪いとは思いますが、当時の私はそんな方法でしか将来の不安や自分の在り方を保つ事が出来ませんでしたから、悪びれず反発をしました。
母はそんな本音などつゆ知らず、悪行を事実としてそれはそれは狂った様に私を強く叱り付けます。
今でも覚えているのは
「そんな事をする子はウチの子じゃない。外へ出なさい」
という言葉です。
今までに無い形相で私の腕を引っ掴むとそう言って玄関から私を引っ張り出します。
私はその凄まじい力について行く事しかできませんでした。
母の口からは出ていませんがそれはまるで「出ていけ」と言われている様な剣幕。
我が家の敷地内から道へ出されると母は右手に私、左手に道中で得た庭にある小さめの木のベンチをひとつ持って通路に置き、私をまたグイッと引っ張りました。
ランニング中の人やランドセルを背負った子供、子連れ、近隣住民は普通に居ましたが一瞬の事でしたし、何より母の威圧に負けて瞬時に抵抗なんて出来ませんでした。
「来なさい!」
視界はガクンと下がりました。
私はよろけたまま母の膝にうつ伏せられます。
何されるかは直ぐに分かりましたがすでに何もかもが手遅れ。
母は私のお尻を“外”で躾け始めました。
「やめてお母さんっ!!!」
母は手がつけられない程怒っていましたから当然制服の下は全て剥がされ、脱がされます。
私は小柄でしたが精一杯カラダを張りました。
脚が浮かされ踏ん張れない体勢の中出来る限りの力を出しました。
しかし一切の抵抗を受け付けない母のチカラは緩まず、私は悔しくも屈してしまいます。
スカートもパンツも脱がされてお尻丸出しの私、その莫大な羞恥心に顔を隠す事しか出来ません。
そうしてお尻は何度も何度もぶたれ始めます。
通電しているような痺れる痛みを何回も何回も、私のお尻は開始早々じんじんと熱を帯び始めました。
気を抜けば声なんて幾らでも出ます。
色付く過程は自分では見えませんがバチンバチンと鳴るに赤みは直ぐに出たはずです。
「お尻庇わない!じたばたしない!」
私のお尻は強烈になったものを度々落とされました。
お仕置きの音や噂で声が増え人が増え、それを捉えてしまう私は目を閉じ耳も塞ぎました。
けれど
無防備なお尻は痛くて痛くてもう堪りません。
慌てて状況把握しても痛みに理解が追い付かないのです。
喉奥で生まれる何かを必死に呑み込んでいなければ私はいとも簡単に目立つ事が出来ます。
庇えば少しは休めるものの初めから母にそうさせる気は毛頭ありませんですし、庇った所でその手は以降使えなくされます。
公衆の面前の中お尻ぺんぺんを与え続けられる私は落ち着いて現実逃避さえもさせてもらえませんでした。
もう私は私では居られない。
本気でお仕置きする母親。
私の忍耐はそう持たずに限界が訪れます。
体感的には五分も経ってないように思います。
遂に私は
泣き出してしまいました。
脚をばたつかせて謝罪と中止を訴えました。
私はこの時15です。
人生の中でも一番多感なタイミングです。
沸き起こる疑問もぶつけたい疑問も全てお尻の痛みに消されました。
膝に押さえ付けられた裸のお尻を何度も叱られるなんて。
痛がり懇願するとてつもなく恥ずかしい姿を男の人や歳下の子に見られています。
尋常じゃない気の狂いです。
でも兎に角お尻が猛烈に痛くて、、
私は周りからの目なんて気に出来ず、お仕置きをみられながら幼い子の様に泣きじゃくりました。
「わぁん!」「こらっ!」
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