森喜朗氏の発言と、それを巡る一連のムーブメントについて一人の女子高校生として思うこと

森喜朗氏の発言とは

2021年2月3日、日本オリンピック委員会の臨時評議員会での森喜朗氏(東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会 会長)の発言が取り上げられ、女性蔑視であるとして話題になった。以下は朝日新聞デジタルさんの  "「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」森喜朗氏"  と題した記事の引用である。

森会長は「テレビがあるからやりにくいんだが」と前置きしたうえで、「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」とも発言。「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困ると言っておられた。だれが言ったとは言わないが」などと語った。その場にいたJOCの評議員会のメンバーからは笑い声もあがった。
また、「私どもの組織委員会に女性は7人くらいか。7人くらいおりますが、みなさん、わきまえておられて」とも話した。
JOCの理事は25人で、うち女性は5人。JOCはスポーツ庁がまとめた競技団体の運営指針「ガバナンスコード」に沿い、全理事のうち女性の割合を40%以上にすることを目標としている。
森会長の女性理事についての発言は以下の通り。
これはテレビがあるからやりにくいんだが。女性理事を選ぶというのは、日本は文科省がうるさくいうんですよね。
だけど、女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。これは、ラグビー協会、今までの倍時間がかかる。女性がなんと10人くらいいるのか? 5人いるのか? 女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。
結局、あんまりいうと、新聞に書かれますけど、悪口言った、とかなりますけど、女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらないで困るといっておられた。だれが言ったとは言わないが。そんなこともあります。
私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。みんな競技団体からのご出身であり、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですから、お話もシュッとして、的を射た、そういう我々は非常に役立っておりますが。次は女性を選ぼうと、そういうわけであります。

問題の発言に対する反応

この発言が女性蔑視であるとして物議を醸した。発言中の「(組織委員会の女性は)みんなわきまえておられて」に対しての #わきまえない女 というタグがTwitterのトレンド一位になり、この発言を取り上げた記事が海外でも見受けられるようになり、駐日欧州連合代表部やEU加盟国数国の駐日大使館が男女平等を訴えるツイートを投稿した。

これらは私がTwitter上で感じた流れであり、正確なものではないかもしれない。このnoteの目的は、一連の騒動に対するもやもやを吐き出したい、というところにあるので勘弁されたし。

問題の発言は女性蔑視にあたるのか

ここからは、私個人が感じたことを書き連ねていく。

結論として、女性"蔑視"ではないと考える。発言を通しての趣旨は、組織委員会の女性を評価するものであるからだ。しかし、確実に女性"差別"が現れていて、問題の本質はそこにあると思う。

記事によると、問題の発言が出た原因は、近年の「女性差別反対」という動きに伴って、メンバーのうち何人、何割を女性にしよう、という決まりが作られるようになったことにあると推測できる。

JOCの理事は25人で、うち女性は5人。JOCはスポーツ庁がまとめた競技団体の運営指針「ガバナンスコード」に沿い、全理事のうち女性の割合を40%以上にすることを目標としている。

私は、このような目標・考え方そのものが女性差別であると思う。デジタル大辞林によると、差別は「取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。」とされている。つまり、なにも悪い扱いをするだけが差別ではないのだ。もちろん、人の意識は簡単に変わるものではないので、まずは形から…というのは間違った考えではない。しかし、仮に優秀な男性(A氏とする)が”男性枠”が残って無いからという理由で選出されず、A氏より能力の劣る女性が”女性枠”として選出されたとする。この場合、A氏は選ばれた女性を快くは思わないだろう。そして、実力によって認められ活躍している女性達のことも、「どうせ女だから贔屓されているだけで能力は劣るんだろ」と感じるようになると思う。これは紛れもなく女性差別であり、”女性枠”を設けることで人数の差が縮まったところで差別は広まるばかりである。

男女平等のゴールは、男性と女性が同じくらい活躍すること、ましてや人数比が1:1になることではない。男か女かなんて誰も気にしなくなることだ。難関校にはメガネの人が多いのは差別だ、裸眼とメガネを1:1にしろ、という意見が無いように、全く気にならなくなるのが理想だ。各々が自分のやりたいことを選択し、能力を競った結果が男ばかりでも女ばかりでも問題はないのだと思う。

したがって、#わきまえない女 などといった表現にも違和感を感じる。性別による区別の輪郭をより際立たせているからだ。これに限らず、近年の少し過激・過剰なムーブメントは、男尊女卑の考え方を持っていなかった男性にも反感を与え、男女平等の妨げになっている印象を感じる。このような男性からの反感を、全て不快に感じるのは根底に男尊女卑の思考回路があるからだ、で片付けるのは危険ではないだろうか。

私の考えは理想論なのかもしれない。幸いにも今のところ性別を理由に不当な扱いを受けたことはないし、女子の割合が2割程度の工業高校でも特に贔屓も蔑視も感じていないからだ。しかし、政治家やタレント、見かけるツイートに酷い蔑視と偏見を感じることは多々あるし、社会には本当にどうしようもなく前近代的な思考を持つ人がのさばっていて、性別を理由に大変な思いをしている女性は沢山居るのだろう。不当な待遇に対する不満は強い怒りになり、強い言葉となって表れてしまうのかもしれない。強く意思表明をしないと相手にもされないのかもしれない。しかしそこは、未だに男尊女卑を支持するような頭の固い人にはもう何を言っても響かないと割り切って、差別意識を若い世代に広げない穏やかな活動にシフトして欲しいと思う。


いいなと思ったら応援しよう!