挑戦 3年 堀内泰雅
南雄大に身長が高いだけで自分のことをイブラヒモビッチだと思ってしまってるとご紹介いただきました、ズラタンから名前を受け継いだ堀内泰雅です。
拙い文章にはなりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
殻を破りたいと望んだ大学3年目。
はっきり学年で別れていたのに私だけ下の学年のチームに入ってプレーした1週間。午前、午後と練習試合があった日に、午前のチームに入っていなかったのを知らずにグラウンドに着いたのに、家に戻ってメチャクチャに暴言吐いてたら母親にブチ切られた日。
プレーがうまくいかず、練習中に先輩に向かってラフプレーをして怒鳴られた日。もうめちゃくちゃだった。
気づけばIリーグも出れなくなっていた。もう涙すら出てこなくなった。少し経って、Iリーグで途中出場して逆転ゴールを決めた時、いいゴールだったけどなんだか素直に喜べない。PK決めた時応援してくれてるチームメイトに向かってって思いっきり叫んでみたけどなんだか気分が上がらない。
そうやって感情が湧き出てこない時期が続く。
バイトでめちゃくちゃ忙しくてもなんとも思わなくなったし、練習からの帰り道、ぼーっとして気づいたら家についてたなんてこともよくあった。
別に夢を諦めたわけじゃない。もっとうまくなりたいし強くなりたいからジムにたくさん行ったし、練習も一生懸命頑張った。ただ、感情は出さないようにしてた。人前では笑顔でいるようにしてた。
辛そうな表情して心配されて、同情なんてされてたらもうやっていけなくなるような気がしたから。
そうしてまた殻を破ることはできなくなってた。
そんな日々が続く中、いつも通り練習から帰ってご飯を食べながらテレビを見てると、アーティスティックスイミングの選手の引退のニュースで、日本代表監督が選手に「素晴らしい競技人生でした」という言葉を送ったというニュースを見た。
この言葉を聞いた時、目が覚めたような気がした。いつも何気なく見ているテレビからまさか心を動かされるとは思わなかったけど。
もしこのまま終わって素晴らしい競技人生でしたなんて嘘でも言えないと思った。こんなところで終わってたまるかと思えた。
それから覚悟が決まったような気がして、吹っ切れることができた。どん底から再びスタートして、1ヶ月半前からは新シーズンもスタートした。
まだまだプレーがうまくいかないこともあるけれど、それでもチャレンジし続けている。感情が湧き出てこないような生きている心地がしないような時期もあったけど、そんな時期も確固たる夢を叶えるために積み上げてきたものがある。
この積み上げてきたものをより大きなものにするために、これからもトライし続ける。全然うまくいかなくて悔しい思いをすることもあるけど、今はその苦しみもめっちゃ楽しいって思える。
どん底から這い上がった自分の姿が楽しみで仕方がないから。
そうやってやり続けていく中でチームに貢献できるように、FWとして結果が残せるように、夢を追い続けることができるようにもっともっと成長していきたい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は最近親知らずを抜いてようやく大人の仲間入りを果たした、裏への抜け出しからのループシュートが1級品で、授業にチェックのシャツを着すぎてついた愛称は「チェックさん」、町田悠です!
お楽しみに!
東洋大学体育会サッカー部 3年 堀内泰雅
過去のブログはこちらから⏬
堀内泰雅選手のPLAYER PROFILEはこちらから