松井今朝子(1953.9.28- )「一場(いちじょう)の夢と消え 夏安居[げあんご]の日々」『オール讀物』2023年6月号
『オール讀物』2023年6月号
文藝春秋 2023年5月21日発売
https://www.amazon.co.jp/dp/B0C4M3L77Z
松井今朝子(1953.9.28- )
「一場(いちじょう)の夢と消え
夏安居[げあんご]の日々」p.326-343
第三回 中川学 画
「貞享[じょうきょう]五年[1688]が
元禄元年と改まってから早くも五年の歳月が流れた」
p.327
「信盛[近松門左衛門 1653-1725]が去年上梓した
「日本西王母」の浄瑠璃正本」p.338
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/2995/YMN002604.pdf
大橋正叔「「日本西王母」をめぐる問題」
『山邊道 国文学研究誌』27(1983.3)
「明和五年[1769]刊の『増補外題年鑑』が記す、
「日本西王母」元禄四年四月八日上演」
https://ja.wikipedia.org/wiki/近松門左衛門
「貞享3年には竹本座上演の『佐々木大鑑』で、初めて作者として「近松門左衛門」の名を出した。元禄5年(1692年)、40歳で大坂の商家松屋の娘と結婚し(ただしこれは再婚ではなかったかといわれる)、その間に一女一男をもうけた。このうち男子は多門と称し絵師になっている。
元禄6年以降、近松は歌舞伎の狂言作者となって京の都万太夫座に出勤し、坂田藤十郎が出る芝居の台本を書いた。十年ほどして浄瑠璃に戻ったが、歌舞伎作者として学んだ歌舞伎の趣向が浄瑠璃の作に生かされることになる。」
この小説では、
元禄五年の時点で、
すでに「都万太夫座に出勤」して、
「昨夜画いた舞台の絵図面を道具方頭の権蔵に見せて相談」p.332
してます。
「[権蔵に]信盛が気安く相談できるのは、
芝居の道を歩みだした当初の馴染みだからだ」p.332
「[坂田藤十郎(1647-1709)の]
斬新ともいえるその芸風を、
作者の自分がまだ十全に活かしきれていないのは
もどかしいばかりだった。」p.332
https://hamasakaba.sakura.ne.jp/c241/2401/sub2401
近松門左衛門 年譜
https://ja.wikipedia.org/wiki/松井今朝子
http://www.hatirobei.com/ブックガイド/作家から/松井今朝子/雑誌掲載記事
読書メーター
松井今朝子の本棚(登録冊数3冊)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11929988
オール讀物の本棚(登録冊数20冊)
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https://note.com/fe1955/n/n07d2273a1a03
松井今朝子(1953.9.28- )
「一場(いちじょう)の夢と消え」
『オール讀物』2023年3・4月合併号
https://note.com/fe1955/n/n29b84073f5a3
松井今朝子(1953.9.28- )
「一場(いちじょう)の夢と消え
春永の暮らし(一)(二)」
『オール讀物』2023年3・4月合併号
https://note.com/fe1955/n/n2a2930999414
松井今朝子(1953.9.28- )
「一場(いちじょう)の夢と消え
第二回 春永の暮らし 三」
『オール讀物』2023年5月号
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