なぜ「FDY」なのか。

この前友達と飲んでいて「結局"FDY"ってなんなの?」みたいな話になったので、"FDY"とは一体なんなのか、自分でも再確認するという意味も込めて書いていきたいと思う。

先に言っておきたいのは、人間の意見なんていうものは変化するものであり、特に僕のような生まれてこのかた"自分"というものが一体全体なんなのかさっぱり掴めていないような状況で29年経ってしまった人間にとって、意見なんてものは流動して然るべきものであり、例えば1年後にこの文章を読んだ人が「お前!1年前に言ってることと今やってること全然違うやんけ!ホーリーシット!ディスイズホーリーシットマイファザー!」って言われても、困ってしまうということだ。

なのでこのノートに書くことは"今の自分の心境"であり、"未来の自分を約束するものではない"ということをご理解いただければ幸いである。

そもそも"FDY"を始めたのは、"自分がある程度権限を持って動かしていける集団”が欲しかったから、というのが一番の理由になると思う。

今現在、法人化している訳ではないので、あくまで会社ではないのだが、簡単に言えば"自分の価値基準を元にルール作りができる集団"を作りたかった。

僕はなんの変哲も無い、いわゆる一般家庭に生まれ、サラリーマンの父とパートの母と2歳年上の姉という家庭環境で育った。

家は裕福ではなかったし、どちらかというと貧乏な方だったかなと思うのだけれど、給食費が払えないとか、家の電気が止まったりというようなことはなく、なんだかんだで子どもは2人とも大学を卒業した、そんな家庭だ。

家庭内暴力とか、不倫とか、不登校とか、トレンディドラマで描かれるようなドラマチックな事件とは無縁の家庭ではあったが、いわゆる他の家庭よりは"厳しめ"の、そして力関係で言えば親父が絶対の"亭主関白系家族"であった。

親父は真面目で仕事一筋、お酒を飲むのが大好きだったが、外で飲むようなことは滅多になく、基本的に定時で上がってそのまま家に直帰して手酌で発泡酒をひたすら飲み続けるというストロングスタイル。

休日は朝から起き出して家の掃除やらなんやら、ひと段落したらもう一つの趣味である音楽をかけてのんびり、お昼ご飯にそうめんやらラーメンやらを作って家族で食べ、昼過ぎからお酒を飲み始めてのんびり。

僕が小学生ぐらいまでの親父のイメージはひたすらにこんなものだ。

小学生高学年から、僕が野球チームに入ったこともあり、休日に親父が何をしていたのかはよく知らないが、とにかく休日も遅くまで寝ているということは絶対になく、早起きして掃除か買い物か音楽を聴くか酒を飲むかしていた。

そんな親父を見ていて子ども心に「一体全体この人はなんのために生きているんだろう」と思っていた。

なんなら母親に聞いてみたこともある。

母親の答えは「あなたたちのために働いて頑張ってくれているのよ」みたいなものだったと記憶している。

9歳ぐらいの自分にとって、その答えは衝撃的なものだった。

他人のためだけに生きるっていう感覚が理解できなかった。

9歳の頃から僕は"尋常ではないぐらい生意気な子ども"だったので、こいつはバカなのか?って思っていた。

そもそも”あなたたちのために生きている”って、子どもに言っても仕方ないし、生まれたくて生まれたわけじゃないし、押し付けないで欲しいな、重いなって。

本当に9歳の頃にそう思っていた。そう思うような子どもだった。今考えると怖い。自分でも怖い。

29歳になった今、振り返ってみると母親の言いたかったニュアンスがわかる。いや、9歳の頃からニュアンスはわかっていたんだと思う。

つまり"子どもの成長を見守っていくのが何よりも楽しいし、健康に育ってくれるのが何よりの願いであって、そこに充分な生の喜びを感じているのだよ"と。

自己犠牲をしているという認識はないし、(例えあったとしても)それが自分の幸せに直結しているのだから幸せなんだよと。

その言外に伝わってくるニュアンスを感じ取りながら、僕は拭いきれない気持ち悪さも同時に感じていた。

なぜならそこには”我慢が大前提”という思想が垣間見えたからである。

親父は学生時代、バンドにハマり、洋楽から邦楽までロック中心に音楽を聴きまくり、家にはCDが溢れ、ギターとベースとアンプで部屋がいっぱい。

それぐらい趣味に没頭、というか、没頭できる趣味があるのに、一体全体この人はなんでサラリーマンをやっているのだろう。

どうして音楽関連のことを仕事にしないで、どう見たって楽しそうではない会社に毎日毎日律儀に遅刻せずに通っているのだろう。

理解不能だった。

いや、正しく言えば「理解はできたのだが自分は決してこうはならないと固く誓った。」

なぜ音楽の仕事につかないのか。そりゃ確かに、バンドで成功するなんていうのは狭き門だろう。

でもバンドだけが音楽に関わる道じゃないし、ちょっとでも音楽に関わってくるような仕事ならなんでもいいのではないか、少なくとも今よりは。

当時そこまで突っ込んで意見したことはなかったが(どうせ言っても「口答えするな」で終わりである)、たぶんふんわり聞いたところで返ってくるのは「音楽の世界で食っていくのは大変だ、給料が下がる、家族を支えながら生きていくには今の仕事をするしかない。」だったんだろうな。

別にそれはそれでいいのだけど、じゃあ子どもに「あなたたちのために生きてる」って言わないでほしいな、好きでやってるなら、お前らのためだよって言わないでほしいな。

ずっとそう思って生きてきた。

大人になって、この考えは変わるのかなって思っていたのだが、基本的には変わっていない。

生きたいように生きるべきだと強く思う。

何かを犠牲にするなら、それは自分の決断なんだから、他人のせいにしないでほしいと思う。

家庭を持つのも、子どもを持つのもすごくいいと思う。

ただ、子どもを持つという人生はあなたが選んだ人生なんだから、自分で責任を取ってほしいと思う。

「子どもがいるから遊べない」とか、「奥さんがうるさくて遊べない」とか。

そりゃそうだろとしか思えない。

子どもの面倒見なきゃいけないから遊べない?うん、子ども持つってそういうことだよね、予期できたよね、覚悟の上で産んだんだよね?

日常で一切愚痴るなって言ってるわけじゃない。

たまには愚痴ってもいい、酒でも飲みながら、不満をぶちまける会があってもいいだろう。

でもそれはあくまでイレギュラーの話だ。

仕事がつまんない、辞めたい、って思うならやめればいい。

仕事がつまらないのは、誰のせいでもない、あなたのせいなんだから、あなたがどうにかして変えていくしかない。

仕事のやり方を変えて楽しめるように工夫するのか、割り切って効率化してプライベートを楽しむのか、それとも転職して違う仕事にチャレンジするのか。

どうやってもいいと思うけど、人生はあなた次第なんだから、嫌ならやめろ、だるいなら動け。

ネガティブな部分ばかりを取り上げてしまったけど、人生ってもっと楽しんでいいと思うんだ。

絶対我慢しなきゃいけないわけじゃないし、常識って誰かが決めた、ただのルールだし、生きていけるなら働かなくたっていいし。

実家があって、とりあえず飯が出てくるなら、働く必要なんて全くないと思うし。

働くなら働くで、目的なんてなんでもいい。

お金を稼ぐっていうのでもいいし、暇つぶしでもいいし、楽しいからでもいいし。

ただ、いまの日本の働き方でいうと、週5日、8時間労働が基本であって、まあざっくり人生起きてる時間の半分ぐらい働いてるよね。

そうなると人生の半分が仕事ということになる。

もし人生楽しみたいなら、仕事を楽しくするのが一番簡単だよね。

楽しく仕事をするのが一番。

あと何年かしたら、それは10年後かも20年後かもしれないけど、ベーシックインカム制度が始まるのは間違い無いと思う。

AIの研究が発展し、ロボットが代わりにやってくれる仕事ももっともっと増えるはずだ。

そこまでくると、人間は働かなくていいようになるはずだ。

本来、働きたくないなら働かなくていいはずなんだよな、人間て。

だって、働きたくないんだもん、じゃあ働かなくていいじゃんねえ。

それで死ぬんだったらそれはそれでいいじゃん、食えなくなったら死ねばいいよ。

でも、たぶん、その人が子どもだったり、優しい人だったりしたら、誰かが助けてくれるよね?

助けてもらったら、それをありがたく受け取ればいい。

その恩は返したくなったら返せばいいし、別に返したくないなら返さなくていい。

でもたぶん、返さないような人は友達ができないし、友達がいないと人生は楽しくないと思うよ。

楽しくないなら生きる気力なんてわかないだろうから、死んでいくんだろうな。

恩を返したくなったなら、自分の得意なことで相手の役に立ってあげればいいよ。

別に、高度な技術なんて必要ない。

もし相手がおばあちゃんだったら、スーパーからの帰りに荷物を持ってあげればいいよ。

きっとすごく喜んでくれるだろう。

お隣のおじいちゃんも困ってるんだよって話をされるかもね。

そしたら空いてる時間におじいちゃんの荷物も持ってあげればいいよ。

きっとめちゃくちゃ感謝してくれるよ。

ご飯食べにおいでってなるかもしれないよ。

そしたら一緒にご飯食べればいいよ。

きっと話し相手になるだけでも、それは人によってはすごく価値のあることなんだよ。

そうやって広げていけばいいよ。

近所に老人が多いなら、買い出しを車でやってあげれば?

一件一件回ってあげればいいよ。

そうやって生協とか、通販とか、そういうものが生まれていったんだろうね。

結局、人から喜んでもらえるなら、何したっていいんだよ。

人が喜んでくれる、人の役に立つことで、自分にできることをやっていけばいいよ。

FDYもそんな感じ。

楽しいことしたい、おもろいことしたい、尖ったことしたい。

きっとそうやって提案していけば、こんなことやったら面白くね?って提案していけば、面白い!って言ってくれる人が出てくる。

こんなこともやってよ!っていう人が出てくるはずだ。

そういう要求に応えていけば、きっとFDYは楽しくなる。

毎日ワクワクしながら、いろんなことを提案できる。

まずはファッションから始めよう。

日常にワクワクを落とし込もう。

何も考えずに買うTシャツより、あいつがデザインしたやつ、あいつがオススメしてたやつ、あいつが頑張って作ってるやつ、あいつとお揃いになれるやつ。

友達の笑顔が浮かぶものを買ったほうがいい。

消費活動に笑顔が伴うのは必須だ。

お店で買って、店員さんが笑顔でありがとうって言ってくれたら嬉しい。

消費って、笑顔になることのはずだ。

ワクワクして買い物をしてほしい。

日用品でさえも、友達の笑顔が浮かぶ消費を。

まずはファッションから始めよう。

まずはここから始めよう。

FDYは、どこまでも行ける。

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