山口昌男(1931.8.20-2013.3.10) 『学問の春 知と遊びの10講義 平凡社新書』 平凡社 2009年8月刊 301ページ
山口昌男(1931.8.20-2013.3.10)
『学問の春 <知と遊び>の10講義
平凡社新書』
平凡社 2009年8月刊
301ページ
https://www.heibonsha.co.jp/book/b163428.html
「“学び”とは、そもそも“遊び”の延長にある──
森羅万象を縦横無尽に駆け巡る知の巨人が、
ホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』を手がかりに、
学問を志す若者たちに語った。
さあ、めくるめく知の世界へ!
あるときは、七つの山と谷を越えて調査に出かけ、
あるときは、講師として行った国で内戦に遭遇。
そしてあるときは、本を求めてヨーロッパの街々をさまよい──。
好奇心のかぎりに、世界中の人々や本に出遭いながら、
われわれの文明と自身を冷静に見つめ続ける
文化人類学者・山口昌男。
ジャンルを超え、世界を相手に思考し続けている著者が、
学問を志す若者たちに、
〈遊び〉のなかにある〈学び〉の楽しさを説いた。
テキストはホイジンガの『ホモ・ルーデンス』。
さて、この古典的名著をどう料理するのか──。
国境を、そして時代さえも縦横無尽に駆け巡りながら
語った名講義をここに再現!
山口流《学問のススメ》!」
https://www.amazon.co.jp/dp/4582854796
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784582854794
目次
第1講 「ホモ・ルーデンス」に出会う旅
第2講 まなびあそび
第3講 比較文化の芽-交換とコミュニケーション
第4講 雑学とイリュージョン-ホイジンガの学問的青年期
第5講 トーテムから原始的二元論へ
第6講 季節の祭 二つに分かれて競う
第7講 文化は危機に直面する技術
第8講 ポトラッチ1 二つに分かれて、繋がる世界
第9講 ポトラッチ2 破壊と名誉
第10講 クラ 神話的航海
福岡市総合図書館蔵書
2009年9月19日読了
1997年に
札幌大学文化学部で行われた
「文化学総論」
(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を読む)
の講義録。
教室で話しているように書かれていて多少冗長ですが読みやすい。
教室で面白い講義を聴いているように楽しく読めました。
講義を面白いな〜と思いながら、
ノートを取らずに聞いていると、
後になってその講義の内容を思い出せない!
ということが学生の頃よくありましたけど
本書の読後感もそんな感じ。
今は勉強するために読書している訳ではないので
楽しい時間を過ごせたからいいのだ!
と思うことにします。
山口昌男の名前は
明治大学文学部学生の頃(1973-77)、
小野二郎先生(1929.8.18-1982.4.26)
https://ja.wikipedia.org/wiki/小野二郎
https://aokishoten.sakura.ne.jp/yuko/yuko94.html
「ウィリアム・モリスをはじめて知ったのは、
小野二郎先生の教室だった。」
から教わりましたが、
当時は
『本の神話学』1971
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9BTNY
https://www.amazon.co.jp/dp/4122004993
を読んだだけで、その後、今まで何も読んでいません。
筑摩書房から全五巻の
『山口昌男著作集』2002-2003
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480751706/
が刊行されているので、
読んでみたいなぁと思いました。
巻末の「読書案内をかねた参考文献一覧」が18ページもあって、
読んでみたい著作がたくさん並んでいます。
これから何冊読めるかな?
「大学という場所について考えてみると、これからの大学は
要するに知的にやる気のある学生と先生とが出会う場所に
なるべきであって、制度的にただそこにいて
試験で点を取って就職するというような形骸化された
通過儀礼の場としては、もはや存在しなくてもいい。
……
ヨーロッパ中世に
フランソワ・ヴィヨン
Francois Villon 1431-1463?
という詩人がいました。
この詩人は詩の先生と共にヨーロッパの大学を渡り歩いて、
無頼の限りをつくしながらバラッドの詩編を残した。
「放浪教授・学生団(ワンダリング・スカラー)」、
フランスの中世にはそういう知のスタイルが存在していた。
彼らは知識人というよりは、反社会的な狂人や道化に近く、
警察権の外部にいたのです。
放浪しながら、食べていくために時によっては
強盗やカッパライも働いた。
先生がたとえばリヨンの大学に草鞋を脱ぐ、
そうしたら学生もそこにいっしょに草鞋を脱ぐ。
先生がどこか別の土地へ移動したらまたいっしょに移動する。
そういうユニット、放浪する学びの徒党というものを作ったんですね。
ヨーロッパでいわゆる「知識人」というのは、
アイルランドに始まったといわれている。
アイルランドのカトリックの修道士たちが、
ヨーロッパ全体に学問を説いて歩く。
それがだいたい大学の基礎になって行った。
各地の僧院にその人たちが定着して教え始め、
そこに学生が集まってくる。
ヨーロッパの大学というのは
オックスフォード大学もフランスの数ある古い大学も、
そういうところに始まっている。
ですから、大学が固定した時間割・カリキュラムを全部決めて
そこに先生も学生も閉じこめるというのは
近代のごく新しい大学のあり方です。」
p.36
「第二講 まなび あそび」
アイルランドのカトリックの修道士といえば、
[2009年]7月に読んだ、
ピーター・トレメイン
『修道女フィデルマの叡智』
創元推理文庫 2009.6
を連想してしまいましたが、
フィデルマはもっと昔の7世紀でした。
https://note.com/fe1955/n/n65834cf41205
https://note.com/fe1955/n/n48d6b5886342
https://note.com/fe1955/n/nbd3496c8eb59
「今朝は六時に目が覚めたから、文化についての大理論を
半分夢見ながら八時まで考えていた。
まどろみのうちに考えたことは、
「文化学部」は何をすべきなのかということ。
今日比較文化研究をやっていく場合に一番重要な課題は何かというと、
文化は、普通そうは考えられてないけれども、
危機、クライシスに直面する技術であるということ。
そこをはっきり見据えること。
これを僕は今日の朝、目ざめた後にはっきり考え始めた。
この考え方は現在、文化を研究すると称する人たちの間では
全然問題になっていないわけです。ところが次の瞬間に、
このことを最初に言ったのは誰だろうかと思って考えてみたら、
イタリアの、君たちはこれから知るであろう
記号学の大御所であって作家であるウンベルト・エーコという人であった。『薔薇の名前』という映画化された小説は世界的に売れて、
その後は作家としても非常に人気がある。
1983年に、当時フランスの文化大臣だった
ジャック・ラングという人が中心になって、フランス文化省が
「国際芸術家・知識人会議 文化・経済・危機」を招集した。
そのときにウンベルト・エーコが発言して、
文化の創造性というのは元々、危機を排除するのではなく
危機に直面する技術であると、語った。
…
これは文化ということを考える際に非常に重要な視角である。
人間が危機に陥るということの意味を考えたとき、いろんな次元がある。
危機っていうのは、危険なことがどこかから降ってわいてきたから
危機なのではなくて、一貫性や体系性を備えているようなふりをしている
組織や制度が、潜在的にすでに抱えている危機が表面化する
ということなんです。
たとえば大学も危機を持っている。
青年期にある多くの学生もクライシスを抱えている。
危機が制度的なものである場合もあり、個人的なものである場合もある。
しかしながら、その危機に直面する技術をつねに養っておく。
技術ということが重要なので、
文化はそういう危機に直面することを助ける、まあ制度とはいわない、
もっと広い創造的な仕掛けであるということができる。」
p.174
「第七講 文化は危機に直面する技術」
読書メーター
山口昌男の本棚
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091539
川本三郎(1944.7.15- )
「山口昌男先生の試験は「縄文時代の日記」」
『文藝春秋』2012年10月号
『そして、人生はつづく』
平凡社 2013.1
https://note.com/fe1955/n/n76c7998ef32d
安彦良和(1947.12.9- )
『虹色のトロツキー 第1集
希望コミックス 218』
潮出版社 1992.6
山口昌男(1931.8.20-2013.3.10)
「解説」p.252-253
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/pfbid0WMXHg3TE1MLmYasJQQ78XwSPWW526sg9WqJHz1npvd8WTkvuEJhcPAxo7iZy9nP9l