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木村衣有子(1975- )『あのとき食べた、海老の尻尾』大和出版 2011年3月刊 144ページ 『キムラ食堂のメニュー 中公文庫』中央公論新社 2017年10月刊 267ページ 『家庭料理の窓』平凡社 2022年8月刊 198ページ
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木村衣有子(1975- )
『あのとき食べた、海老の尻尾』
大和出版 2011年3月刊
144ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4804704450
「あの人が好きだったもの、私が好きだったもの。
蕎麦屋のカレー、ちりめん山椒、ホットケーキ、いちじくのジャム、
ほやの燻製……あなたにはどんな思い出がありますか?
忘れられない味もあれば、忘れたい味もある。
あの日彼と一緒に食べた鯖鮨と、今食べる鯖鮨は違うはず。
お腹が空いたときに、お腹がいっぱいのときに、
読めば読むだけ違う味が見えてくる。
人気エッセイストによる、食べ物の話。
木村衣有子[キムラユウコ]
文筆家。主な守備範囲は食文化と書評。
1975年栃木県生まれ。文筆家。
著書に
「味見したい本」
「銀座ウエストのひみつ」
「京都の喫茶店」
など。」
![](https://assets.st-note.com/img/1731251086-ISbmkfLWBQ1ReTZaDl7qOUX9.png?width=1200)
福岡市総合図書館蔵書
2011年5月25日読了
一篇三ページのエッセイ三十六篇からなる
書き下ろし食べ物エッセイ集。
著者は1975年生まれ。
栃木で18年間、
京都で8年間暮らした後、
2001年に東京へ転居。
[20111年5月]現在は浅草在住、だそうです。
著者が撮影している写真も美味しそうな本。
「六年前、松山にての、友達の結婚式に出るために四国へ渡ったついでに、香川に寄ってさぬきうどんを食べたとき「なるほど」以上の感想を
持てなかったのは、うどんに歯応えを求めてはいなかったからだ。
それがはっきり分かったのは、伊勢うどんを食べて、だった。
伊勢うどんは、どこまでも柔らかいうどんだ。
柔らかいところが、伊勢うどんの第一の個性なのである。
ずいぶんと素っ気ない見た目のうどんではある。
とことん柔らかく茹でて太くなったうどんを、湯を切って丼に入れ、
たまり醤油と出汁を合わせた甘めのたれをかけ、刻み葱をのせる。
一味唐辛子をたっぷりと振って、よく混ぜ合わせて食べる。
見た目に比例して、味もシンプルだ。
伊勢うどんを食べてから、うどんの柔らかさに溺れてもいいよ
と許されたようで、ほっとしている私である。
麺のこしがどうのこうのと言ってみなくともいい、
もったいぶらないでいいのだ、と。」
p.103「伊勢うどん」
私は福岡のチェーン店
「牧のうどん」のカタ茹でのが好きですが、
「とことん柔らかく茹でて太くなった」
伊勢うどんの写真を見て、食べてみたくなりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1731258165-np2gRb9KOqjGYLMztSIiZ6wd.png)
木村衣有子(1975- )
『キムラ食堂のメニュー
中公文庫』
中央公論新社 2017年10月刊
267ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4122064724
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/10/206472.html
「行きつけの蕎麦屋、お気に入りの喫茶店、
廃炉作業のつづく福島第一原発の食堂……。
日本各地の料理人・職人・店主を取材し、
みずからミニコミの執筆・編集・発行を手がけてきた著者。
どこに出かけても、そこにはいつも、味覚のよろこびがあった。
思い出す料理、人との出会い、畑を耕した三年間など、
日常のなかで、変わりゆくものと変わらぬものを感じながら、
食の風景を綴るエッセイ集。 」
「各地の飲食店主や職人の取材を続けるかたわら、
お酒のミニコミ『のんべえ春秋』を発行してきた著者。
懐かしの大食堂、小さな台所での工夫、
郊外のコーヒーショップ、都会の片隅にある畑…。
日常のささやかな変化を感じながら、
さまざまな食べもの・飲みものとの出合いを綴る。
おいしい話満載の一冊。」
![](https://assets.st-note.com/img/1731258515-T0Dinwx1Ep8HICU9bV4M7qdJ.png)
![](https://assets.st-note.com/img/1731258618-W2SuIRNxPbMF8JKGrQgjUAwh.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731258932-kzEK7Y0R5bMXjqDJiQl4moLS.png)
![](https://assets.st-note.com/img/1731259002-PGgTNeAp6DRo23caK4S7r1Xn.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731259071-bd19ENyF2VTC4RXmgqsjfDeY.png?width=1200)
福岡市総合図書館蔵書
2018年1月6日読了
1975年生まれ、
栃木で18年間、
京都で8年間暮らした後、
2001年に東京へ転居、
2012年晩秋、台東区から足立区へ引越しした、
『のんべえ春秋』編集発行人、
木村衣有子さんによる文庫オリジナル、267ページ。
「農業体験型農園 利用料年4万5千円」を3年間利用した
「畑日記三年分 東京都足立区の片隅で」120ページと
食べ物・飲み物エッセイ32篇。
2011年5月に読んだ
『あのとき食べた、海老の尻尾』
大和出版 2011.3
https://www.amazon.co.jp/dp/4804704450
からの再録が12篇、
「三十四、五歳の頃に書いたものにはずいぶん手を加えた」
p.263「あとがき」
表紙は、クレジットはありませんけど、
岩手県花巻市マルカンビル大食堂のナポリかつ。
「2017年春のマルカン。
私は、ちょうど一年前に来たときと同じく
「ナポリかつ」を注文した。
フォークが添えてあるけれど
断然お箸のほうが食べやすい一皿。
ソフトクリームも、割り箸で食べるというのがここの習わし。
もちろんそれも、変わっていない。」
p.31
「マルカンビル大食堂」
「2014年9月14日
午前中に畑仕事をした帰り道に思い浮かべる
食べものナンバーワンは、
サッポロ一番塩。
トマトの最盛期にはざく切りにしてのっけていた。
酸味を加えると俄然、東南アジアの屋台風味になる。」
p.198
「畑日記三年分 東京都足立区の片隅で」
![](https://assets.st-note.com/img/1731259471-ih4gBZKflwR9LnexztoaM30W.png?width=1200)
木村衣有子(1975- )
『家庭料理の窓』
イラストレーション 佐藤ジュンコ
平凡社 2022年8月刊
198ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4582839053
「食の道を探求してきた木村衣有子が、
味噌汁や肉じゃがの歴史、土井善晴などの料理本、
春のパンまつりの皿、台所道具までを読み解く、
家庭料理今昔物語。ウェブ平凡好評連載。」
「ご飯茶碗やみそしるの知られざる歴史、
ネット時代のレシピ、炊飯器の選びかた、
春のパンまつりの白い皿、柳宗理の台所道具、
スーパーマーケットと冷蔵庫の関係…。
“食”を探求してきた著者がひもとく、家庭料理のいまむかし。
木村衣有子[キムラユウコ]
文筆家。主な守備範囲は食文化と書評。
1975年栃木県生まれ。文筆家。著書に
「味見したい本」
「銀座ウエストのひみつ」
「京都の喫茶店」など。」
https://booknerd.stores.jp/items/630de19bef8085755cb510f6
「"そう、職業料理人ではない私たち、
つまり家庭料理人がうちでつくる料理は、
渦巻く各々の生活の中に完全に溶け込んでいます。
もしも、生活から、料理の部分だけをきれいに切り取ることが
できたとしても、切り離された瞬間に、
それは家庭料理とは呼べなくなってしまう。"
(あとがき 家庭内料理人)
白米へのこだわり、森正洋の白山の飯碗、
柳宗理の輪郭、大同電気釜、高山なおみの塩豚。
来る日もくる日も台所に立ち、米を炊き、出汁を取る。
木村さんが嬉々として綴る、その風景から見えてくるものの
小さなトリビア、必然から生まれた蘊蓄はわたしたち家庭料理人を
照らしてくれるささやかな光のようだ。
すべての家庭料理へ捧げる、豊潤で奥深いエクリチュール。」
2022年10月17日読了
福岡市総合図書館予約7人(複本2冊)
「ウェブ平凡」掲載
「家庭料理の窓」12篇と書き下ろし2篇。
巻頭 p.4-15 が、
「第1回 私の好きなお米 更新 2021.08.02」
https://webheibon.jp/kateiryori
で読めます。
目次
私の好きなお米
出汁遍歴とごはん茶碗
しるものがたり
朝は味噌汁と決まっていたわけじゃない
電気じかけの炊飯器
一九八一年の白いお皿
コーヒーから柳宗理へ
ステンレスボウルとアルネ
君の名は肉じゃが、そしてポテサラ
野菜ぐらし[書き下ろし]
塩豚=高山なおみ
いつぞやの、つくりおき
大レシピ時代
スーパーマーケット逍遥[書き下ろし]
「1975年栃木県生まれ。
1994年から2001年まで京都在住、
2002年上京」p.197 な
木村衣有子さんの本を読むのは三冊目です。
![](https://assets.st-note.com/img/1731260729-zqRsXtOLFAMmSiUpDj2JCdWN.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731260793-X0uegsf37mhjDRQx8qkEnLac.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731260855-kazCYFOoWtH9c4qVETJRdhy1.png)
「はたから見ていても、よっぽど白いごはんが好きらしい。
そう指摘された20歳のとき。
自分、ひとり暮らしやろ、それなのに米、米って、贅沢やろ。
咎めるような口調で、ふたつ年上の、
当時の彼氏に言われたときには心底驚いた。
貧乏学生といえばつつましく麺を啜るもの、と、詰られて、
そのときは、私はよっぽどぼんやりしていて、
彼の言葉の真意が分からずじまい、なにひとつ言い返せなかった。
しかし、その後お別れをし、さらに1、2年経ってから、
ようやく腹が立ってきた。その、当時の彼氏は、
田んぼからはかなり遠い街なかの実家に住んでいた。
田んぼの畦道がいつもの通り道、
という土地で18まで暮らしていた私の背景についての問わず語りを、
聞いているようでいてもちっとも理解してはいなかったのだ、
と、分かった。
当時は、祖母の親類が分けてくれるお米を実家から小包で
送ってもらっていて、私にとってお米は、いつもうちにあるものだった。
祖母が世を去って何年も経った今になってみれば
それはたしかに贅沢である。」
p.5「私の好きなお米」
栃木県から京都の大学に進学して、
何を勉強されていたんだろう?
「味噌汁について
田辺聖子[1928.3.27-2019.6.6]は語っている
「食べた記憶はある、という感じです。
終戦後に関東から入ってきた風習だと思いますよ」
「「汁」ってことばも大阪にはないです。
「おつゆ」になりますね。わたしたちは戦前
「おみそのおつゆ」って、長々しい呼び名でしたよ」
「(「おみおつけ」という言葉は)
小津安二郎[1903.12.12-1963.12.12]の映画で憶えました」
石毛直道[1937.11.30- ]
熊倉功夫[1943.1.3- ]
との鼎談(1998年)
『上方食談』小学館 2000.11 収録」
p.47「朝は味噌汁と決まっていたわけじゃない」
へぇ~ 知らなかったなぁ。
読書メーター
木村衣有子の本棚
登録冊数3冊 刊行年月順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091746
食べ物の本棚(登録冊数857冊)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091194
![](https://assets.st-note.com/img/1731257570-piPnjC6Xh7JQlSL34O892auv.png?width=1200)